茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

名前

2008年09月15日 | Weblog
北野天満宮で秀吉が大茶会を開いたのは1587年。
この時、チーフディレクターを務めたのが利休さん。
千利休の名前は、この時から広く世に知られるようになりました。
死の、たった3年前のことです。

「利休」という名前の由来については、諸説あります。
堺の商家(屋号「魚屋)」)生まれの幼名、与四郎くん、
のちに宗易と名乗っていた利休さん。
町人の身分では参加できない茶会にまで、
なくてはならない人となってきた時(1985年)に、
正親町天皇から下賜された居士号が「利休」だったわけです。

でも、名づけ親が正親町天皇だったわけではなく、
考案者は、大林宗套とも古渓宗陳とも、
また別の説もありで、
つまり、なぜ「利休」なのかとなると、
正解はこれですというものは現在のところない、
ということになります。
通説としては、
「名利、既に休す」からとする場合が多いようですが、
「利心、休せよ」からであるとも。

私は、
「陸羽」から来たのではないかな説を
膨らませていきたいと思っています。
陸羽というのは8世紀の唐の人で、
『茶経』を著した人として知られています。
不幸な生い立ちに翻弄されることなく、
茶を点てる腕、
茶会での人との出会いを楽しむ知性、
生きることへの美意識や探究心、
そうした、本人が培ってきた徳から、
茶神、茶聖、茶王、茶仙、茶祖などと呼ばれるようになった人です。

16世紀の堺の人が、
どの程度、8世紀の陸羽の情報を持っていたのか、
大変興味のあることです。
RIKUUの人生に興味を持っていたRIKYUU。
ぼく、RIKUUがいいな、って希望を漏らしていたかもです。
発音は、ま、おんなじ感じ?
利休も茶聖と呼ばれるようになりました。

月の光

2008年09月14日 | Weblog
名月を取ってくれよと泣く子だよん

頭の上までやってきました、お月さま。
今宵は月に引き留められて、
朝を迎えようかと。
月の入りは四時とか。
いましばし、一服。

本日、月見茶会の会場となったのは朝雲庵。
大阪城内にあった利休屋敷の茶室を復元した深三畳台目のお茶室です。
利休さんが設計した茶室で現存するものは、
京都大山崎の妙喜庵待庵のみ。
こちらは当時と同じ場所にほとんどそのままの姿で残っています。
朝雲庵は、利休さんの弟子の山上宗二が残した間取りや資料をもとに、
茶室建築研究家の中村昌生教授が監修して復元したものです。
一畳足らずの点前座からは正客が見えないような設計になっていました。
一客一亭で対座するひと時、
まさに気配と息づかいの世界です。

そこに、今日は6人入り、
あーだこーだと茶室談義。
暑かったでーす。
コオロギもコーロゴロチーロヂロを大声で叫んでいたお昼間、
月が待ち遠しいよきプロローグでした。

「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」
とは、平安時代の歌(大江千里)です。
古来、人は月を見上げ、月に想い、月へ託してきました。
今宵も、たくさんの人が様々に月を見ていることでしょう。
私も36万キロの旅のどこかに、
利休さんのウインクを探して、また一服。

月。
かぐや姫は帰るし、狼男は化けるし、魔女は黒ミサを始めるし、
貫一さんはお宮さんを足蹴にするし、兎さんは身を焼くし・・・
あれ?
やっぱり、早く寝ようかな。

酔っ払っても

2008年09月13日 | Weblog
酔っ払ってます。

ワイン好きな人、
驚くなかれ。
ムルソーシュヴァリエジャンモニエ
ジュヴレシャンベルタン1988シャルルヴェノ
ジュヴレシャンベッルタンラボサンジャーク1992フレデリュクエスモナン
ボーヌペリエール1級1983ルロワ
ボーヌアヴォー1級1989ルイジャド
ニュイサンジョルジュ、ドミニクローラン
ニュイサンジョルジュレフルリエール1993ジャンジャークコンフィロン
ニィサンジョルジュ、レ、リュドショー1級1993シコートジョルジュ
オスピスドボーヌ、ボーヌ1990キュベブリュネ、メゾンルイラツール
オスピスドボーヌ、ポマール、2005キュベジェザンヌシャウロドン、ジブリオット
今日は、この10本を10人で飲んじゃいました。
そんな会を二か月に一回やってます。
ワインが大好きなS氏。
わーお、と思うワインを買ってはみんなで飲むのを楽しみにしている人でした。
突然亡くなって、山のように残ったワインを皆で飲ませていただいています。
あーあ、生きていなくちゃ。

