べし。丸(まろ)発心修行のうち自然死去すとも、遺(かこ)孤とおもい慈しみ育て賜え。長物語を人に聞
せて覚られなば、悔(くゆ)とも更に甲斐あるまじ、早とくとくと忙がせ賜うにぞ、姫は唯夢に夢見る
心地ながら、是非なく立って局々の扉を開けるに曽て淨飯王工匠に仰せて何所(いずれ)の扉を開くに
も其のきしる音宮中、宮外まで響くように造らせ賜いけれども此の夜に限りて些(すこし)の音もせざ
るぞ不思議なりける。太子は姫の教導(あない)に従い殿裡を潜出(しのびいで)賜うにも女官、女童を顧(かえ
り)見賜う、或いは楽器に寄り伏し、或いは調度に立たれ、熟睡せし形(さま)さながら木偶(にんぎょう)の如
くさしも粧い飾りし顔(かんばせ)も見おとりせられ唯革嚢(ふくろ)に穢らわしさを盛り強いて飾るに紅粉
(こうふん)を以てし薫(かお)らずに香草を以てせしのみなれば最(いと)浅ましと打うめき賜いつゝ
辛うじて宮外に出賜い耶偷陀羅女を顧(かえり)て曰く。偕老契り是までなり。丸(まろ)、修行
の功を積み正覚成道せば再び見る期(とき)あるべけれども老少不定の世界、夫(そ)は予(あらかじ)め期
し難(がた)し。丸(まろ)にかわりて母夫人に能ゝ(よいよい)と仕え孝貞怠り賜う事なかれとて早立ち
出んとし賜うを、姫、忙わしく御衣(そ)の袖にすがり着き、君御一人何国(いずく)へ行き賜うべき。剣
山、刀樹の境までも自らを伴い賜えとかき口説き絶えも入るべく泣き賜う。太子頭を振り賜い、執
着は無明の扉、火宅に留めて発心(ほっしん)を焦がせり。信心は娑婆を出るの剱(つるぎ)、煩悩(ぼんのう)の
絆を断って浄刹(じょうせつ)に到る。よしなき歎きせんより疾く宮中に回(かえ)り夜開けて後丸(まろ)が
行方を人問わば唯知らずと答(いらえ)賜えとて心強くも袖を払い賜うに、姫は猶も泣き入て放ち賜わ
ざれば、羅穀(らこく)の御袖さっと裂けて姫の手に止まり、太子は扉を引っ立て其のまゝ厩(うまや)に到
り賜う。姫は、片袖を身に添えて聲をも立てず泣き賜いしが、斯くて果(はつ)べき事ならねば、泣々
起き上がりて局々の扉をもとのごとく鎖固(さしかた)め、自らの閨(ねや)に入り只紅泪(こうるい)にくれ賜う。
心の内ぞ痛わしかりける。斯して太子は厩に到り賜い、車匿(しゃのく-太子の馬の口取名人)や在ると呼び賜
う。其の聲、車匿が耳には雷鳴のごとくに聞こえ、はっ、と答えて其の侭起き出、太子を見奉り
て大いに驚き、更にいう所をしらず。太子、車匿に對かい、丸(まろ)思う旨あれば犍陟(こんじょく)を曳
けよと曰(のたま)う。車匿ますます愕き、時今、深夜にて出遊し賜うべき時に候わず。将又(はたまた)四
竟大平無事にて逆敵の寄すにも候わず。何の料(りょう)にも御馬を召れ候やと怕れなく難じ奉る。
太子、気を苛ち賜い、小賢しき事を申す者かな。尒(なんじ)、知らずや無常の殺鬼攻め来たる事速や
かなり。丸(まろ)、一切衆生の為に是を降伏せんとす。由なき事を言(もうさ)ず、はやく犍陟(こんじょく)
を牽来出せよと責め賜う。車匿、猶も首を振り、大王かねて勅し錫わば、太子もし夜中に出遊せん
とせば将軍に訴え、其の後、禁門守衛の官人に告げよ、もし此の旨に背く者は罪九族
成らせ賜いける太子頻りに御心苛(いら)ち、斯くて宮中に在らばいつ成道の時在るべき、好々(よいよい)
此の上は父大王、母夫人の貴意(みこころ)に背くとも一度檀特山に到らんと心強くも思い立ち、誰をか
たらいて宮中を潜出(しのびいず)べきと人々に心を付けて窺い錫うに、智才人に勝れ貞操亦類無き耶愉
陀羅女に勝る人なれば、ある夜更け長人(たけひと)定まりて後、太子、耶愉陀羅女を御身近く招き寄せ
賜いいつよりも馴れ馴れしく御物語ありて、偖(さて)、仰せ出されるは、一樹の陰に宿り一河の流れ
を汲むも一世ならぬ奇縁と聞き増して、况んや丸(まろ)と御身と夫婦となる事因位の契り深
ければなり。然れば御身に丸(まろ)が一大事を明かし頼みたき義あり。承け引くべきや否やと曰う。
姫は色を正し、是は改(あらた)なる仰せかな、自ら国を出し時より命をを君に奉り、故郷の父母
