茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

人間性の一碗

2008年09月02日 | Weblog
今日は、岡倉天心(1863年2月14日 - 1913年9月2日)忌です。
天心といえば『茶の本』を著した人ですが、
1906年に英文で出版されたこの本は、
今も欧米の多くの喫茶店に置かれ、
人々に親しまれているそうです。

でも、出版した当時は、世界が近代化に向かっていた頃。
そんな時に、時代に逆行して、
物質主義・産業主義に抵抗する意を示し、
西洋を崇拝し模倣することに一生懸命な日本へも
警鐘を鳴らしたわけです。
「茶」を使って、
「人間性の一碗」というテーマを掲げ、
茶道に見る人間の美意識というものを掬いとり、
日本には素晴らしい哲学があることをアピールしたのです。

天心は美術家です。
美の心の訴えは、同様に、世界中の「美」に意識のある人々に受け止められ、
東洋の精神性という認識が高まることになります。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」
 
  I look beyond;
  Flowers are not,
  Nor tinted leaves.
  On the sea beach
  A solitary cottage stands
  In the waning light
  Of an autumn eve.

この情景が青い眼の人々の琴線に触れたというのですから、
定家も紹鴎も利休も泣くでしょう。

私は、『茶の本」を読むと、いつも、漱石の『草枕』を思います。
芸術のことはよくわかりませんが、
美を求めて描くというのと、美に還って描くというのは、
どうしたらおいしいお茶が入るのかという気持ちと、
このお茶、今日はどう淹れようかなといういう気持ちと
ちょっと似ている気がします。