今日は、十五夜の前日なので、
私は一生懸命お茶をたてました。
いつも、おいしい思いばかりさせていただいているので、
何かさせていただきたいと悩んでいました。
お茶の道具を一式もって飲み会に行ったのですが、
なんせ、飲み会ですからねー。
お抹茶なんて、どー言いだそうかなと思っていたんです。
そしたら、その荷物は何?とふってくれた人がいて、
よろしかったらお抹茶を一服いかがですか?なんて、
KYかな?と思いつつ聞いたりして。

そしたら、
みんな、いい気分で酔っ払っているにもかかわらず、
アホな私のしょうもない申し出につきあって下さいました。
クラックラに酔っていたのに、
茶筅を持ったら正気!
10人にお茶を点てさせていただきました。
Sさん、ありがとう。

死んじゃ、おしまいだよ-。

画像は、お菓子のコスモス。
花言葉は真心です。

抹茶サイダー

2008年09月12日 | Weblog
お茶のお稽古が終わった後の
お棗に残ったお抹茶。
湿気や酸化のことを思うと、また缶に戻すのも憚れ、
といって、ささっとお薄にしていただくには多すぎる。

大概の場合、
シェーカーに入れてミルクとお砂糖でシェイクシェイク、
おいしい美味しい抹茶セーキにしていただいています。
今日は、
目の前に「MITSUYA CIDER」があったので、
お濃い茶のようにどろ~んと点てたお茶にサイダー投入!
あ~~~~~、
サイダーにアイスクリームを入れたときのように大噴火、
一瞬にして、テーブルが緑の湖に~~~
なんてことにするわけにはいきません、私はお茶の先生だ!

大急ぎで飲んで飲んで飲んで・・・
あっ?
おいしい~。
緑もきれい!さわやかっ!お抹茶の甘みもばっちり!
こんなに美味しいのに、
どーしてないのでしょう、抹茶サイダー。

いやいや、やはりありました。

「寿屋清涼食品 抹茶イダー」
名前どおり抹茶+サイダー。ちゃんと抹茶と碾茶が入ってます。サイダーとしての甘さや炭酸もちょうどよく、抹茶キャンディのような味、お茶の香りが後味をさわやかに。 340ml/100円

調子に乗って、
煎茶サイダーも試してみました。
おいしいー。
ちょっと甘すぎる感もありで、CRYSTAL GEYSER にて。
あ、大人の味?

なものですから、おなかガバガバ。

島根県

2008年09月11日 | Weblog
NHKの『SONGS』で、
薬師丸ひろ子さんの歌声を久しぶりに聴きました。
20年ほど前に買った彼女のCD「Sentence」、
その中の「胸の振子」が大好きなんですが、
カラオケにないんですよねー、これ。

今回の番組では、
ひろ子ちゃんが島根県の小さな学校を訪ね、
10人の合唱団と交流するものでしたが、
その場所が「雲南市」・・・。
なに?うんなんし?洗濯物を干す手が止まりました。
そのような場所があるのかと調べてみれば、出雲のお隣!
でも、2004年にできた新しい市だそうで、がつかり。
出雲の南だからかあ。
学生の頃は地理とか歴史はあまり好きではありませんでしたが、
今は、地図を見ているだけでワクワクしてきます。

島根県と言えば、
一世帯当たりのお茶の消費量の高いところです。
中国・四国地方では高知県に次ぐお茶の生産地でもあります。
『経国集』(827年)という平安時代の漢詩集には、
出雲臣太守の茶歌に和すとして、
 山中の茗、早春の枝
 萌芽を摘み採って茶とする時
 山傍の老は愛でて宝となし
 独り金鑪に対い炙り燥かしむ
という、嵯峨天皇の官女の詩があります。
出雲臣はどんな歌を詠んだのでしょうね。
栄西より、ずっと前のことです。

島根県には、お茶を枝のまま刈りとって、
そのまま干した日干番茶というお茶があります。
そして、そのお茶に乾燥した茶の花をいれてなが~い茶筅で泡立てる、
ぼてぼて茶というお茶漬けがあります。
泡立ったお茶におこわ、煮豆、高野豆腐、漬物などを入れて
飲むように食べるのです。
これは、たたら職人(製鉄)の食事が原型であったとか。
製鉄の歴史もまた、日本と大陸との関係を見る上で重要な要素です。
お茶との関係も深そうで、
あ~、また眠れない。

