茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

きもの

2008年09月24日 | Weblog
茶道部のお稽古が着物教室化してきました。
きれいに着たい、かっこよく振る舞いたいという気持ちが、
どんどん育ってきているようです。
すっと立ちたいのに、前のめりになる。
踵を開かないと立ち上がれない。
お辞儀の手がなんかきまらない。
「くそっー」と畳を叩いて、頑張っています。

それでも、まだ数回の浴衣でのお稽古ですが、
初めの頃、床の間に体育座りをしていた子たちが、
すり足で静かに畳を歩き、
筋肉を震わせながらまっすぐに立ちあがろうと粘り、
お辞儀もゆっくりと顔をあげるようになり、
なにも「指導」したわけではないのに、
美しいということを求める心が、
自ずと彼女たちを変えてきています。
この年代の女の子というのは、
こうした変身ぶり、成長ぶりがとってもまぶしいです。

茶道は、別に着物でなくてよい、と私は考えていました。
「不易流行」ということを想う時、
着衣は、その時代の型のものでよいのではないか、
肝心なのは、
清潔な身支度、お茶に添った仕様を考えることであろうと思っていました。
でも、きものという衣服は、
なかなかなものであると、
着れば着るほど、
そうして、彼女たちの変身ぶりを見るほどに、
感心せざるを得ません。

背筋が伸びると気持ちいい、
歩くこと、座ること、振り向くこと、お辞儀をすること、
すべてが超気持ちいい!
平成生まれの彼女たちにこう言わせるものは一体何なのでしょう。
きものという型が、
時を超えて何かささやいているようです。

画像は、校庭にあった白い彼岸花。
先生に、ですって。
うれぴ~~~。