同胞をも顧みず君の御為ならば焰の中にも水の底にも赴き侍るべし。何ごとにあれ
仰せを背き候わじとぞ答えける。太子、悦ばせ賜い其の赤心を見る上は何をか包むべき。丸(まろ)は
普通の人に変わり母夫人の胎内に在ること三年におよび萬の苦悩を見せ奉りし上
出誕の後七日にして實の母君は逝去賜いぬ。然れば其の菩提を弔い且は一切衆生を
化度(けど)せん為に出家学道の望多年なり。然れども父大王、姨(おば)夫人の慈愛にほだされ
今日まで黙止たれども丸(まろ)已に十九才、今出離せずして何時をか期(ご)すべき、依って
今宵、宮中を潜(しのび)出んと思えり。御身、潜に引路(あない)して宮門を開き丸(まろ)を伴い出(いで)候へ
と思い入って仰せければ、姫は、はっと胸塞がり、かゝる御望あればこそ先頃御母夫人の微細(こまご
ま)と教訓し賜いたれ。此の身の浮沈此の時なり。太子の御心に従えば御母公の御恨みを受けん、母君
の恨みを受けじとすれば太子の御心に背くに至る。是(こ)は如何にせまじと、思い困(こん)し両の眼よ
り湧き出る泪泉の如く、何と答(いらえ)ん詞(ことば)だになく、只、平伏して泣き居賜いければ、太子少し
気色を損じ賜い、是は言い甲斐なき心かな、此の宮中に丸(まろ)が言を背くまじき者は御身のみと思
えばこそ、かゝる一大事も告げたれ。然るを猶、承引じとならば七百生の契りを断ち、丸、自ら出
ずべしとて突然として起ち賜うを、姫、急に押し留め、是は如何なる御ことぞや。誓い奉りし詞を如
何でか背き候べき。然もあれ此の宮中に参り新宮に備わりしは名のみにて、一度も衾(ふすま)をとも
になづさい賜わず。今飽かぬ別れをなし奉るさえに、御父大王、御母君の問い賜わんに、何と言いと
くよしもなく潜出賜いしを知らしめば、いかさまにか自らを責め恨み賜うべきとおもうにも有りて
甲斐なき玉の緒の絶えぬぞながき恨みなれ。と、亦、伏し沈みてよゝと泣き賜う。太子も其の心中
を察しやり賜い、御衣の袖を濡らし賜いけるが、右の手の人差し指にて姫の懐を指さし賜い、さな深
く歎き賜いそ。丸(まろ)御身と枕席は交えざれども、今日よりして三年(みとせ)の後必ず男子を産む
限りなしと雖も先ず文道、音聲道、糸竹の道、歌舞の道、陰陽、算数、天文地理或は弓馬軍
戦の道其の余は枚挙に遑(いとま)あらず。是等は猶技芸の道たれば暫くさしおき真の道と号
するは心を友とする道にて所謂賢道、明道、聖道の三道なり。賢道と謂(いう)は発心報
謝の道にて金仙の終(しゆ)する所。明道と謂(いう)は明始(めうし)験者證家の秘事と承る。偖(さて)聖道
とは仁義撫育の道にして国土安全の大道なり。此の三道いずれにても学び究めし人を
真の人と申すなりと答う。後の童(わらべ)又問て曰く、聖道は世に有事(あること)誰も知る所なり。唯、
賢道、明道という道を知らず。そも何国(いづく)に候や。答えて曰く、吾も往きては見ず候えども或人
の申されしは、此国の天門に當って行程一千三百里を隔て檀特山の峯嶺(ほうれい)より
雪山医王摩黎山(れいせん)青龍説多羅摩迦毘羅阿私屈陀般若僧婆羅育陀金剛胎
なんど衆(もろもろ)の法(のり)の峯打続き、賢道無為の神仙心を友とし、行いすまして住むと聞く。又鬼
門に當て一千二百五十里の行程を隔て阿育山阿私陀山喜羅々阿閦(あじゅく)部妙見臺
尸(し)羅摩訶羅優鉢羅山なんどの霊山有り、皆是明始験者の行いをいます所な
りと聞き及べり。是にても、猶世になし申すべきやと言語よどみなく説きければ、後の児
童は言句に詰まり、赤面して口を閉じたり。太子は始めより二人の問答を聞き居賜いしが発
心修行の名山を聞き賜いて心中御喜悦限りなく、是しかしながら諸天、丸(まろ)が誠心を憐れみ此の
児童に託して言わしめ賜うにこそと感慨し賜いながら、さあらぬ躰にて仰せけるは、実にも珍しき
物語を聞くものかな。但し一千三百余里の行程は陸つゞきにや、海路にやと問い賜うに、先の童子
が曰く。五百里は陸野道(りくやどう)にて民家も候よし、五百里は谷川道とて或いは大河、或いは幽谷
にて漁夫、山賤の栖(すみか)はまれまれに在れども甚だ難路のよし。三百里は山道にて尤も嶮岨のよ