2008年09月10日 | Weblog
今日は二百二十日。
二百十日に続き、この日もまた嵐への注意が喚起されています。
「二八月に思う子船に乗するな」という言葉があります。
海がしけるので船に乗るのは危険だということ。

えー、
わが息子は、今、船に乗っています。
何屋さんになるのかわかりませんが、
「ありえねえ青さ」にはまり、海の学校に行っています。
韓国映画「海神(へしん)」は9世紀のドラマです。
韓国、中国、日本の三角貿易をはじめるチャンポゴの物語。
海と船がいっぱい出てくるので、息子と見ています。
船大工がかっこよくて、帆船がたまらなくて、
「ねーねー、和舟をつくるという過程が、どーして学校にないの?」
と、無茶な質問をする母に、
「動力のついていない、しかも木の船でなんて、
大島にだって行きたくない」と情けない回答をする息子。

「栄西はね、お茶の種をもっと大変な船で持ってきてくれたんだよ!」
何を熱弁しているんだ・・・

歴史の教科書には、重要人物の渡航記録しかありませんが、
もっともっとたくさんの人が行き来していたであろうことは想像に足ります。
「海神」を見ていても、
日本人がたくさん韓国に来ていて、
お茶や絹や石器や鉄器など、様々な取引をしているのがわかります。

四国に雲南をルーツとするお茶があることは書きましたが、
瀬戸内の漁師の生活誌を追うと、
お茶のルーツがまだまだいろいろわかってくるとのこと。

お茶と船、ロマンが広がります。

この画像の船はお急須なんですよ。

隠逸の花

2008年09月09日 | Weblog
今日は重陽の節句です。
一番大きい陽(奇数)の数「九」、それが重なるので重陽。
1月・七草の節供、3月・桃の節供、5月・菖蒲の節供、7月・笹の節供ときて、
9月は別名、菊の節供と呼ばれています。

菊の節供の行事として、
菊の花に被綿(きせわた)をして、
その綿に朝の露をたっぷり浸みこませ、
それで体を拭き清め穢れを祓うというものがありますが、
これは陰暦の9月9日を待った方が風情がありそうです。

ところで、
菊の花は、別名、隠逸花(いんいつのはな)と言うのをご存じでしょうか。

一介の町民であった千宗易(利休)が、
正親町天皇より「利休居士」の号の賜った時、
大徳寺の古溪和尚はそれを祝って以下のような歌を贈りました。

庚老は神通の作家
飢え来れば飯を喫し、茶に遇うては茶
心空及第して等閑に看る
風露新たに香る隠逸の花

庚老は神通力さえもつ唐時代の名だたる禅者であるが、
利休居士も、喫茶喫飯の中に自由無碍なる神通力が現れていて、
仏法優れた境地を得ている。
庚居士は大悟して「心空及第して帰る」と述べているが、
利休居士も庚居士と同等に悟りの境涯に及第している。
ふと庭を眺めれば、菊の花が露を宿し、
風を受けてその気高い香りを放っている。
と言うような意味だそうです。

隠逸の花とは、
闇夜その所在がわからなくても、
その清香によって存在が知れる、ということろからきています。
古溪和尚は利休の存在を、まさに、隠逸の花の様であると賛美したのです。

菊の花の花言葉は、「高潔」、「高貴」だそうです。

ひと息いれよう

2008年09月08日 | Weblog
マイペンライ!
と言うだけで、たくさんの楽しい思い出があふれ、
いつまでも話の尽きない昔の仲間と会いました。
「東南アジア青年の船」に参加してから、もう20年。
なんたってテンションの高いみんな、
乗りのいいみんな、
それぞれに20代、30代を楽しく爆走してきたようです。
それでも40代を迎えるようになると、
「~ちゃん」と呼び合いながらも、話題は病気のこと。
だんだんこーなるのですねー。

そこで皆さん、
「お茶のある生活をしよう!」ね。
以下に「日本茶インストラクター協会」のHPにある、
茶カテキンの効能をご紹介しますので、
一度、よーく読んで、
「朝茶をのがすな」と昔から言われている意味を思い起こして下さいね。

茶カテキンの12の機能
抗酸化作用
抗菌作用
消臭作用
抗ウイルス作用
血糖上昇抑制作用
血圧上昇抑制作用
コレステロール上昇抑制作用
整腸作用
虫歯予防作用
ダイエット作用
抗アレルギー作用
がん予防作用

http://www.nihoncha-inst.com/html/catechin/12f/01.html

マイペンライとはタイ語、「ドンマイ」とか「ま、いっか」と言うような意味です。
カテキンとマイペンライで長生きしようね!

