LeicaM8.2/ elmarit 28mm
「1896(明治29)年平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見した。
それまでの種子植物はすべて花粉管が伸長し造卵器に達して受精するものと思われていたの
で、この発見は世界の学会に大きな反響を起こした。
平瀬は当時帝国大学植物学教室の助手で、講義や研究のために図を描くかたわら『イチョウ
の受胎期および胚の発生に関する研究』を行っていた。
このイチョウ精子発見は池野成一郎のソテツ精子発見とともに日本の近代植物学の発展期に
おける最大の貢献といわれている。」東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)
この平瀬作五郎氏の発見について、牧野富太郎博士はこう解説する。
「こんな重大な世界的の発見をしたのだから、普通なら無論平瀬氏は易々と博士号ももら
える資格があるといってよいものであったが、世事魔多く底には底があって、不幸にもそ
の栄冠をかちえなかったばかりでなく、たちまち策動者の犠牲となって江州は琵琶湖畔彦
根町に建てられてある彦根中学校の教師として遠く左遷せられる憂目をみたのは、憐れと
いうも愚かな話であった。けれども赫々たるその功績は没すべくもなく、公刊せられた
『大学紀要』上におけるその論文は燦然としていつまでも光彩を放っている。宜べなる哉、
後ち明治四十五年(1912)に帝国学士院から恩賜賞ならびに賞金を授与せられる栄光を担っ
た」(牧野富太郎著『植物一日一題』より)
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「1896(明治29)年平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見した。
それまでの種子植物はすべて花粉管が伸長し造卵器に達して受精するものと思われていたの
で、この発見は世界の学会に大きな反響を起こした。
平瀬は当時帝国大学植物学教室の助手で、講義や研究のために図を描くかたわら『イチョウ
の受胎期および胚の発生に関する研究』を行っていた。
このイチョウ精子発見は池野成一郎のソテツ精子発見とともに日本の近代植物学の発展期に
おける最大の貢献といわれている。」東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)
この平瀬作五郎氏の発見について、牧野富太郎博士はこう解説する。
「こんな重大な世界的の発見をしたのだから、普通なら無論平瀬氏は易々と博士号ももら
える資格があるといってよいものであったが、世事魔多く底には底があって、不幸にもそ
の栄冠をかちえなかったばかりでなく、たちまち策動者の犠牲となって江州は琵琶湖畔彦
根町に建てられてある彦根中学校の教師として遠く左遷せられる憂目をみたのは、憐れと
いうも愚かな話であった。けれども赫々たるその功績は没すべくもなく、公刊せられた
『大学紀要』上におけるその論文は燦然としていつまでも光彩を放っている。宜べなる哉、
後ち明治四十五年(1912)に帝国学士院から恩賜賞ならびに賞金を授与せられる栄光を担っ
た」(牧野富太郎著『植物一日一題』より)
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