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街の散歩…ひとりあるき

23-24釈尊滅後 五妙神力を現す『釋迦尊御一代記圖會』『釋迦尊御一代記圖會』巻之6

2025年01月15日 | 宗教

后妃も俱に宝塔を守護し火鳳の辺に降り給えば、諸大衆、百国の王、是(こ)は恐れあ
る光臨かなとて首(こうべ)を低(たれ)恭敬礼拝す。此の時、さしも熾(さかん)なりし火気忽然として、
涼風と変じ七宝の砂(いさご)を生じ、金棺の跡には八色の仏舎利金剛の如く現わ
れたり。帝釈天も后妃も感涙と俱に玉塔の裡へ佛舎利を捃(ひろ)い納め飛行童
子に舁(かゝ)せて已に天上へ昇らんとするにぞ、四部の大衆、百王、貴賤、大いに駭き、是(こ)
は如何なる御ことぞや、火気の鎮まる七日七夜、待ち候にも何卒、佛舎利を得て滅後の如
来と拝み奉らん為なるに、尽(こと々)く捃(ひろ)い去り給うぞ。情けなさ可懍(あわれ)一粒づゝを分かち与
え給えと歎き悲しみてぞ願いける。帝釈天、衆人を顧み給い、愚かなる者どもの願いかな。伱等、
信心深く一心に皈命(きみょう)して棺諸を探らば、佛舎利あること猶無数ならん。朕が今、捃(ひろ)うこ
ろの佛舎利は如来在世の昔より固く契約し奉り、後佛出世の時節まで、南
天の鉄塔に納むべきなれば、人間の手に採らんこと可なうまじとぞ、袖を払いて昇天し給いけり。
諸人、天帝の詔命(みことのり)に伏し、各々、一心に三宝を祈念し棺所に立ちよりて見れば、
実(げに)も天帝の勅命の如く佛舎利玲瓏(れいろう)として猶数万片有ければ、皆、歓喜踊
躍し、大衆及び百国の王、八大竜王にいたるまで分かち戴きて、本国に回り各々宝

塔を造って佛舎利を安置し、生身の如来の如く渇仰し種々に供養し奉り、就中(なかんづく)夕
陽山(せきようざん)の明恵比丘尼は、如来の入滅に御悲歎限りなく阿難尊者頼みて佛舎利一片を得、
玉塔を造りて是を納め、阿難を請拓(しょうじょう)して仏舎利供養の為、百日般若を勤め給う。阿難尊
者、其の信心を感じ如来智性摩訶般若舎利経を授けられければ、明恵比丘尼深く怡(よろこ)び朝
夕に此の経を読誦し奉り、信心堅固に行いすまし給いけるが、二年(とせ)立ちて諸根(こん)を脱し終に
大往生の素懐を遂げ給いけり。且亦(かつまた)、如来遺言の如く、迦葉は鶏足(けいそく)山の室に入て法を
修し、舎利弗、可難、富畄那、羅睺羅は祇園精舎に住し、阿難は刀利天生寺に住し、目連は象
頭(ぞうづ)山に入り、各々如来の妙経を説いて素性を済度し、其の余の阿羅漢も諸国の霊場に住んで、
佛法弘通(ぐつう)ある。偖、彼(かの)八大龍王は佛舎利を得て歓喜限りなく是ぞ我が五衰三熱の苦患
を救い給う妙楽微妙の至宝成道の勸具、功徳の如来なりとて渇仰し、龍宮城裡に水晶塔を
建て、佛舎利を篭め朝暮囲繞礼拝けり。されば釈尊の功徳は天上天下にまで普く源
遠くして末益々分かり、中華、日域まで佛法伝わり、三宝に皈依(きえ)し、如来の妙法を修して生老病死
の四大苦を脱し極楽界に往生する者、世々億萬の数を知らず。信ずべし、尊むべしと云々。

釈迦御一代圖會巻六 大尾
以上にて『釋迦尊御一代記圖會』全六巻すべてを終了しました。 
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22-23佛舎利を衛りて百国の諸王 帰国する圖『釋迦尊御一代記圖會』『釋迦尊御一代記圖會』巻之6 

2025年01月14日 | 宗教

佛舎利
を衛(まもり)りて
百国の諸王 
帰国する
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21-22釈尊滅後 五妙神力を現す『釋迦尊御一代記圖會』『釋迦尊御一代記圖會』巻之6

