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街の散歩…ひとりあるき

07-08 三年が間、胎内に宿り幾ばくの憂きを見せ奉る…『釋迦尊御一代記圖會』巻之2

2024年08月15日 | 宗教

べき。然はあれど今宣わせし母の十恩とは、如何なることを申すにや。願くは説き聞かせた
まへと問いたまう。太子、頷いて曰(のたま)わく。第一は、懐胎主護の恩と云いて孕(こもごり)よう。
此のかた十月の間の苦しみ。居起(いたち)も心に任せず、仮初めの物の響きにも愕き騒ぎて心の
休むひまもあらず。二には、飲食禁忌の恩。孕みてより五味の味わいを失い、朝夕食を甘はず。
細々欲する食味ありとも禁毒を怕れて敢えて食せず。三には、臨産受苦の恩。已(すで)に産の気
萌(きざ)しては疼痛五臓を裂くがごとく八寒八熱の苦患というとも争(いかで)か是に勝るべき。
四には、生死妄憂の恩。産に臨み汚穢(おえ)不浄のけがらわしきをも厭わず、只出産の児の
五体具足せんことをのみ願う。五は、初声聞夢(もんむ)の恩。已(すで)に降産し心遠く魂消え、
夢に夢見る如く、半死半生の間にも、一度、産声耳に入れば我、身の死生を忘ればや、
愛憐(あいれん)の心いや増し健やかに成長せんことを願う。その慈悲心、何を持って喩うべき。
六に、養育、覆衣の恩。初衣(うぶぎぬ)を始めとして、寒暑の衣服に心をゆだね、冬は温かに夏
は涼しく春の日長しといえども、花を見すてゝ乳房を含め、夏の夜短しといえども諸虫を払
い夢も結ばず。七つは、親疎朋友の恩。やや成長して他所の小児と交じり遊ぶときは
吾が子はもとより、他人の子にも食物を分かち与え、遊戯の具を備え、その機嫌を

量(はか)る、是(これ)、子を思う恩の余りなり。八には、遠路、遊行の恩。さて成長(ひととなり)て遠国
他境へ往ときは其の身は家に留まれども、心は俱に我が子の行方を思い、家路に帰る時までは胸
を休むるひまもなし。九には、□悪蔽覆(そあくへいふく)の恩。我が子もし罪を犯せば他人の見聞きん
ことは申すに及ばず、父にさえ覆い隠し、或いは其の罪を身に蒙り時々諫め正す、その労苦
喩えん方なし。十には、寿命因福の恩。我が子、疾病あるときは天に祈り知に禱り
薬□(し)の為に心身を労し、甚だしきに至っては我が命に代わらんことを願う。以上を
慈母の十恩といいて上は天子より下は民家の末までも身に請けざる者は侍らず。
仮令(たとえ)雪中に肉(しむら)をさらし氷上に骨を削るとも、我身一代にして争(いかで)かこの大恩
をくり報ずることを得べき。増して况んや、丸(まる)は三年が間、胎内に宿り幾ばくの憂き
を見せ奉る、深恩先劫万劫経るとても敢えて報じ奉りがたしと宣うにぞ、摩耶
夫人身にひしひしと思いあたりたまい、我が母君もさこそ無量の苦悩(くるしみ)を請け、躬(みずから)
を産みたまいけんを、唯、よそに見捨て奉ることの勿体なきよと思し召すにも胸つと塞がり
不覚泪にくれたまう。太子は聡く其の心を知覚したまい、如何にや母夫人、過ぎにし
ことな悔やみたまいそ、にんげんの齢を天上の寿にくらぶれば夢幻のごとし唯無為
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