し承け賜り候と何心なく語りけるを太子よくよく聞たり賜い、偖(さて)は往くに難からず。是や出離
の先達なりけりと心ひとつに収め賜い、諸童子を労(ねぎら)い賜い、汝達の物語にて日頃の鬱憤を
晴らしぬ。今宵は夜も更ければ亦こそ来たりて語り慰め候へとてそれぞれに賞物を賜い、
御いとまくだされければ諸童子は大悦び君恩を謝して宮中を退出(まかりで)ける。
悉逹太子 宮中を出でて檀特山に赴く
其の后(のち)太子は彼児童が問答を胸中に記し都城より天門(巽の方を云う)一千三百里彼方なる
檀特山に分け登り、発心の師をもとめ年月の宿意を遂げばやと、思し召すども淨飯王の
法令厳しく、仮初めの御出遊にも数多の官人前後を囲繞し、夜は四問の守衛(まもり)難ければ、
宮中を潜出(しのびいで)賜う便りなく、心ならずも春と暮れし秋と過ぎ、已(すで)に御年十九歳にぞ
好容夫人皇子を生み賜う。是を後に難陀太子と申し奉りぬ。淨飯王の御歓びはいうも更なり。満潮
の百官より末々民間まで萬世を唱えて祝し奉りけり。
悉逹太子 暗に檀徳法臺を知る
難陀太子降誕によって王宮は賑わい賜えども、独り、悉逹太子のみ郊外に於いて比丘の説を聞き賜
いしより愈(いよいよ)出塵厭離(しつじんえんり)の念崑崙(こんろん)の嶺(みね)よりも高く、如何にもして宮中を
潜出(しのびで)ばやと思し召せども、那里(いずく)に到りて発心の師を得べきと思い煩い賜いしが、吃(き
つ)と心づき賜い誠や人の語り草にも十人語れば十里の事を知ると謂えり。臣下の息男の中に才知あ
るものを呼び集め、四方八方(よもやま)の事を語らせて聞けば自然(のずから)発心の師の在所(ざいしょ)を知
ることもあらめとて憍曇弥の御許へ使いを立々れ、丸(まろ)この頃は頗(しきり)に糸竹の音を聞くも懶(も
のうし)候へば何卒諸卿の子息の中にて才知ある者を数人召し寄せ賜え。其等に物語りさせて意(こころ)
を慰め候わんと申させて賜う。母夫人聞き賜い、是は然るべき御心慰めなめりとて王宮へ其の旨奏
し賜うに、淨飯王も理(ことわり)に思され星光臣に命じて、月卿雲客の中にて弁才ある男を撰ませ賜う
に即ち十三人を撰出して太子の宮中へ進(まい)らせけり。太子大いに悦ばせ賜い、其の童子等を御前に
集え、昼夜種々の物語をさせて聞き賜う。児童等は興ある事に思い己が随思見聞きたる事を誠虚誕(まことそらごと)
とりまぜて代わるがわるにぞ話ける。太子は唯、出離の師を需(もとめ)ん為の方便なれども、うちつ
けに然る事を問ば自然(おのずから)世に漏て宮中を潜(しのび)出べき妨げに成なん。不知(しかじ)ごとに託(か
こつき)て其の緒(いとぐち)を曳出さんにはとて、さあらぬ体にて衆童に對い仰けるは、いかに伱(なん)達、
天地の間に住ほどの生とし生る者も皆、丸(まろ)が如く心々)に友を集め遊ぶやらんと仰せ出されけれ
ば、一人の童(わらべ)賢(さかしら)たち申やうさんは、皆それぞれの友を得て遊び候なり。然れどもまた
品々易(かわ)る事の候。先ず龍は諸虫にして諸々の虫と麟牙(りんげ)をならべず。麒麟は諸畜にして諸々
の畜(けもの)と脚蹱(きゃくしょう)をつらねずと申し候。然れども是等は情(こころ) なき者なれば、友をもっ
て己々が情を見(あらわ)し候ゆえに半時も友を離れず。人は万物の霊にて心を以て友とし、心の合わざ
るを友とせず。然ば我をしらんと欲せば其の友を見るべしと古き聖も申し候と語りぬ。然るに一人
の児童進み出て、禽獣の上はいうにも形を以て友とする事勿論なり。但し人間の上に於て心を友と
すること信(うけ)がたし。親子兄弟形容(かたち)は似れども心は斉しからず。况んや他人の心斉しき人は
有るべからず。其の人なしとて我が心を友とし独り慰む者有るべきやと難じける。先の童子が曰、
是は頑なにも聞とり賜うかな、心なき人の上は論なし。吾が申すは道ある人の上を論じ候なりとい
う。後の童が曰(いう)、其の道とは如何なる事にや、言(こと)の序(ついで)に承りなんとぞ申しける。先の
童子が曰く。吾も精しくは知らず候えども聞き及びたる程は語(かたり)候べし。それ世上も道と稱える者数