2025年01月13日 | 宗教

拝み奉らず。我に金棺を開きて拝させしめ給えと望まる。阿難、大いに駭き、是(こ)は
おぼろげならん御望かな。如来、滅度を執り給いて已に七日を経候へば今は法相も変わ
り給うらめ。此の義は思い止まり給えとて固く辞(いな)み肯んぜず。然るに不測(ふしき)なるかな。如
来の金棺、自ずから開き、金色の御手を出して迦葉をを招かせ給うにぞ、大衆、大いに
駭きあな恐多(おどろし)や、如来は未だ命終(みょうしゅう)し給はざりけるものを棺に収め、火をかけ奉
りしことの勿体なきよしと、身に冷や汗を流し慚愧後悔す。迦葉は是を耳にも
うけず、阿難をの引いて金棺の側(そば)へ立ち寄り、如来の法相を拝し奉り、随喜の泪に
法衣(ころも)の裙を濡らされけり。其の時、佛、左の御手に法衣と鉄鉢とを執って、迦葉に附属
し給い、右の御手に袈裟と臥具を把(とっ)て阿難に附属し給う。両羅漢慎んで
是を頂戴有りければ、金棺、亦、自ずから扉を閉じ、忽ち一大円相の金光輝き出て
天蓋を照らし、野草樹木悉く金の色となり諸人光明に照らされて、金棺を
定かに見奉ること能わず。次に光明の裡に三冥土現れて、金殿、玉塔、さまざま
見え、其の次には別光惣光とて妙来の智光自然に発(おこり)て、栴檀(せんだん)の薪に燃えう
つり烈然と燃え上がりぬ。其の次には猛火自然(おのずから)火鳳と変じて焰さらに鎮まらず。

其の次には仏舎利出現す。是を涅槃の五妙神力と申せり。不思議というもおろかなり。
諸羅漢、大衆、諸王、貴賤たる、大奇特を見て誰かは信心の発(おこ)らざるべき。皆金
剛合掌して異口同音に南無佛、南無佛と唱えて恭敬礼拝す。其の後焰消え、煙
鎮まりけれども、火気以ての外に強くして近づくこと能わず。斯くの如きこと七日七夜に及び
ければ、大衆、商議して、今は火気を鎮むべしと数百人、跋大河の浄水を汲み運びて
濯ぐといえども火気愈(いよいよ)熾(さかん)なり。舎利弗、堪えかね大龍王に對かい、汝等、雨を降して
火気を鎮め候らえと合しければ、八大龍王承りぬとて恒沙(ごうしゃ)眷族と俱に跋(ばつ)提河
に身を浸し虚空に謄(のぼ)りて水を捲(まき)、風を発(おこ)して大雨を降らし三日三夜、火風に晒(そそげ)
ども火気以前に倍して熾(さかん)なれば、各(おのおの)十計(じっけい)尽きて施すべき方便なく呆れはてゝ忙
然たり。兹に、帝釈天は兼ねて世尊と御契約ありて、當来作佛の結縁の為
如来滅後の佛舎利を南天の鐵塔に収めまほしと願い給いしことなれば、今、入滅の
時に臨み、其の期(とき)を待ち給うに既に惣光の妙火発(おこ)りてより七日七夜に経たれば、今
は仏舎利を捃(ひろ)い納むべき時節なりとて、飛行児童を持って七宝の霊塔を舁(かき)
来たらせ給う。后妃も此の玉塔に従いて天降り給いけり。帝釈天御悦喜限りなく
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20-21釈尊滅後 五妙神力を現す『釋迦尊御一代記圖會』『釋迦尊御一代記圖會』巻之6

2025年01月12日 | 宗教

後れて徐(ようや)く今兹に来たり。剰(あまつさえ)我らが悲嘆を笑い給うはいとも不審の御こと
なりと怒気を含んで問いければ、迦葉、色を正し答えて曰く、ことも愚かの問いことかな。我が三
度笑うは可笑しきこと、嬉しきこと、面白きことと、三つの笑うべきこと在るを以てなり。阿難、
益々怒りて曰く、是(こ)は聞きごとにて候かな。先ず可笑しきこととは何が可笑し候や。迦葉曰く、
和僧はじめ、諸羅漢、如来に随い事(つか)え四十九年の妙説を聴聞しながら、今さら如来
の入滅を有るまじきことのように、法(のり)の魂を失い愁歎あるは、将に阿羅漢の位(くらい)
を放れ俗躰凡夫に異ならず。その可笑しきに笑いしなり。二には、素(もと)、我が師釈尊は
生々の功徳積もりて兜卒天に生じ給い善慧(すい)菩薩と称し奉り、一切
諸天王の尊信厚く上界に在(いまし)て法を説き給いしが、一度、大悲願を発し給い、
下界の一切衆生無量の罪を造り長く悪趣に沈淪するを憐れみあわれ、
是を済度せんとて一生補處(ふしょ)を去って、淨飯王の后妃、摩耶夫人は因位の
結縁有るが上、彼の夫人命数尽きて其の年其の月、命終あるべきを知覚し夢
を托して其の胎内に宿り四月八日に降誕あり、七日の後に夫人は薨(こう)じ給えり。
是、素より天数にて、如来降誕の故あらず。たとえ如来、胎中を借り給わ

