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街の散歩…ひとりあるき

17 挿絵-北斎:新院直嶋に 寃を 海神に 訴ふ…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月30日 | 絵画・彫刻
新院直嶋(すくしま)に
寃(うらみ)を 
海神(わだづみ)に 
訴ふ
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16新院は、樹下よりさし出たる、巌石の上に結跏趺座し、さゝやかなる机に経を載せて、御まへに置給へり…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月29日 | 絵画・彫刻
をもしらせ奉るべしと思量(しあん)し、その夜の深(ふく)るをまちて、只ひとり直嶋(すぐしま)に潜(しのび)
ゆき、御所のほとりを徘徊して、彼此(おちこち)を尋たてまつれば、御所よりは遙こなた
なる浪うち際に、磯馴(そなれ)し松一樹(まつひとき)ありて、彼処(かしこ)に人蔭してければ、是こそと思
ひつ歩みよるに、新院は、樹下(このもと)よりさし出たる、巌石(いはほ)の上に結跏趺座(けつかふざ)し、
さゝやかなる机に経を載せて、御まへに置給へり。寔(まこと)にむかしの龍顔(りゆがん)にはあ
らじと見えて、思ひしよりはいと窶(やつれ)はて給いつ。剃(おろ)させ給ひし御髪(みぐし)のふた
たび長伸(たけの)びたるが、御腢(かたさき)にふり乱れ、御鬚なども長く垂て、秋の柳に異
ならず。御衣もめし換ふる事なかるけるにや、破れ垢つきし香染(こうぞめ)の法衣(ころも)の御
袖。浦風に吹翻(ふきかへ)されたる間(ひま)より、白く細やかなる御手(おんて)の、骨のみ高くあらはれて、
御指の爪も尖(するど)く見え給へり。悲きかな十善の君として、かく薄命に在(おは)するは、
なぞと思ひ奉れは、涙のみはふり落ちて、稟(まう)さんやうをもわきまへず、こなたに
つい居るさへ忍びかねて、一声(ひとこえ)高くうち歎ば、新院はこの声にて、人ある事を
しろし食(めし)けん。しづやかに見かへり給ひて、汝は誰そと問ひ給ふに、白縫涙をかき
はらひて、これは保元の戦に比類なき働して、君を輙(たやす)く落しまゐらせたる、
為朝が妻に白縫といへるもの也。當時(そのとき)わらはは太宰府ににありつるが、菊池
原田に攻められて父忠国も討死し、夥(あまた)の家隷(いえのこ)もみな戦場に屍をさらし侍り。
わらはも遂に撃るべかりしを、宗徒(むねと)の郎等(らうどう)八町礫といふものに救れて、為朝
も恙(つつか)なく落たりと聞えしかば主従十人この讃岐へ迯(のが)れ来て、外(すそ)ながら君の
御衛(まもり)ともなり奉るべうおもふ折しも不意(おもはず)も夫の仇武籐多といふものを殺し、
為朝はすでに擒(とらは)れて、伊豆の大嶋へ配流(なが)さるゝと傅へ聞、中途にて奪ひとら
んと謀りて、東路を走下(はせくだ)り、領人(あづかりびと)狩野介(かのゝすけ)茂光が旅館を刼(おびやか)すに、事成らず
してむなしくこゝに立かへり、君を盗み出し奉りて、船路より大嶋へ押渡り、

