今日は、岡倉天心(1863年2月14日 - 1913年9月2日)忌です。
天心といえば『茶の本』を著した人ですが、
1906年に英文で出版されたこの本は、
今も欧米の多くの喫茶店に置かれ、
人々に親しまれているそうです。
でも、出版した当時は、世界が近代化に向かっていた頃。
そんな時に、時代に逆行して、
物質主義・産業主義に抵抗する意を示し、
西洋を崇拝し模倣することに一生懸命な日本へも
警鐘を鳴らしたわけです。
「茶」を使って、
「人間性の一碗」というテーマを掲げ、
茶道に見る人間の美意識というものを掬いとり、
日本には素晴らしい哲学があることをアピールしたのです。
天心は美術家です。
美の心の訴えは、同様に、世界中の「美」に意識のある人々に受け止められ、
東洋の精神性という認識が高まることになります。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」
I look beyond;
Flowers are not,
Nor tinted leaves.
On the sea beach
A solitary cottage stands
In the waning light
Of an autumn eve.
この情景が青い眼の人々の琴線に触れたというのですから、
定家も紹鴎も利休も泣くでしょう。
私は、『茶の本」を読むと、いつも、漱石の『草枕』を思います。
芸術のことはよくわかりませんが、
美を求めて描くというのと、美に還って描くというのは、
どうしたらおいしいお茶が入るのかという気持ちと、
このお茶、今日はどう淹れようかなといういう気持ちと
ちょっと似ている気がします。
天心といえば『茶の本』を著した人ですが、
1906年に英文で出版されたこの本は、
今も欧米の多くの喫茶店に置かれ、
人々に親しまれているそうです。
でも、出版した当時は、世界が近代化に向かっていた頃。
そんな時に、時代に逆行して、
物質主義・産業主義に抵抗する意を示し、
西洋を崇拝し模倣することに一生懸命な日本へも
警鐘を鳴らしたわけです。
「茶」を使って、
「人間性の一碗」というテーマを掲げ、
茶道に見る人間の美意識というものを掬いとり、
日本には素晴らしい哲学があることをアピールしたのです。
天心は美術家です。
美の心の訴えは、同様に、世界中の「美」に意識のある人々に受け止められ、
東洋の精神性という認識が高まることになります。
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」
I look beyond;
Flowers are not,
Nor tinted leaves.
On the sea beach
A solitary cottage stands
In the waning light
Of an autumn eve.
この情景が青い眼の人々の琴線に触れたというのですから、
定家も紹鴎も利休も泣くでしょう。
私は、『茶の本」を読むと、いつも、漱石の『草枕』を思います。
芸術のことはよくわかりませんが、
美を求めて描くというのと、美に還って描くというのは、
どうしたらおいしいお茶が入るのかという気持ちと、
このお茶、今日はどう淹れようかなといういう気持ちと
ちょっと似ている気がします。