ずとも逝去し給うべき定命たり。然るに愚昧肉眼の凡夫の如来誕生ゆえ
に薨(こう)じ給うとおもえるは歯牙するに足らざる僻事なり。其はとまれかくまれ我が
佛如来、御発願の如く下界にましまして広大無辺の法を説き給い一切衆生
を済度し再び寂光の都へ回らせ給えば、さこそ佛心満足給うらんと想うにつ
け嬉しさ限りなくて笑いしなり。三つには、如来は、本、不生不滅の御身なるを
前にいいし如く、普く素性を化益せんため汚穢(おえ)不浄の人界に生を託し、
今、涅槃に入って諸行無常是生滅法生滅々已寂滅為楽の機を示し、
菩薩、羅漢四部の大衆の仏法に心得たるか、未だ不停(とどまざる)かを試し給う事の
面白さに笑いしなり。迦葉が鉄石心未練の悲嘆に発狂すべきにあらず。
固(もと)より天魔波旬に惑わさるべくもあらず。猶も不審の候やと、天に響く大
御にて弁舌流水の如く述べけるにぞ、阿難をはじめとし万億の大衆、百国の
王、民間、賢愚にいたるまで、あっと感じ実(げに)も如来の高弟、滅後の如来
と仰ぐべしと曰いし世尊の金言宜(むべ)なりけりと各々讃歎したりけり。
時に迦葉、阿難に対して曰く、我、諸羅漢に後れて如来涅槃の相好を
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19-20釈尊滅後 五妙神力を現す『釋迦尊御一代記圖會』『釋迦尊御一代記圖會』巻之6

2025年01月11日 | 宗教

迦里伽、半托(た)伽、那伽遅那、因竭陀、没闍羅(ばつしゃら)、弗多羅、戊博迦(じゅばか)、戊那婆斯、阿氏
多、注茶半托迦(ちゅうとはんだか-以上を十六羅漢と云)。此の人々は金棺に先立って金鼓法讃し奉る。是等の
羅漢は万億の御弟子の中にもとりわけ修行の功をはげみ、各々、六通を得
て、蔭の身に添う如く如来に随従し奉ればひ、としお歎きの色深く見えたり。偖
こそ如来も此の人々を解脱の菩薩とは称し給いけり。其の次には五百羅漢(各々を畧す)。
玉旙(ぎょくばん)、宝花、華鬘(けまん)、味燈明及び種々の佛具をとり金棺の背(あと)に随えり。
其の次には比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷四部の大衆送り奉り、其の他、難陀
王をはじめ百国の諸王、民間の老若まで、愁歎の泪を垂れて郊外に充満せり。
斯くて諸羅漢は香薪を積みて金棺を据え、明法々意心を改め華厳、阿
含、方等、般若、法華、涅槃等の妙法を読誦(とくじゅ)し三昧坐禅、観察加行、真言
勤行して、浄火を香薪にうけ荼毘(だび)し奉るに、如何なることにや敢えて燃え移らず。
煙だに揚がらざれば、人々これは如何にとて香薪を積みかえ、香油を注ぎて火を
かけ奉れども愈(いよいよ)火移れざれば大いに駭き、葬法佛意にかなわざるにやと各々商
議あるに、阿那律しばし思惟してはたと手を拍って曰く、香薪燃えざるは摩訶

迦葉を待ち給うならめ。彼(かの)師兄、波婆国鶏足山の室に篭もり奉り、素より六神通
を得、我(が)佛如来すら、滅後の如来と仰ぐべしと曰うに、どの大徳なれば疾くより
如来の涅槃を知るべきに、今に至るまで来たらざるは如何なることや。各々、少時(しばらく)坐禅
観察して待ち給えと告げければ、衆、尤(もっと)も同意し三昧加行して佛棺を囲繞する所
に、果たして、大加葉五百人の徒弟を引いて、天冠寺の郊外に来着しければ、
大衆これを見て、今さら如来の御在世を想い出し、再び悲嘆の泪に衣の袖を
絞りける。大加葉を見て、噫(あな)、気疎(けうと)や、如来、已に滅度を執り給う。人々は何を
悲しむやらんと、天を仰いで大笑すること三度に及ぶ。大衆、興を覚まして呆れ果て、是はそ
も如何に、如来に別れを奉り、悲嘆の余り発狂せしか、亦は、天魔破旬の魅(みいれ)けるかと
て、互いに面を見あわして更に云う所を知らず。阿難尊者、堪えかねて迦葉に對かい、師
兄は如来の出山(しゅつざん)の始めより二弟と俱に徒弟となり給えば、明識抜群なるべきれ
ども、今将に、法王如来入滅し給い、我が輩(ともがら)をはじめ四部の大衆の悲嘆はいえば更
なり。天上の諸神、諸菩薩、地下の龍王、水族より非情の禽獣、諸虫まで悲しみ、
歎きて、如来の別れを惜しみ奉るに、師兄は、如来の臨終の時も来臨なく遙かに
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