射ると雖も射抜くこと能わず。只、射削りしのみなり。諸人、また是を誉むるといえども悉
逹太子に及ぶべくもあらざれば、提婆は頗る面目を失い心中に深く憤りぬ。是ぞ遺恨の
始めなりける。偖(さて)弾丸の儀式終わり、次に鐵鼓(てつこ)の的の式なり。是も童子の力におよぶべき
に非ざれども、堅きを砕くの義表したれば、唯的に中(あた)るを以て高手(じょうず)とす。然れども提婆
逹多、悉逹太子に弾丸の的を射負たる憤怒止まず、此の度は我、鐵鼓てつこ)を射通し悉逹
に恥辱を与えんものと意(こころ)に巧み、㫋陀(せんだ)にも其の旨を示し合わせ、数多の童子の射終
わる待ち、已に廣耶太子が番におよび射場に出でて、鐵鼓を射する的には中(あて)ながら
鏃(やじり)砕けて飛びかえりぬ。廣耶太子微笑みしずかに出(いで)て鉄弓をきりきりと引き絞り矢声とも
に切って放すに一つの鉄鼓を射貫たり。諸人是を見て、その弓勢(ゆんせい)を感嘆す。其の次
には提婆逹多鴻の歩むが如く寛々と射場に立ち出で、握り太なる鉄弓を弦弾(つるうち)し鉄
箭をはげてきりきりと引き絞り、ねらいを固めて兵と射るに、過たず三つの鉄鼓を射
貫たり。お庭の人々、阿と感じ天晴れ無双の弓勢かなと賞嘆す、提婆はした
り顔に太子の方を見やりて、本の座に回(かえ)るに今は太子のみなれば、淨飯王はじめ
百司百官も手に汗握り唾を呑んで見居たる所に、太子、徐々(しずしず)に弓箭を手
挟て射場に立ち出でたまい、弦強(つるうち)して左右に對(むか)いこの弓甚だ弱し別に強き弓を持ちき
たれと命じたまう。官人承りて強弓七号を採り出して奉る。皇子七号の中にも殊更強き弓をば選
り出したまい、箭を打ちつがい満月の如く弯設(ひきもう)け、声もろとも切って放したまえば、其の
矢ヒフィット鳴りわたりて的に中(あた)るよと見えけるが、七つの鉄鼓を射貫(とほ)し尚余れる矢巌を
穿ち、忽ち清き泉涌き出たり。上帝王より下卑官に至るまで感嘆する声、四竟(しけい)に響く
許りにて夥しくぞ聞こえける。烏将軍は余りの嬉しさに坐を起(たつ)て舞々なでけり。淨飯王
は叡感浅からず、太子を始め提婆以下の諸童子に褒償を賜い、大いに酒宴を促し
君臣和楽の興を催したまいぬ。然るに提婆は二度の曠(はれ)勝負悉く太子に負けたることを
遺恨にさしはさみ、大觴(おおさかづき)を把(とつ)て数杯を傾け、酒気に乗じて廣庭に狂い出、悉逹太子
射芸に堪能なりと雖も筋力(ちから)に於いては我に及ばじ。力量の覚えあらん者は来て我と相撲の
勝負を試みよとぞ叫びける。是を聞きて諸童子の中にも筋力ある輩(ともがら)、憎き提婆の
広言かないでや、力を競(くらべ)にと我も我もと庭へ下りて提婆にわたり合い、揉みあうと雖も誰あ
って勝つ者なく、手足を挫いて逃げ退き、㫋陀(せんだ)太子のみ提婆と力量等しく、更に勝負を分か
たず相引きにわかれけり。悉逹太子二童の相撲を見て微笑したまい、丸(まろ)も戯れに力を
あり、三大臣をはじめ、月卿雲も位階によって列座し小弓の勝負を見物す。當年(ことし)はわき
て悉逹太子始めて小弓の頭をなしたまえば、東西の諸童子の親戚今日を晴(はれ)と花美(かび)
を尽くして我児を打扮(いでたく)せ、列を正して射場にねり入る光景誠に桃李の咲きそろいし
如く、いと栄(はえ)ありてぞ見えにける。斯て小弓の式を始むるに、その最初弾丸的とて四寸の玉を
(木にてつくり絹にてはる)空中に投げ上げ、その落下るを射る法なり。西陣より丸(たま)を弾けば東の陣よ
り出でて是を射る。東陣より丸を弾けば西陣より出て是を射る。然りと雖も普通の的に事変わ
り、空中より落る玉なれば飛鳥を射るより尚難く、誰か能く射中てる者なく、偶
然(たまさか)玉を射削る者あれば、是を高妙とし賞衣(かづけもの)を賜うなり。それはとまれ東西互い
に射術をはげみ、丸(たま)を射て勝負をあらそうに、東陣多く勝ちて賞衣を賜う者西陣に倍
しければ、西陣の頭 提婆逹多年十五才、巖を碓(くだ)く多力あるのみならず、射術は
五天竺に敵なしとおもう許りの達人にて、副将の㫋陀(せんだ)太子も提婆に劣まじき
荒童子なるが、已に西陣の敗せしを見て俱(とも)に怒気生じ、今は東西ともに頭副
将の勝負なれば如何にもして射勝ち、恥辱を雪(そゝが)んことのと㫋陀(せんだ)太子、力腕を摩(さす)り射
場に立ち出で、一丸を採って虚空遙かに投げ上げるを廣耶(こうや)太子弓箭(や)を番(つがいて兵(ひょう)と
射るに過たず丸(たま)を射削りたり。淨飯王はじめ諸人これを誉め即ち賞衣(かづけもの)を賜う。廣耶(こう
や)太子恩を謝し、亦一丸を把(とつ)て虚空に投げ上げるを、㫋陀(せんだ)太子弓箭を番(つがい)て是を射る
