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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

禁煙5日目の様子

2008-01-24 16:06:52 | いろいろ
5日目の自覚する体調;

痰が少なくなった。
ゼロゼロという呼吸音がなくなった。
嗅覚がよくなった。
そして、とても満足感があります。

タバコを吸いたいという気持ちがやっぱり起きます。
思いっきり、口をすぼめて吸い込みたい・・・
ニコレットを噛んで歯茎に挟んだりー2日3日目は各7個、4日5日目は各5個、やっぱり身体依存のせいか午前中ばかりー、
ヨーガでの呼吸のように、ゆっくり吐いてゆっくり吸って、などで大方対応できています。

・・・が、吸っている人がいるともらって1本になってしまう・・・
ぜんぜんうまいとは思えなくて、数口でよくなってしまい、最後まで吸う気持ちにはなれず、消してしまっています。

「支援隊」によると、タバコに代わるストレス解消法を身に付けることが必要とか。
今のところはスクワット50回と腕立て20回・・・こんなんでいいんだろうか・・・

X+1回目の禁煙開始

2008-01-20 17:47:39 | いろいろ
胸は張れませんが、X+1回目の禁煙に入りましたことをここに宣言します!
1月20日(日)正午、二コレット2mg開始。

ここの住まいのオーナーは元旦からまたまた挑戦しているし・・・
ブログが結ぶ仲のプヒさんからは昨年末に「アレッ!?」と、鋭く目線を向けられていました。
連れ合いの信用は既に失っています・・・

次の仕事を順調に得るためという目的を明らかにして、体調作りに着手することにしました。
といっても、喫煙家を採用しないとしているWHOを狙っているわけではありません。

no smoking とともに、塩分の高い食品(どんぶりモノ・カレー・チャーハン・ソース焼きそば・漬物など)や夜間の摂食をガマンして、
生活習慣病を軽快させ、痩せます・・・
ララ湖から戻ったときのように、7Kg減量が目標。

まずは、テニスと歩行などの運動、ヨーガと「ニコレット禁煙支援隊」を味方にして、
ジャガイモ・トマト・大豆・木の実・タマネギ・バナナ・牛乳・ミカンなどの、ネパールで摂取できる食品を増やします。

今月末日までの11日間を第1クール目に位置づけて、ガンバリます!
二コレットは100個余、実は、準備できています・・・

子と親、親と子

2008-01-09 00:07:25 | いろいろ
年末年始に娘家族がやって来て、その後もメイルが何回か飛び交っています。

カンボジアのアンコールワットのある街でぼくが駐在していたときにあった娘からの訪問の打診は、小さい子どもたちは遺跡歩きをたぶん楽しめないだろうから、という理由でボツになりました。
ぼくがカリブの島国に駐在していたときは、娘たちはニューヨーク駐在だったので、白い砂浜のオールインクルーシブホテルに滞在してアクティビティ三昧が実現か・・・というところまで準備は行きましたが、結局、本場のディズニーランド行きに負けてしまいました。
そういう意味では、このネパール1週間の旅は5年越しの実現でした。
ぼくが途上国生活に入ってからは、年1回の一時帰国時に関西へ行くときに途中下車して会ったり、親族の不幸などでメイルで連絡を取ったり、という程度のコンタクトがここ10年強の接触状況でした。

今回の旅では、チトワン国立公園での、ゾウの乗ってのジャングルサファリ、カヌーでの川下り、石油ランプの灯り、焚き火や、タルー族の踊りへのホテルゲスト参加などは、思惑通り、5才と7才の子どもたちも大喜びでした。
ヒンズーの宗教色濃い、狭い路地に人々がうごめくカトマンズの旧市街地をゆっくり散歩したことや、チトワンからの帰りに、道路封鎖に遭ってしまったけど、なんとか切り抜けられたことなどは、親たちに印象深い開発途上国の初体験となったようでした。
彼らが、「B級の食べ物が食べたい」というような、こちらの住民の生活に近い部分に関心を持っていてくれたことは、案内しがいがありました。