2008年09月07日 | Weblog
「おいしいワインがあるわよ~」
と、呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん。
「となりのMr.Gも呼んでるの~」の一言に、
おーし!と、大島紬の竹かごに、
お茶碗、お茶筅、お茶杓つめて、
お抹茶をするするすると掃き、
ワインとお茶の会(勝手に命名)へGO!

「私はニューヨークで、裏千家を習っていました。
お抹茶、八年ぶりです~。」

えーっ、そうだったの?
大きな手でシャカシャカとお抹茶を点て、
うーん、やっぱりテーブルは駄目ね、と
立ち上がってシャカシャカ。
そう、確かにテーブルの高さは、お抹茶を点てるのにはきついのです。

NYでは畳で正座だったのですか?

「はい、もちろんです。」

今、日本でもお椅子席が増えています。
足の痛いのを我慢させて、おもてなしもへったくれもないと私は考えますから、
正座が苦手のお客様は椅子でよいでしょう。
点てる方にも、立礼(りゅうれい)と言う作法があるのもよいかと思います。
大切なのは、なぜ正座なのかと言う事を考えることをやめないことだと思います。
体の大きな外国の人が正座をするのは大変なことと思います。
「でも、それが型だから」とさらりと受け止める心、
あー、それこそが、「その道に入らんと思う心こそ我身ながらの師匠なりけれ」
の神髄なのだなあと思いました。

型を守るということがあるからこそ、不易流行を考えられる、
型が守られてきたからこそ、長い時間軸でものを考えるきっかけとなる、
守破離の「守」は、
大変大変重要な学びの場であると、改めて感じさせていただいた、
抹茶とチョコレートケーキと赤ワインな夜でした。

韓国のお茶

2008年09月06日 | Weblog
新大久保のコリアタウンへ行ってきました。
等身大のヨン様人形に招かれて入ったお店で、
お茶のチョコレートをゲットしました。
韓国最南端の島、済州島、
(おお、ちぇじゅとうで変換できました!すご~い)
ここにはドーンと広大な茶畑があるのです。
このチョコはこの島のお茶でつくられたものです。

済州島には「お茶博物館」があり、
そこには三国時代(4世紀~7世紀)に実際に使われていた土器の杯、
高麗時代(10世紀~14世紀)に使われていた青磁器の器、
身分の高い人が使った銀の器などが展示されているとか。
日本の茶道は15世紀以降ですから、
韓国のお茶の歴史の奥深さが感じられますね。

ところが、
1983年に『韓国の茶道文化』という本が出版されるまで、
日本では、韓国には茶道文化がないというのが通説であったそうです。
なぜなら、韓国にはお茶に関する史料が皆無に等しいほどなかったからです。
金明培氏が様々な分野の史料からまとめ上げた韓国のお茶の歴史は、
大陸と日本の新たなる関係史にも迫るものとなりました。

そういえば、
ヨン様の『太王四神紀』にも、素晴らしいお茶畑の場面がありました。
舞台は5世紀の高句麗、お城の中の薬草園がお茶畑でした。
このロケ地となったのは済州島の対岸、
朝鮮半島南端の全羅南道宝城郡にある緑茶生産団地だそうです。
宝城(ポソン)は、日本が植民地時代に栽培技術を伝えた場所と言われていますが、
実は百済の時代からこの地ではお茶が栽培されていたことが
地理志の解読がすすむにつれわかってきています。
仏教とともに韓国に根付いていたお茶文化、
歴史の変遷の中で儒教文化が浸透するうちにお茶も廃れてしまっていたのです。

今、再び宝城は250,000㎡に及ぶ世界最大のお茶のテーマパークを誇っています。
行きたい~~~。
今夜の『太王四神記』は時間変更で23:35からでーす。お間違えなく。

アミノ酸

2008年09月05日 | Weblog
濃厚でコクのある味がおつまみにぴったり!の雪印チーズを食べていました。
ふと、蓋の裏を見ると、
「うまみ成分(アミノ酸)を多く含むため、塩味を強く感じることがあります。」
と書いてあります。
え?アミノ酸って、塩味なの?