に同じく丸(たま)を射削りて落とせしかば、君臣、また賞誉して賞衣(かづけもの)を賜い、此の一番は勝
負互角なり。次は両陣の頭(とう)の勝負なれば、国王は申すに及ばず月卿雲客下々の官
人まで瞬きもせず守り居るところに、西陣より提婆逹多、錦繍の装に束きゝび
やうな出で立ち意気揚々として歩み出で、悉逹太子に一揖(ゆう)し丸(こま)をとって力に任し虚
空遙かに投揚るに、無双の金剛力なれば其の丸(たま)、りうりうと鳴り響きて半天より流星の
ごとく落ち下る時に、悉逹太子は百花の繡(ぬいもの)せし羅穀の御衣に緋の裳(も)をはき黄金の强弓に
鉄箭(てっせん)をつがい、満月の如く弯(ひき)しぼり虚空に向かいて兵と射たまうに、四寸の丸(たま)を
射貫き地上に噹(はた)と落つ。万人是を見て感賞する声しばらくは鳴り止ざり。提婆は太子の射る
技を見て大いに驚き、我も丸(たま)を射貫ずんば誓ってこの場を去らじと意(こころ)頻りに焦燥、弓箭
(ゆみや)をつがえて待ちうけたり、悉逹太子は提婆が忿怒の気あるを早く察したまい何卒渠にも
手柄を与えんと心に念じつつに丸(たま)を採って投げ揚げたまうに、此の丸りうりうと鳴りて矢
頃能(ころよ)く落ち下るを待ち設けたる提婆逹多やとかけ声して切って放つに過(あやま)たず丸(たま)を
如く、六には舌軟らかにして面(おもて)を覆いかつ耳の際に至る、七つには咽中二所(のどのところふたとこ
ろ)より津液(しんえき)流れ、八には味(み)中味を得、九には方頬車(ほおぼね)獅子の如く、十には四牙(よつが
おくば)最(いと)白く大いに、十一には歯白く斉密(さいみつ)にして根深く、十二には口中四十歯あり、十三
には肩好く圓く、十四には身廣く端正、十五には獅子王の如く、十六には両腋下満ちて广尼珠(まにし
ゅ)のごとし、十七には両足下両腋下両肩上項の中皆満字の相あり、十八には皮薄く滑らかにして垢
を受けず、十九には身の色微妙にて閻浮檀金(えんぶだんごん)に勝り、二十には毛上に向かい靡(なび)き青
色にして右に旋(めぐ)り、廿一には摠身の毛孔より悉く一毛生じ輭(やわらか)に、廿二には身の縱横等し
く泥俱盧樹(でぐるじゅ)の如し、廿三には陰蔵相(陰部相)象王馬王の如く、廿四には平住(へいじゅう)両手膝を
摩(すり)、廿五には脚の腨繊好(かたちほそく)伊泥延鹿王(いでえんろうおう)の如く、廿六には足の趺(こう)高く平
にして好踵(きびす)と合称(かない)、廿七には足の指合縵網(あしのゆびあいまんもう)余人に勝れ、廿八には足の
裏廣く具足満好(ぐそくよくみち)、廿九には手足柔輭(やわらか)に余人身分に勝り、三十には手足指長く、
三十一には足の下千幅網轉輪相(せんぷくもうりんそう)を具え、三十二には足下(足裏)安下(やすく)奩(れん)底の
如しと、逐一指し示しければ淨飯王感伏したまい、亦、問いたまわく。朕が太子已に斯くの如くの
好相あれば福(さいわい)是に過ぎず。然りと雖も世にあらば轉輪王となり出家せば一切種智をなすべし
と、此の両端雲壌の違いあり。朕、衰老に及んで後は国土を太子に譲り身歯山林に
閑居して風月を玩(もてあそ)ばんとす。然るに若し太子、出家学道せば誰にか大位を譲るべき。願わ
くは神仙両端の内、いずれか是なる精しく考えて示したまえと仰せける。阿私陀打ち笑い天機漏ら
すべからず。遂に知るべきのみと答え、袖を払い坐を起ち右手もて雲を招き発(おこ)し、是に乗て虚
空に上り香山をさして飛び去りにけり。
悉逹太子 提婆逹多と技を競う
淨飯王は、阿私陀仙人が飛び去りしを見たまいて心中疑惑を生じ、昔日(むかし)摩耶夫人胎孕(こもり)三
年に及びし時、百人が中に一人の相者。胎内の太子かならず成道正覚して衆生を済度せんと云しを
思えば、もしこの太子、朕を捨て出家得道すべきにやと頗る叡慮を煩いしたまい、五百人の乙女の
容貌端麗なる者を撰み太子の左右に侍らしめ、其の遊戯(あそび)の玩物(もてあそ)具えずという事なく、
且暮(あけくれ)歌舞吹弾して太子の心を慰めたまう。是ぞ娯楽(たのしみ)をもて厭離の心を消せしめん御
心なり。斯くて太子十歳に成りたもう春正月、恒例にて小弓はじめの式あり。淨飯王、諸釋種の貴
冑(だち)をめし其の役を定めたまう。東方の対象を悉逹太子とし、副将を甘露飯王の皇子廣耶(こうや)
太子とし、その余百人の童子の俊才を撰び従わしめ、西方の大將を斛飯(こくはん)王の皇子提婆太子と
し、副将を白飯王の皇子㫋陀(せんだ)太子とし、同じく百人の童子の竒才を撰びて従わせ、偖、城
中に射場を構え警固の官人四方を守り楼上に淨飯王出御