想えば、娘とゆっくり時間を過ごしたのは15年ぶり!なんだということがわかりました。
小学校時代に地域のスキークラブに入っていて、以来スキーに自信を持っていた彼女を高校生の頃に、冬の北海道ニセコへ誘い、二人で旅したのでした。
もっともその後彼女を先に帰して、ぼくはひとりで確か、大雪近くのスキーへハシゴをしたんですが。
娘は「札幌で食べた焼きガ二がおいしかったことを覚えてる」と言います。
今回、ほとんど初めてぼくと長い時間一緒にいることになった、彼女の夫や子供たちも、そして彼女も、カトマンズでは「とてもリラックスしているのに気づいて、家族ってナンだろうと考えた」と言います。
結婚して、違う家族を持った今、「自分がとても自由な家族のなかで育てられたと気づいた」と言い、「お父さんはほとんど家にいなかった」とも、心的事実としての家族像や父像を回想していました。

ぼくの「バツ1」を、うまく伝えることが難しく、小さな子どもたちは「ジイジはどこに住んでいたの?」などと、了解するのに困惑しているようでした。そのうちには通じるだろうけど、目の前の連れ合いとは実際、いい関係になったし、互いに好印象だったようで、ぼくはヒト安心。
4年前に飛行機のなかとニューアーク空港で1回は一緒しているんだけど、乳児がまず覚えているはずはないし・・・

さて、ぼくは、向き合う人々の緊張感を解くことは仕事柄得意としているけど、そのこと以上にリラックス感が迎える側とやって来た側の双方に生まれていたことは事実だし、
子どもたちを見ていて、たとえば、白ご飯が好きで、時間にやや強迫傾向があり、お金を巡る現実原則がはっきりしているという、ぼく-娘-その子を貫く、遺伝的特性?を認めざるをえないことにも気づきました。
他者を見ていて、自分をより対象化できた感じ。
家族って・・・フシギ・・・

ぼくの直近のこれからについては、まだ途上国での生活が続くのか、
はたまた、そのうちやってくるであろう、人生の〆の時期としての日本での生活に着手するか、
まだ決めることができていません。

ただ、他者とは対等でいてその意思や自由、そして責任も保障し、とどのつまりでだけ最小限のサポートをし、自分もなるたけ自由に生きたいという一貫性は変わらないだろう・・・と。

「外国にいてくれればまた来たい、ただ2年後くらいに」という話に、航空運賃のハイシーズンにしか休めないサラリーマン家庭が考慮する渡航費用の現実感と同時に、この親子関係にある心地よい距離を感じました。
子どもが大人になって以来、初めての会話が成立するきっかけとなった1週間だったようです。
そして、小売業に就いていて、人が休むときに休めない息子とその家族とも、遠くないうちに会う機会を作りたいな、と思っています・・・

10年かかったPhD

2007-11-15 23:27:16 | いろいろ
PhD合格の通知をきょう受け取りました!

1998年に入学して単位取得に入り、途上国駐在の合間に、たくさんの指定図書を読み課題レポートを書きました。

そもそも学位の必要性を感じたのは、開発途上国支援生活に入ってからでした。
弱者に寄り添って支援していきたい・・・当然、反権力という姿勢に共感を持ってきたものとして、権威にはなるたけ背を向けて生きてきたつもりでした。
しかし・・・開発分野で国際機関や国際NGOの外国人スタッフたちに、自分が専門家として登場して話し合うには、学位を持っているという形が当たり前でした。
修士と博士では、赴任国で、担当する地理上の広さや行政単位が異なる組織とも出会いました。
これは取るしかない・・・ぼくに現実的なのは通信制大学院でした。

修士は幸い2年足らずで取れました。
指導教官からは、レポートの根拠となるデータが古いので、新しいものに当たるよう・・・と、指摘されたこともありました。
というのは、そのときはテキスト代がもったいなくて、20数年前の学部時代の記憶や本棚で埃をかぶっている本に頼ってレポート作成をしていたからで、それでもおよそOKなんだと・・・妙な自信をもったり、
たしかにあの時代、ぼくのいた大学心理学教室は、専任教員4人に学年7名の専攻生でしたから・・・
サボるなんてありえず、みっちり、絞られたかいがあったんだと思い起こしていました。

そして博士論文作成のOKが2004年に出て、自信作ができたので簡易製本して提出したら、書き直し・・・ようやく受領となったのは2005年9月でした。
ちなみにタイトルは「内戦後のカンボジアの人々の精神保健に関する臨床心理人類学的研究 -精神保健意識と説明モデルに関する調査から開発途上国の精神保健ケアを考える-」です。

10年がかりになってしまいました。
さて、この年になってしまって、今さらぼくのPhDがなんの役に立つのかは、今後の課題です・・・!

