心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

個々の国際的な支援を終えるときを現場から考える

2007-10-09 13:12:38 | 国際協力・一般
個々の国際的な支援が終わるときについて考えてみます。

1.ODA(政府間支援)の場合は、プロジェクト実施期間が終了するとき。
つまり、予算が終了するとき。
ODAやUNなどのボランティアの場合も同じで、任期終了の時期が来たとき。
NGOの場合でも、単一の助成金などに拠っている時には同じ。

重要なのは、技術支援にしろ、箱モノの設置と運営支援にしろ、目標が達成されたとき、ではないということ。
また、支援する側の事情が決定するという事実。
まあ・・・単年度の予算主義に基づく、日本での官庁の仕事を考えれば、まったく同じ。予算が付いた事業を実施するのが現場の担当者(派遣者・実施者)ですから。
実施者の能力や工夫というより、「どこで、限られた期間内に、誰が、誰を対象に、実施可能な○○を実施する」という事業を企画し、予算を獲得するする人の能力が、成否を決める全てである、という印象があります。

活動予算を獲得するために、事前調査と実施計画はあっても、実施については派遣された担当者任せ・・・
現地の担当部局からは「予算は完全消化、しかし増やさずに、事故など起こさずに元気で帰国してね、結果は問わないから」との視点の働きかけばかりで、実施上の工夫は共有してくれず、
さらに活動報告文書上はほとんどの事業が、○千万円の予算をかけたのに、サスティナビリティなどに一瞥もせず、現地のたった○人の変化や、あるいは実施者の汗や満足に焦点を当てたりして、「とにかく成功」したことになっていきます。

2.独自資金を持っているNGO・個人などの場合は、支援活動をいつやめるか、本当は単純ではありません。
やりたいだけできる・・・
やりたくないときにやめる・・・
実施の中心人物がいなくなったとき・・・

事前調査と実施計画、実施方法の検討や裨益者との継続的な討論(参加型の工夫)、モニタリングなどなどについては、
ネパールやカンボジアなどの現場で見る限り、
実行しているとはとても言えないところが多く、時々現地を訪れる中心メンバーの印象と、現地通訳などとの間で決定されていってしまっている・・・

国際的な支援についての理論と方法の蓄積について、学び共有されて、
支援が、数年間だけあめ玉を味わってもらうというような、気分次第で行われることのないようになればいいと切望しています。
壮大な「虚業」では困ります。
UN資料に拠れば、長年にわたって国際的な支援が実施されてきたにもかかわらず、地球上の貧富の差は依然として拡大方向にあるのですから・・・

・・・・・・・・・・・

支援する方にもされる方にも、双方にとって正しい終了って、目的としたことが1)目標の妥当性及び、2)達成度、3)開発の効率性、4)有効性、5)インパクト、6)自立発展性(持続可能性)の各側面で起こって、互いに納得して、次のステップに踏み出せることかな・・・


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