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街の散歩…ひとりあるき

21-22…一時の瞋恚に倶胝劫の善根を焼き捨てたまうことなかれ…『釋迦尊御一代記圖會』巻1

2024年08月03日 | 宗教

したまえと祈らぬ者もなし。唯、月景城の憍曇彌のみ暗(ひそか)に喜びたまいけるにぞ浅ましか
りけり。斯くして夏過ぎ秋も立ちて、已(すで)に十月の月も満ちければ、いまもや降誕あると淨
飯王は日ごとに青龍城へ使いを立てられ、容躰を問わせたまえども、お産の気(け)はなくその月
も空しく暮れ。十一月(つき)十二月(つき)にもそのことなければ上下色を失い、再び天下の良医
を尋ね需(もと)め医療手を尽くせたまえども、曽て其の験(しるし)なく遂にその年も暮れあらたま
うの春となり如月、弥生と日は立てども愈(いよいよ)御産のことなければ、上(うえ)壹人より下万民
の歎き大かたならず増して。况んや、摩耶夫人の御嘆きはたとえなく、御腹のみ脹(ふくらか) 
になり増さるのみにて、早十五か月を過ぎぬれど臨産のけしきなく、只、息喘(いきせわ)しく
心苦しさのみ日夜に添いて。今は、居起するだに意(こころ)に任せざれば、錦帳の内に
歎き沈み紅涙に枕を𣏓(くた)したまいけるが、余りの苦しさにおずおずつゞけたまうようにも
過ぎつる年の春の夜の夢に、妙なる佛菩薩(みほとけ)の示現(じだん)を蒙りこと見しは、天魔波旬の
障碍(しょうげ)にて斯く身を悩ます端なりけるものを。さはしらずして世に有り難き夢と見て
しかなと悦び、君に告(もう)し、父母に聞こえあげ、皇子の産まれ出でたまうを千年ふる心地し
て待ちけるものを。豈(あに)思いきや、斯許(かばか)り年月を重ねても降誕なかるべしとはさしも

姉君の悦び勇ませたまいし甲斐なく、俱(とも)に恥がわしくも、朽ちおいしくも思(おぼ)すらめ。
もしも誠の妊娠(みもごり)にもあれ斯く数多の月日を過ぎしぬれば、如何なる鬼畜を産(うみ)出だ
して人笑いにやなるらん。是を思い彼を想うにも、生きて憖(なまじい)にいみじき辱(はじ)を見んよ
りとく玉の緒の断(たえ)よかし。難面(つれな)の命よ、あじきなき身と歎きの余りにあらぬ事さへ
かぞえたて泣き明かし泣き暮らしたまうにぞ。羅綾の袂渇くときなく、錦繡の衾(ふすま)も色か
わるばかりに見えさせたまいけり。然るにある夜、過来(おきこ)しかたを思い出で、深き歎きに
御心倦(うみ)疲れ、おもわわず微睡(まどろみ)たまいけりに、忽ち胎内より大光明輝き異香薫じわた
り過ぎつる年、夢に示現したまいし菩薩、珊瑚の乳房をかき分け胎内より出でてたまうと見え
しが、忽然として三十二相を具足させし嬰児(みどりご)となって現れたまい、微妙の御声発して
曰(のたまう)にや、母夫人、聞きたまえ。御身の苦悩の余り、予が御腹に孕(やど)れると天魔破旬の
障碍(しょうげ)かと疑いたまうこと、御理ながら是迷いのうちの迷いなり。我、苟(いやしく) も天上
の楽境(らくきょう)を捨て人間界に生を託するも、一切衆生(いっさいしゅじょう)の頑愚を憐れみ、
生老病死の大苦悩を救い、正覚をとらせんための大願なり。何ぞ悪魔外道の所為なるべき一時の瞋
恚(しんい=怒り)に倶胝劫(ぐていこう=永劫)の善根を焼き捨てたまうことなかれ。それ人界に三つ
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