matta

街の散歩…ひとりあるき

26為朝大嶋を脱(のが)れ去り、蹟(あと)を南海にとゞめ給ひし、といひ傅へたるも、故なきにあらず…『椿説弓張月』後篇 巻之三

2022年02月28日 | 絵画・彫刻

伊豆の大嶋において自害す。享年三十三歳と見えたり。しかれども同書
に、保元元年為朝十八歳とあるをもつて、これを僂(かゞなふ)れば、嘉應二年に
至て二十八歳なるべし。宣(うべ)なるかな。参考に諸本の異同を挙て、實録
所見なしといへり。亦いふ。京師本に、為朝の自殺をもつて二十八歳とし、
杉原原本三十八歳とす。京師、杉原、鎌倉、半井(なからゐ)の四本。みな何(いづれ)の年といはず。
系圖に、為朝安元二年三月六日、伊豆の大嶋に於て討ると見えたり。保元
元年十八歳なるときは安元二年當(まさに)三十八なるべし。その説杉原本と
合す(以上要を摘でこゝに録す)また、八郎明神の縁起に、承安三年癸已(みづのとのみ)秋八月十五日、小嶋
に於いて自滅し給ふといへり。嘉應二年より、承安三年に至て、相去ること
四年。承安三年より安元二年に至て、又相去ること四年なり。諸説矛
盾することかくのごとし。しかるときは、為朝自殺の年月、及び存亡も、むかし
より定かならざりしと見えり。これによつて思ふに、為朝大嶋を脱(のが)れ去り、
蹟(あと)を南海にとゞめ給ひし、といひ傅へたるも、故なきにあらず。この弓張月は、
すべて風を捕り影を追ふの草紙物語なるに、この一條のみ、諸説を引いて
補(おぎな) ひたゞすにしもあらねど、予元来好古の癖あり、こゝをもて漫(そぞろ)に蛇足の
辨(べん)を添ふ。所謂(いはゆる)鶏頭花(けいとうげ)をうつし栽(うゆ)るに、牛車を用(もちゆ)のたぐひなるべし。

椿説弓張月後扁巻之三畢(終)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25挿絵-北斎:漁夫を召(よん)で 陰鬼(ゆうれい) 嶋君を 救ふ…『椿説弓張月』後篇 巻之三

2022年02月27日 | 絵画・彫刻

漁夫を召(よん)で
陰鬼(ゆうれい) 
嶋君を 
救ふ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

24嶋君をとつて引よせ氷なす刀を抜て、既に刺んとし給ふ折しも…『椿説弓張月』後篇 巻之三

2022年02月26日 | 絵画・彫刻

いよいよ不審(いぶかしく)て、嶋君の懐(ふところ)を搔(かい)探り、件の書翰(ふみ)を引出し、押開きて見給ふ
に一枚(ひとひら)は簓江が遺書(かきおき)にて、忠孝の二つに身をおきかね、自殺をするよしを書
写(かいしる)し、又一枚は為頼の、ひろひ書せし修善寺紙に、筆の運びは稚けれど
こゝろばかりはおとなびて、一旦簓江鬼夜叉がまうすにまかし、舩に乗て候
へども、父上の事おぼつかなく、ふたゝび館に走り帰り、自害して失せ侍る。よしや
しばしは脱(のが)るゝとも、世に立べうも思はぬものを、死すべきときに死なざらば、死する
に劣る辱多しと、日来(ひごろ)教訓したまへるを、けふの事におもひ當りて、㝡期(さいご)を
いそがれ候と書きとゞめたる健気(けなげ)さに、為朝は紙のうへに、はらはらと涙を落し
大息吻(つい)て宣うやう。われ鬼夜叉に賺(すか)されて、大嶋を脱(のが)れ去り、却(かへつて)為頼簓江
等に、死後れしこそ遺恨なれ。彼等もし残り留りぬとしるならば、なでうこゝ
まで退べきぞ。はや子どもらには、簓江を傳(かしづけ)て、利嶋(としま)のかたへ落したり、と鬼
夜叉が申せしによつて、敵この事をしらば討留(うちとどむ)べし。しかるときは、為朝愛
子(まなご)に惑溺し、ひそかに落したりなんど、いはれんが口惜さに、追着(おひつい)てわが手
にかけ、後ろやすく入水せばや、とおもひしものを思ひきや、彼等死してわれ
ひとり、この嶋が根に来たらんとは。こは浅ましとて蹉跎(あしずり)し、智勇に長(たけ)し名
将も、くひの八千(やち)たび身を恨み、㝡期(さいご)をいその卯の花の雪より先へ消よと
て、嶋君をとつて引よせ氷なす刀を抜て、既に刺んとし給ふ折しも、忽地(たちまち)
一艘の猟舩、はつちやう嶋のかたより漕(こぎ)来り、かくと見て声をふりたて、喃(のう)
御曹司、しばし待給へと呼とめつゝ、飛がごとくに乗着て、その舩に跳(おどり)入り、
為朝を押隔て、嶋君を抱きとるものありけり。この人は誰(た)そ。次の巻を
閲(けみ)してしるべし。
 馬琴ふたゝび按ずるに、流布の保元物語に、嘉應二年四月下旬、為朝
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