もうひとつ、いわゆる「学位商法」批判の動きは知っているつもりですが、
ぼくの在籍した米国通信制大学は、そのレポート添削のいい意味での執拗さや、必要単位数などからして、そうした批判は当たらないと感じています。

開発途上国で調査を行うときの研究倫理を考える

2007-09-28 19:48:16 | いろいろ
開発途上国に住んできたぼくは、日本から短期間やって来て、調査をするから、協力してほしいと要請されることがあります。

日本の所得が上がり、また空路アクセスが容易になり、
学部の卒論や、修士論文などでも、途上国を舞台にして書こうとする人たちがいます。
心理学や児童学、医学や医療関連分野、また開発学分野などで・・・
その指導をする役割のはずの大学人自身が、休暇をかねてやって来て、論文数を増やそうという意図みえみえに、安易に調査を実施しようとする人もいますから・・・

多くの場合、ぼくは協力することを断わらざるをえませんでした。
・国際的な支援を軸にできあがった、ぼくの現地の人間関係と、調査意図がかみ合わない
・時間的に余裕がない
・北と南、持てる者と持たざる者という視点がない
・被験者と調査者が対等な人間関係ではなく、断りにくい構造にある自覚がない
・先行研究の調べがないか、少なく、テーマが思いつきである
などが理由でした。
・文化的な差異を、価値観を伴って序列化しようとする意図を持つもの、
もありましたが、これは前時代的過ぎます。

断りを説明すると、
「○週間(極端なときは、○日)しか、ここにいられない!」
「○ヵ月後に卒業なので、今まとめるしかない!」
「村では英語が通じない!?通訳をやってほしい・・・通訳は有料なんですか!」
などの、当惑や、怒りと、向き合わなければならないのでした。

ぼくは、異文化状況の中で調査研究するときには、次のような視点が大切と考えています。
・調査によって得られる結果は、研究者間で共有できる質を持っているはず
・被験者や、被調査団体へは○○の謝礼を用意している
・調査結果を○○の形で被験者らに返したい
しかしながら、こうした人は稀でした・・・

まずは研究倫理の訓練が少ない学部や修士段階で、困難の多い開発途上国を舞台にした調査をするのは、やめてほしいと思う今日この頃です・・・

Word 2007 文書が到着

2007-06-22 13:49:42 | いろいろ
ついに新発売のWord2007でつくった文書を受けました。
PCを買い換えた人からの文書は、こういうことになるんでしょうね。

ぼくのWord2003に変換ソフトをダウンロードするのに2時間強!
眠くなってしまいました・・・
ついでに郵便番号の最新バージョンも、いただき・・・

こうして世界は動いていっているのに、
ネパールは一旦は6月と決めて後に延期した、選挙日程がまだ決まらない・・・
労働者・経営者・公務員・被差別者団体・土地なし者団体らが入れ替わり、ストを背景に政府に要求。

「スローライフ」っていうのは、こういうのも含むんだろうか・・・病床の筑紫哲也さんに聞くのは不適当か・・・?

香港に見る人口密集型の未来社会・・・

2007-05-09 04:50:27 | いろいろ
地球上の人類の2割しか、いわゆる先進工業国に住んでいなくて、またそのうちの地方に住む人を除いた人たちが、人口が集中した都市に住んでいるわけです。
その少数者たちの未来像を、香港で垣間見たように思いました。
この人たちが今日の世界経済を領導していることは事実で、他の多数の人類への影響は大きいですから・・・

管理された交通システム
 免許と税から私有車を限定して、公共交通を中心に据える
 ルールを厳格に実施する
個人と家族の生活空間は狭くして、社交空間は社会資源を用いる
健康増進を支援
 タバコ1箱は約4ドルと高価にし、公共場面を禁煙にする
低所得者・高齢者・障害者などが生きる場を作る
樹木の育成など、自然の回復に努める
観光客など、訪問者の利便を図る
工業地域を特定する
漁業の保護
すべて公教育とせず、私学も支援する
プラグマティックな政治
1国1地域で完結しない共生型社会
・・・など

基本的なスタンスと具体化イメージ

2007-05-09 04:29:27 | いろいろ
ブログのタイトルとプロフィールを少し変更しました。
次のように考えはじめているからです。

1.基本的なスタンス
開発途上国での経験と日本でのそれを統合したい。
時代からの要請を読み直したい。
自己を全面的に投入できる実践ー雇用されるのではなくーを作りたい。
よい指導・よい指示ができることを業務とする
雇用されるなら、その条件は厳密に検討する。
自分が選ぶ場で自由に生きることは堅持したい。
スポーツや自然と関わるリフレッシュ休暇は実現する。

2.具体化するためのイメージ
老人・障害者の地域ケア
障害者自立支援法・介護保険・医療を統合的する視座
心理職の国家資格化促進
心理療法に基づく支援を具体化する
北海道・沖縄・富山・?
NGOを設立する
地域づくりに参加する
国際支援に参加する
従事者・従事予定者への教育・研修をする
「尊厳のある自己の意志と、他者に依存した生活の場とを、専門的・効果的に支援します」
開設資金を準備する

これからの展開はどうなるでしょうか・・・




会えなかった・・・

2007-05-02 21:35:54 | いろいろ
茨城県笠間の陶炎祭へ行ってきました。
数年ぶり、2回目ですが、190ものテントが立ち並ぶ、大規模の祭りへとなっていて驚きました。
通り雨の後なのに、会場は駐車場が満杯など、連休の人々で溢れた、暑い日差しの中にありました。

最近またお世話になった大学時代の恩師と、そこで会うことになっていたからでした。
しかし会えませんでした・・・健康を害されたとのこと・・・Telにも出れないとは心配・・・!
迷いましたが、OKが取れないまま伺うのはよくないと思い、出かけていくのは遠慮することにしました。

会場では、以前に勉強会で一緒していた、陶芸家で障害者作業所指導員でもあるSaさんとひさびさにお会いして、作業品目である陶器を売るための工夫話にぼくは感心・・・

資料を貰って、生活支援センター・小規模授産施設・精神福祉相談支援センター・子どもの問題研究所などに展開してきた活動がすでに6年目になっていることを知りました。
利用者のプライバシーへの配慮から利用予定者以外の見学禁止や賛助支援者の獲得、地域交流啓発事業、また情報の開示や研究助成の獲得など、福祉活動自体のあり方への挑戦を緊張感を持って続けているのはスゴイと思い、同時に、対人サービスなのだから力を抜いて流されるような気楽さが拡大されてもいいのではないかと気にもなりました。

そして、昨年10月施行の障害者自立支援法の、その福祉制度大改革の理想と、利用者にも運営者にも不慣れな市町村にも負担を強いている、現実には拙速な制度としての一面を見ました・・・
全家連が解散した経路といい、日本の厚生政策の問題点が続いて浮かび上がってきているようです・・・

後楽園ホールで生プロレス

2007-01-26 00:45:24 | いろいろ
CIMA、ドン・フジイ、BxBハルク、マグニチュード岸和田・・・って、わかる人いますか?
Dragon Gateの所属、ウルティモ・ドラゴンの、もと闘龍門ですね・・・

ほかに、ZERO・1 MAXから、KAIENTAI DOJOから、そして老舗の新日本からの登場もありました。
最近の団体の多さについていくのはたいへん・・・
きょうは、後楽園ホールで午後6時半から10時前まで、たっぷり・・・生プロレスでした・・・

闘龍門は、メキシコに渡って創りだした、いわば見せるプロレス。
明らかに台本があり、見せ場を作り、観客を魅了する計算がある・・・
タイトルマッチでもない限り、ガチンコはない・・・!

プロレスは、
鍛え抜かれた肉体を使って見せる、興奮と感動の芸術・・・
そして、攻撃衝動や強くありたいことなどの代理的充足・・・
最近はそうでもない、H系とか、音楽系、美系などにも広がりを見せているが・・・
そういえば、障害者プロレスっていうのもありますよね。

明日土曜も後楽園興行なので、闘い抜く試合はちょっと、少なかったかな・・・
と言いながら、ひさびさの生を十分楽しみました!

********
ぼくは今晩からまた伯母を訪ねます・・・
次のブログ更新は29日の予定です。


2007年新年明けましておめでとうございます!

2007-01-01 01:53:34 | いろいろ
2007年 新年明けましておめでとうございます!

