日本人の好物メニューは1にカレーライス、2にラーメンではなかろうか?私たち夫婦も大好きである。ケパはこの二つに順不同で豚カツかステーキがくる。
ケパ・ドルで杉並・中野界隈を探索した結果、カレーライスは高円寺の北口にある某インド人カレーハウスに常連決定。今ではランチタイムに行けば「ラッシャーイ」のにこにこオナジミさんである。またラーメンは激戦で、ほぼ定着しているのは環七交差点のA店と方南町のB店である。いずれも醤油ラーメンがうまい店だ。醤油ラーメンと言ってもドルカスは澄んだ昔のシナそば風、私は濃厚系が好きである。
ところで最近気づくことに、同じ店でも時々調理人がチェンジすることがあるが、その作り手によって微妙に塩味が変わることだ。感じとしてだが、太り目の調理人が作ると塩味が濃い気がする。で、私たちとしてはいつもの人(中肉の体型をしたメインの調理人)の味を期待して行くのだが、お目当ての人でなく、見馴れない太目の調理人がメインで立っていると「大丈夫だろうか?」と心配する。カレー屋でもそうだったが、果たして今日入ったラーメン店でもその危惧が当たって、やや太めの料理人の味は一段階いつもより塩味がきつい。薄味なら足すことができるが、塩分濃度が高いのはどうしようもない。
以前、東京オリンピックの総料理長がテレビで次のように語っていたことを思い出す。「その日の天候、競技者の状況を考えての塩加減ほど難しいものはない」と。微量な「塩加減」が料理の決め手なのだ。
最近私たちの教会の指導的な立場にある方が、ホームページにみなが載せるちょっとイイお話集「クリスチャンの寄り道」に対し、「視聴者へ、あまり強く信じることを迫らないように」と諭された。子どもに親がいくら「勉強しろ、勉強しろ」と迫っても、言った効果がないばかりか、かえって反発されるのと同じであると。その通り!
これと料理の塩味も同じである。「過ぎては及ばざるがごとし」 その人の必要に応じてのもので、聞いてくれる人、食べてくれる人への愛がなければ、本人がどんなにご馳走したつもりでもそれは届かない。肝に銘じたい。 ケパ