混乱しました。
お茶に含まれる旨味成分アミノ酸は「甘い」のではなかったかしら。
お茶の教科書をそーっと確認してみた私の目に、
「濃厚な旨味・甘味にはアミノ酸類濃度が高く関与」の一行!
ほらー、アミノ酸は甘いのよ~と一気に強気になって、
雪印さんに聞いてみました。

「アミノ酸は旨みのほかに苦味を持っています。
アミノ酸が多いと「味が濃い」と感じます。
チーズは塩味を元々持っているので、
苦味と混じって塩味が濃いように感じるのです」とのこと。
ほー。なるほど~。
アミノ酸といってもいろいろな種類があって、
テアニンは確かに、植物の中でもお茶とそのごく近縁種にしか
見つかっていない旨味成分だそうですから、
ひと言でアミノ酸は甘いなんて思っていてはいけないのでした。
だって、考えてみると酸ですものね。

ふと思い出したのですが、
お茶のお稽古に来ている小学生の女の子が以前、
初めてのお抹茶の感想を、「しょっぱい」って言ったんです。
それも一人でなく、二人も。
どこか遠くでしょっぱいって。

お茶に含まれているアミノ酸には、テアニンのほかに、
グルタミン酸、アルギニン、アスパラギン酸などまだまだ沢山の種類があります。
これらの酸味が「しょっぱい」に通じたのでしょうか、
または他の成分でそう感じさせるものがあるのでしょうか。
ああ、ただでさえ「お茶の化学」は苦手なのに・・・
そうだ!暑い日に難しいことを考えるのはよそー。

2008年09月04日 | Weblog
今日のお稽古で、
またまたかわいいお菓子が登場。
「お月さまをイメージしたの」とお友達。
ああ、なんてかわいい三日月、
こんな小さな三日月チャンを作るのは大変だったろうなあと思いながら
ペロンといただいちゃいました。
肌に汗がジンワリとしてくる残暑の9月に、
冷た~いピオーネの宇宙をごくん。
ああ、爽快。

そうそう、暑い暑いと言っているうちに、

月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月

の月になっていました。今年は、

 7日 上弦の月
14日 中秋の名月
15日 満月 18:00
22日 下弦
29日 新月 です。お見逃しなく。

旧暦の8月15日(中秋)に、豊作を祈る行事として「十五夜」が生まれました。
満月の日が、中秋の名月というわけではないのですね。
もう一つのお月見、豆名月は旧暦の9月13日で、今年は10月11日にあたります。
両方見ると、ルナパワーがびびびびびっと来るという・・・。

9月前半は、月だけでなく、
西の空に水星、金星、火星を見ることができるそうです。
11日の夕方は、水星が見やすい位置にあり、
12日の夕方には、金星、火星が二つ並んで見えるそうです。
お昼間がどんなに暑くても、
虫の声が涼しい夕べを連れてきてくれています。
心静かに毎日の糧に感謝したいと思います。

一生懸命

2008年09月03日 | Weblog
『いのち輝け!いんば学舎: 愛を、地球を、いのちを歌え!』
という、チャリティーコンサートに行ってきました。
障害を持つ人々が、農作業という形で社会に参加し、
地域社会とつながりを持って生活してゆく、
という活動を支援する寺井一通氏のコンサートです。

コンサートというものが、
小さい頃から専門の教育を受けてきた
選ばれた人たちによるものだと思っていたのは間違い、
ここで歌っているのは、活動を支援している地域のおじさんおばあさんなど、
最年長は88歳だそうです。
そこに、うれしいと体が動いちゃう、楽しいと歌っちゃう、
そんな仲間たちが加わって、会場全体が踊りだしそうに元気な舞台でした。

人様からお金をとってのコンサートですから、
ふつーの皆さんが、この一年それはそれは一生懸命練習をするのだそうです。
そしてこの2時間に、すべてをかける。
サザンのコンサートにもない、さださんのコンサートにもない、
何かすごいものが感じられる、
ずっと、これは何なのだろうと考えていました。

今日になって思ったこと、
それは、もてなしの心があったのだ、ということです。
ふつーの人たちの楽団をここまでまとめ上げる寺井さんの力もすごいものですが、
地域支援者にも、障害を持つ学舎の人達にも、家族の人々にも、
自分たちのコンサートに来てくれた人になんとか喜んでもらいたい、
来てよかったと思ってもらいたいという一生懸命があったのです。