23はつちやうの枝嶋なる、来嶋(こしま=一名卯木(うつぎ)嶋)に舩を歇(かけ)たまへば…『椿説弓張月』後篇 巻之三

2022年02月25日 | 絵画・彫刻

流にて、武勇抜群なるのみならず、忠を存し、義を守る事、田横(でんくわう)関羽が風
あり。もしこれ弓矢を主(つかさどら)せなば、天下は掌(たなそこ)にめぐらすべし。茂光私の意趣を
散さん為に、討手をまうし請(こふ)といへども為朝の敵手(あひて)にあらず、欺(あざむか)れたるもうべ
なり。見よ見よ、為朝終に志を得ずは、ふたたびよの人に面をあらわすべからず
もし一旦志(こころざし)を得ば、わが家(いへ)の仇ともならんものは、この人なりと宣ひしが、果
して中(あた)ることあり。重盛の先見、かゝる事なほ多かり。是はさておき為朝は
その日鬼夜叉に諫られ、こゝならずも舩に乗て、利嶋(としま)のかたへ落たまひしが
それかとおもふ舩を見ず。さては子どもらは、八郎嶋へ赴きけんとて、ゆくとも
しらず潮にまかしつ。はつちやうの枝嶋なる、来嶋(こしま=一名卯木(うつぎ)嶋)に舩を歇(かけ)たまへば
天(よ)はほのぼのと明にけり。この嶋まては、渡海いと難儀なるに、かく速やかに来
つること、不思議なり、とひとりこちたまへば、忽地(たちまち)船底に、稚児の泣声す。こは
怪しとて、やがて板子を反揚(はねあげ)つゝ見たまふに、あな痛し、嶋君は只ひとり、泣
臥してありしかば、こはいかにとて、忙(いそがは)しく抱きあげ、さまざまに賺(すかし)こしらへて、縁故(ことのもと)を
問給へば、嶋君やうやく涙をとゞめ、きのふ簓江が、兄上とともに舩に乗れ。わが
身も後よりまいり侍らんとまうせしかば、鬼夜叉に伴れて、この船底に潜(しの)び
居り、待てども待てども簓江は来ず。そのとき兄上の宣ふやう、われは家に走り帰り
て、父上と簓江を誘引(いさなひ)てふたゝび来べし。御身はしばらくこゝに坐(おは)せよ。相
構(=注意し)て、声をなたて給ひそと聞えおき、二枚の書翰(ふみ)をわらはが懐にさし入れ
つゝ、慌(あはたゞ)しく野嶋のかたへ走(はせ)去給ひそが、その後はたえて音づれもなし
悲しさいふべうもあらざれど、音なせそと仰(おほ)せしゆえに、堪えしのびて侍り
しかど、今父上の御声をもれ聞て、歓(うれ)しとおもへば、涙のみ、はふり落ておもはず
も声をたて侍りしとて、まはらぬ舌に愛々しく、首尾(はじめおはり)を告げたまへば、為朝
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22みなもとは朽はてにきとおもへども千代の為朝みるべかりけり…『椿説弓張月』後篇 巻之三

2022年02月24日 | 絵画・彫刻

冬枯れに夕顔の棚をながむる心持して、みな思ひの外(ほか)にてぞありける。按ずる
に、参考保元物語に、鎌倉本、半井(なからい)本の異同を挙て曰く。

その後為朝は、家に火をかけ、腹搔(かき)切、中柱に背をあて弓杖(ゆんつえ)をつかへて
立てり。(中柱云々半井本になし)兵共(つはものども)家の焼るを見て、舟ども寄せて打入んとしけるが、
虗死(そらしに)やらんと猶恐しくて、左右(さう)なくも入らず、家の焼落んとしけるとき、
加藤次景廉(かがかど)云々
とあり。かゝれば鬼夜叉が館(たち)に火をかけて、敵を欺きたりといふ説は少しく
据(よりどころ)ありとしるべし。抑(そもそも)為朝十三歳にて筑紫へ下り、九州を三年に打
従へ十八歳にて洛に上り、保元の合戦に名を顕し、大嶋に滴(なが)されて、嶋々
を管領すること十一年、その威徳(いきほひ)華夏(みやこ)に振ふといへども、勅勘(ちょくかん)の身なれば、
終に志(こころざし)を伸るに至らず。嘉応二年四月下旬。二十八歳にて自殺せし
と、世にはいひもて傅へたり。されば往時(いんじ)平治の擾乱(ぢやうらん)に、諸源(しよげん)ことごとく滅亡し
只平家のみ朝恩に浴して、官位俸禄意(こゝろ)にまかせずといふことなし。為朝
の假(にせ)首洛へ上りしころ、何ものかしたりけん。

みなもとは朽はてにきとおもへども千代の為朝みるべかりけり

この哥都鄙(とひ)に傅へて、人口膾炙(=ひとの口に伝わる)にせしば、小松大臣重盛、眉を顰(ひそ)め、ある
人に宣ふやう、為朝はなほこの世にあらんずらん。茂光出しぬかれて、贋首を
捕たりとおぼゆるぞ、と密語(ささやき)給ふに、その人聞きて、こは何をもて、かくは宣ふに
やと問(とふ)。重盛答て、われ街の落手によつてこれをしれり。彼(かの)哥を聞ずや。水元は
朽はてにきとおもへども、とは水元涸れ果てたりとみなおもふべきれど、彼(かの)人なほ存
命(ながらへ)てありといふなり。又千代の為朝見るべかりけりとは、為朝のゆくすえを
祝して、ふたゝび世にも出(いで)、子孫千代までも栄(さかへ)なんといふ也。八郎は源家の嫡
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする