提婆 世尊に冦(あだ)す 并(ならびに)卒都婆の功徳
世尊、已に慈母と二世の向顔なし給い、説法残る所なく終り給い、今は下界へ下
らんと帝釈天后妃に別れを告げ給えば、ともに余波(なごり)を惜み給いながら、留め果つべきに
あらざれば、帝釈天、天將に命じて如来還幸の路に三つの宝楷を造らしめらる。中
央は閻浮檀金、左は瑠璃、右は瑪瑙、其の雕镂(ほりもの)細密にして人工の及ぶ所にあらず。
世尊、師弟、是を躡(ふん)で降り給うに、梵天葢を犱(く)り、四天王左右を守護し、二十五菩
薩前後を囲繞して花を散らし伎楽を奏し其の他無数の諸菩薩恭
敬礼拝して送り奉り給う。実に尊き御事なりけり。然るに、不測の魔障あり。
世尊の叔父、斛飯王(こくほんおう)御子、提婆逹多は往年(そのかみ)小弓始の勝負、相撲の勝劣
なんどに敗せしより、深く遺恨を含み如何にしても仇を復(かえさ)んものと思いけるに、悉
逹太子、宮中を潜び出行方しらず成り給いしかば、少時(しばし)其の嗔怒を忘れさるに、
学道成就して再び世に出給いてより万人其の法徳を仰ぎ、尊信せざる者
なければ、提婆逹多亦嗔恚(しんい)の炎胸に充ち、世尊を害し佛法を破滅せんと
大悪念を発して摩偈国の北冥山に住む沙性妙顕とて神通広大にて能く魔
神を役使する道士を師として邪道を学び、神変奇特の術を習い究め雨をよ
び風を招く事を得けるが、今、如来の忉利天より降り給うを知り、是ぞ究竟(くっきょう)の時
節よとて十六魔王、百種外道、七種速疾鬼等を招き集め波羅那国の
鉄囲山の半腹に屯し世尊の還幸を妨げ害し奉らんとぞ謀りける。世尊、早や
是を知り給いながらける。悪魔外道をも遂には佛果を得せしめんと却って大慈悲
を生じ給い、些(いささか)も怕れず諸羅漢を引き連れ、雲上より降り給うに、待ち設けし天魔
波旬百千の悪相を現じ、毒霧を振らし、黒雲を発して世尊、師弟を千
重万囲にとり籠め、利(するどき)箭を射くる事雨の如し。世尊、微笑し給い摩迦薩如
意を揮(ふるい)給えば数万の箭さき忽ち五色の妙花と成り、毒霧は却って香風と
成り、いとヾ膚を涼しからしむ。魔軍、この体(てい)を見て大いに怒り、鋼刀を揮(ふり)、長戟
を回して斬り近づく。世尊、亦、如意を以て虚空を拂い給えば数万の刀戟魔
軍の手を離れ、空中に遍満して却って魔神に向かって降り下ること雨の如くなれ
ば、魔軍狼狽(うろた)え周章(あわて)踵(きびす)を返して逃げんとするに、四天王十六善神其の他無数
の天将四方八面に充満して大悲の弓箭を張り、あるいは降魔の利𠝏を閃かし