お茶会が終わった後でこんな爽快な気持ちになることは悲しいかな少ないものです。
自分たちがお茶を点てることに精いっぱいの亭主方、
出てきた道具を評価ばかりしているお客方、
あー、もうお茶会はうんざりだ、ということが多いのは残念なことです。

寺井さんのコンサートは、帰りの駅のホームでも、
何人もの、障害のあるお子さんを持つお母さんたちが泣いていました。
よかった、本当によかった・・・って。
なんてすばらしい一期一会でしょう。
あの2時間は同じ境遇のお母さんたちの励みになったのでしょう。

一生懸命な姿が、素晴らしいメッセージを人に与えるということ、
改めて肝に銘じさせていただいたひとときでした。
どこを向いて努力するのか、
いつもその原点を忘れないようにしたいと思います。
歌う方丈、踊る方丈、
本当に素晴らしい一座建立を見せていただきました。
感謝。

人間性の一碗

2008年09月02日 | Weblog
今日は、岡倉天心(1863年2月14日 - 1913年9月2日)忌です。
天心といえば『茶の本』を著した人ですが、
1906年に英文で出版されたこの本は、
今も欧米の多くの喫茶店に置かれ、
人々に親しまれているそうです。

でも、出版した当時は、世界が近代化に向かっていた頃。
そんな時に、時代に逆行して、
物質主義・産業主義に抵抗する意を示し、
西洋を崇拝し模倣することに一生懸命な日本へも
警鐘を鳴らしたわけです。
「茶」を使って、
「人間性の一碗」というテーマを掲げ、
茶道に見る人間の美意識というものを掬いとり、
日本には素晴らしい哲学があることをアピールしたのです。

天心は美術家です。
美の心の訴えは、同様に、世界中の「美」に意識のある人々に受け止められ、
東洋の精神性という認識が高まることになります。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」
 
  I look beyond;
  Flowers are not,
  Nor tinted leaves.
  On the sea beach
  A solitary cottage stands
  In the waning light
  Of an autumn eve.

この情景が青い眼の人々の琴線に触れたというのですから、
定家も紹鴎も利休も泣くでしょう。

私は、『茶の本」を読むと、いつも、漱石の『草枕』を思います。
芸術のことはよくわかりませんが、
美を求めて描くというのと、美に還って描くというのは、
どうしたらおいしいお茶が入るのかという気持ちと、
このお茶、今日はどう淹れようかなといういう気持ちと
ちょっと似ている気がします。

泣いたらいいんだよ

2008年09月01日 | Weblog
『空が泣いたら 雨になる
山が泣くときゃ 水がでる
おれが泣いても 何にもでない
いじがなみだを 泣いて 泣いて
たまるかヨ~ とおせんぼ

上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじを投げるは まだまだ早い
五分のたましい 泣いて 泣いて
たまるかヨ~ 夢がある』   (作詞:良池まもる 作曲:木下忠司)

渥美清さんの大きなポスターにどきっ、
大船駅で電車一本見送って、写真撮ってしまいました。
泣いてたまるかヨ~の寅さん、
天国へ行ったら、「泣いたらいいんだよ」だって。
泣いちゃうよ、もう。

寅さんの映画にはお茶のシーンがたくさん出てきますね。
お茶は団らんだけでなく、
寅さんの場合、場をつなぐツール、場をごまかすツール、
挨拶の代りのツールになったりしています。
「お茶だよ、お茶! ったく、どいつもこいつも気が利かねぇんだから・・・」
「・・・ おばちゃん、冷たいお茶でも入れてくれよ・・・」
「おい、さくら、お茶!おばちゃん、とびっきりおいしい料理を頼むぜ。
ささ、こちらにお上がりになって…」って、
いきなり人を連れてきて、最初の一言が「おい、お茶!」ですよ、
下町ですね~、
いや、寅さんだけに許されているセリフか、
いや、許されてないか。

渥美清さんが若いころのことを詠んだ句があります。
「向き合って同じ茶すするポリと不良」
お前は一度見たら忘れならない顔だから
悪いことをしたら指名手配ですぐ捕まるぞ、
同じ顔を売りたいなら役者にでもなったらどうだ、
と勧められた浅草の思い出だそうです。
人生って面白いですね。