ネパールは日本からは3時間15分遅れの新年です・・・

知人たち10人が集まって、持ち寄った手作りスローフード日本食をたらふく食べ、紅白を見て、行く年来る年を見て、
ネパールの首都カトマンズのもっともにぎやかな街、タメルにある部屋に戻ってきました。

ニュースや報道番組の「NHKワールド」は多くのところで見ることができますが、
娯楽番組も見ることができる「NHKプレミアム」はネパールでは契約場所は少なく、それで集まったわけです・・・

カンチパトの教育省前でクルマは規制されていていました。
車道は人であふれていて、
若者たちが、ただ集まって、騒ぎを待っているという雰囲気です。
いつものタクシー駐車スペースはバイクが縦2重に駐車しているくらいです。

バイクが出ようとして、歩道を走り、
リキシャも歩道に入ってきます。
それ以外、動く方法はありません・・・
ちょっとしたことで、ワーッと歓声が上がります・・・

2007年、
ぼくの禁煙は、まだまだ右往左往しています・・・完全禁煙したい!
今までの経験を生かせる仕事に就きたい!
日本での心理職の国家資格が誕生して、質のあるサービスの安定的な供給の道を開きたい!
・・・・・・・

さて、写真は、旧王宮ダルバールマルグの1700年頃に建てられたというシバ・パルバティ寺院の窓から顔を出す2人の神です。

シバは、創造神・破壊神・宇宙を震撼させる舞踏者で世界を創造した神で、
パルバティは、シバの配偶者・美の女神です。

こういう世界創造の神々に見守られながら、ネパールで2007年を迎えました・・・

今年もいい年でありますように・・・ブログを訪問してくださるみなさまにも、ぼくにも・・・




アマゾン、日本とアメリカ

2006-12-08 18:56:41 | いろいろ
開発途上国生活12年目、もういいかなあという想いがここ数ヶ月間強くて、日本に戻って働くか・・・と考えはじめていました。
知人の助言を得て、旧知の方に接触したところ、今のところ、返事がいいので、
その分野の新しい情報収集を始めました。

精神保健分野全般での臨床と、教育と、研修と、研究などが頭にある考えです・・・
それと国家資格への関与も、責任を感じています・・・
異文化課題や開発途上国も視野に入れた役割があれば、ここしばらくの経験が生きるので、幸いとも考えています。

アマゾンを使って、和書は日本へ、洋書はアメリカへ注文して、少しづつ届きはじめています。
最近にない、まとまった出費だけど、
慢性疾患者の回復への知らなかった挑戦例や、
ケアの実証的な効果測定、
ネパール社会での心理学の役割を考えて政治心理学分野、
心理系ブログで言及されていたもの、などなど、
久々の知的興奮を感じる日々です・・・


と言っても、あと1週間は、ネパール語試験のため、お預け・・・!
ただ、VISA延長は、観光VISAで滞在できる5月までに仕事が始まるなら、いらないのだけどね・・・まあ、安全策も!

NULIFE 4mg

2006-11-04 21:39:54 | いろいろ
残り少なくなったニコレット・・・

しかし援軍現る!

訪ねた4軒目の薬局、ニューロードの薬局で、インド製ニコチンガム、
前にもらっていた2mgはなくて、4mgを入手。
しかも8錠?パック、約110円!

がんばろうね・・・禁煙!



完全禁煙開始2日目

2006-11-02 17:01:30 | いろいろ
8月中旬に開始したにもかかわらず、
9月末の3日間のホテルカンヅメ会議と
先月前半の13日間トレッキング以来、
ピンチとなっていた、ぼくの禁煙生活ですが、

3ヶ月目になる11月にはいったのを機会に、完全禁煙に入っています・・・・

援軍は、新たにニコチンパッチ(nicotinell TTS)30mgを動員しています・・・
カトマンズに売っていないニコレット・ガムは、後8個と残り少なく・・・心配です。

一緒に挑戦中のゲストハウス・オーナーの、「儀式のとき(定義不明!?)はいいことにしよう」という甘言を今度は排除して、
強い意志力が出てくることを期待しています・・・

もう、吸ったときも、おいしいとは思えず、
ただ、慣習になっているだけの吸煙行動なのです!

吸いたい気持ちと闘い、自分を騙しながらの、耐久生活です・・・

禁煙ピンチ

2006-09-28 12:33:55 | いろいろ
先週の3日間カンヅメ会議から、禁煙がピンチになっています・・・

吸っている人に、つい、1本くれる?と言ってしまい、
そして頼みにくく感じて、
ついには、路上の移動タバコ店で買ってしまう・・・!
ネパールでは、タバコが1本売りをしているので、ついつい手が出てしまうのです・・・

「一箱買うんじゃないから・・・いいか・・・」
という、合理化!

明日からはトレッキングです!
減ニコチンパイプも、携帯灰皿も、もちろんタバコも、タバコ関係品はすべて排除し、
完全禁煙に、もう一度、挑戦します・・・!
宣言を聞いている、連れ合いの目があることも、ニコチンガムに加えて、支えになるかな・・・