時員が枉死(わうし)したるさへ、よるべなきに、今亦幣(ぬさ)を失ひては目暗(めくら)の杖に放れ
たるがごとく、往くも還(かへる)もわがこゝろにざりけり。こは氏の御神も、見放ち給
ひたる歟。そも何とせんと、周章(しうせう)し、惘(もう)然として立在(たたずみ)給へば、燐火(おにび)は頻(しきり)に高く
揚り、低く照らして、導くごとく見えしかば、朝稚はやゝ暁得(さとつ)て落涙し差夫(あゝ)
時員、身こゝに死して、魂われに導くよ。世にも稀なる忠義なり、さらば進
退を、彼にまかすべし、とひとりごち、燐火(おにび)に道を照さして、ゆくともおぼえず
その夜の中(うち)に、十五六里を走りつゝ、ほのぼの明けゆく比、名もしらぬ山の半(なか)
腹に立(たち)給へり怪しき事いふべくもあらで、いたく疲れたれど、山路なれば憩ふ
に家もなし、と見れば巓(とほげ)の方(かた)に當つて煙ちらちらとたち昇りしかば、さては
彼処(かしこ)に人は住むならん、と点頭(うなづき)て、樵夫(きこり)のかよふばかりなる、羊腸(ようちよう)たる山ふと
ころを、芒(すゝき)かきわきからうじて登りたまふに、足よりは血を出し、裾は朝露に
添濡(そぼぬ)れつゝ、そのところへ到り給へば、果して一箇(いつけん)の山寨(やまやしき)ありけり。かゝる深山には
似げなく、由緒(よし)ある人の住居すると見えて、尋常(よのつね)なる家の建ざまにあら
ず。少し引入れたる処に脚(くぐり)門あり。このところは裏門なるべし。折ふし守人も
なかりしかば、つと入りて見給へば、雌(め)手のかたは苑(その)とおぼしくて、黄櫨(はじ=ハゼ)楓、いろいろに
染(そめ)なしたるが、松にまじりていと妙なり。結(ゆひ)まはしたる生垣の木の間に、小鳥の
囀る声、秋情を催し、つくづくと見入るゝ諸(もろ)折戸の半(なかば)開きて、裡には臈長(らうけ)たる
美婦(みやびめ)と、六つ七つばかりなる男の童と、餘念もなく、木の子(み)を拾ひてぞ居たり
ける。正に是、桃源に漢魏を問れし人、仙窟に崔娘(さいぢやう)を闕窺(かいまみ)たる、故事にも
似たりけり。抑も(そもそも)このところは、肥後國益城郡、木原の山中にて、只今木の子(み)を
拾う美婦(みやびめ)は白縫、男の童は舜天丸なり。為朝この山にとゞまり給ひしより、
はやくも七年(ななとせ)の春秋を経て、舜天丸六才になり給ひる。よろづおとなびて、