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街の散歩…ひとりあるき

24-25…御産の気はなく人々心をぞいためけり…『釋迦尊御一代記圖會』巻1 

2024年08月06日 | 宗教

胎内白玉の如く透き通り、先に出現したまいし太子、千條(ちすじ)の絲にて絡みつけ
られながら乳房を含み在(ましま)せり。夫人、これを見たまい落涙雨の如く、あな、
いたましや、さしも尊き佛菩薩(みほとけ)の穢れ不浄の我が胎内に孕(やどら)せたまえばこそ、
かゝる憂き目を見せ奉る憂したさよとて、我と御身を抱きしめ一声、あっ、と泣くと
思いたまえば愕然として夢覚めたまえり。夫人、思わず褥の上に起きなおりしばし忙然
として居たまいる。が、つらつら夢のうちの事を思いつゞけたまうに、始めより終わりまで太
子説法したまいしを一句も忘れたまうことなく、諳んじたまいなお目の当たりに見る如くなれ
ば、さては妾、身の起ち居苦しきまゝに、先年、菩薩の胎内に宿らせたまうと見しは天魔破旬
の障礙にやと疑いしより、かゝる示現を蒙りしにこそ。唯、思いもかけず恐ろしきは
姉君の嫉みなり。いま、よくよく思えば月景城より帰りて幾ほどなく、世に恐ろしき夢
を見、それより胎内の皇子も身じろぎたまはず、身の常(ただ)ならず苦しくのみなり
増さりしは、彼の二人道士が呪詛しける験(しる)しにこそと思ぼすにも、身の毛竪(よだつ)て心
寒く、且は、我身有るがゆえに、姉君にかゝる悪しき御心も出で来しならめ、是、姉君の
科にはあらず。自からなせし罪なり。夢のうちに説きたまいし十定(じゅうじょう)の掟の中に

も“因果の理を知って他を恨む事なかれ” との御示しこそ有り難かれ。将に、これしきは
姉君の心を和らげ却って大道心の善女となりたまう期(とき)を待って世に生まれ出でんと宣え
ば、末遂に平らかに皇子をよろこび奉らんこと疑いなし。かゝる夢想を蒙りし上は、また何
をか憂うべきと歓喜踊躍したまうこと限りなく、これいままでの患病(いたづき)余波(なごり)癒えて
いと健やかになりたまい、朝夕の飲食も励み心もうきうきとならせたまいぬ。されども菩薩の
誡めを心に守り、夢のうちの事どもを敢えて口外したまわざれば、傅(かしづ)きの女官をはじめ
烏将軍夫婦も菩薩の神力のなすを所とは夢にも知らず。唯、これ医療
の巧験なりと思い悦ぶこと浅からず。各々日頃困(くるし)めし心を安んじ、王宮へもこの旨
啓奏なりにける。淨飯王も少しく叡慮を安んじたまい、頓(とみ)に青龍城へ臨幸
あって夫人に対顔したまい患病(いかづき)平癒を祝したまい、なおも保養を加うべきよし
勅定なりて還御なしたまいる。烏将軍夫妻は后妃の患病(やまい)怠りたまう上
は必定、近きに皇子降誕したもうらめ只此の上は悩みなく平産なしたまう事
を天地に祈り、今やいまやと日夜に待ちけれども、敢えて御産の気はなく
已に二年十月を暈ねければ、若しや御懐妊にてはなく血病などの
所(さゞ)なるやと疑いあやぶみ人々心をぞいためけり。

釈迦御一代圖會巻之一畢(おわる)

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