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15 挿絵-北斎:白縫 苦 節 志渡に 漂泊 す…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月28日 | 絵画・彫刻
白縫 
苦 
志渡に 
漂泊 
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14白縫い、志渡の浦曲(うらわ)にうつり住、手なれぬ海人(あま)の業をしつ、潮を汲み貝を拾ひやうやくその日を送り給ふ…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月27日 | 絵画・彫刻
旦開(あさげ)の煙たてかねて、十人の女使(こしもと)も、已(やむ)ことを得ず身の暇を給はりて、おのが
さまざまななりもてゆき、今は紀平治と二人の女童(めわらは)のみ残りとゞまりしかば
志渡の浦曲(うらわ)にうつり住、手なれぬ海人(あま)の業をしつ、潮を汲み貝を拾ひ
やうやくその日を送り給ふに、紀平治ははじめより、女あるじとひとつに
居らん事を厭ひて、白峯といふところに退去し、薪(たきぎ)を樵(こり)墨を焼て
僅なる銭を得れば、これを志渡に送りて、白縫主従が衣服の助けとせり
白縫は又海船旅人が江湖上(よのなか)の雑談(ぞうだん)するにも耳を欹(そばだ)て、
御曹司の安否を
しらまぼしくおぼせしに、有一日行僧(たびそう)が東路の物かたりする序(なへ)に、鎮西八郎
為朝は、伊豆の嶋々を打したがへ憚る気色もなく在すれば、領主狩野介
茂光ももてあまし、今は彼(かの)嶋々へ船の往来を停(とどめ)て、みづから防禦(ふせぐ)の外
に為出(しいだ)したる事もあらずなど、語るを聞く。まづうれしくいかにもして
大嶋へ消息し、わが恙(つつが)なきをもしらせ進(まゐ)らせ、次いでよくはわが身も渡海せば
や、とはおぼせども、浪風あらき青海原の稀に渡るも難(かた)かるべきに、嶋への
往来を停(とどめ)られたりと聞ゆれば、これも又こゝろに任せず。更にひとつの物思
ひをまして、あるにかひなき世をはかなみ、こゝに八年(やとせ)の月日経て、長寛二年
八月下旬(はづきすえつかた)の事なりけん。浦人等かいひもて傳(つたふ)るを聞くに、さても新院は、年来(としごろ)
御立願の事おはしますと聞えしが、この七日ばかりは、夜な夜な直嶋(すぐしま)の磯方(いそべ)
に潜(しのび)出給ひ、潮水に御姿をうつして、讀経し給ふ。龍顔のいとおどろおどろしき
を、面(まの)あたりに見奉りしものもありとぞ、こは實語(まごと)やらん、虗言(そらごと)やらん、いと痛(いたま)
しきこと也かしとさゝめきあふを、白縫つくつくとうち聞て、わが身久しくこの
浦に住ながら、守(も)る人の隙なければ、情由(ことのよし)をしらせ奉るよしもあらざりしに、
もしこの事實語(まごと)ならば、玉體(ぎよくたい)に親(ちか)つきて、夫がうへも聞え、わが誠忠(まこゝろ)の程

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13源既に涸(かれ)て汚名をながし、平家の栄華の春をむかへて、氏族(うから)みな高位高官を授けられ…『椿説弓張月』前編 巻之六

2021年11月26日 | 絵画・彫刻
が造りたる、松山の堂舍に在(おは)しけるが、国司既に直嶋(すぐしま)といふところに御所を
造り出して遷(うつ)し奉り、四方に築垣(ついがき)を塗まはし、只門一つあけて、昼夜の守
護懈(おこた)ることなく、三度(みたび)の供御(くご)を進(まゐ)らするの外は、人の出入る事を許さずと
聞ゆ。かゝれは数多の軍兵(つわもの)をもて、奪ひとり奉らんとするとも、事かなふべうも
あらず。もし憖(なまじい)に爲損(しそん)ぜば、大島に在(まし)ます御曹司のうへまでも危かるべし
とかく時の至るを待ち給へかしと諫(いさめ)申せば、これも又思ふにかひなくて、いよいよ命
運の微(はかな)きをうち歎き給ひける。かくかく保元の年号は、僅(はづか)三年にてをはりて、
あくれば平治と改元ありけり。洛には去年の八月十一日、御白河の帝(みかど)、皇位(みくらゐ)
を第一の御子(みこ)、守仁王(もりひとおほきみ)に傅へ給ふ。二條院と申すは是也。こゝに中納言兼
中宮権大夫(ごんのだいふ)右衛門督(ゑもんのかみ)信頼(のぶより)卿は、先帝(御白河帝)の寵臣なり。近會(ちかごろ)少納言
入道信西と権をあらそふをもて、信頼(のぶより)遂に左馬頭(さまのかみ)義朝を相語(かた)らひ
平治元年十二月に、数千の軍兵(つはもの)を起こし、まづ、上皇(御白河)主上(しゆじよう)二條帝を押(おし)
籠(こめ)奉り遂に信西が首(かうべ)を剄(はね)て、六條河原に梟首(かけ)たりける。こゝに於て
信頼(のぶより)の威勢(いきほい)日来(ひごろ)に百倍して、三公百官恐怖(おぢおそれ)て、その下知(けぢ)に従はざる
ものなし。しかれども彼(かの)卿は、短才浅智にしてこゝろ驕(おこ)り、只前門に虎を防
きて。後門に狼の入る事をしらず。主上潜に脱(のが)れ出て、清盛が西八條な
る亭に入御(じゆぎよ)ましましければ、平家時を得て、直(たゞ)に信頼義朝を攻む。こゝに
待賢門の夜戦敗れて信頼誅伏(ちうぶく)し、義朝は尾張の内海にて、長田が
爲に害せられ、夥(あまた)の子たち、或は誅せられ或は謫(なが)され、源既に涸(かれ)て汚
名をながし、平家の栄華の春をむかへて、氏族(うから)みな高位高官を授け
られ、富貴世の人の耳目を驚かせり。かくては白縫もいよいよ宿志(しゆくし)を遂(とぐ)る
事かなはず。常言(ことわざ)に、坐して食(くらは)ば山も空しといへり。頼む蔭なき主従が

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