茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

2008年09月10日 | Weblog
今日は二百二十日。
二百十日に続き、この日もまた嵐への注意が喚起されています。
「二八月に思う子船に乗するな」という言葉があります。
海がしけるので船に乗るのは危険だということ。

えー、
わが息子は、今、船に乗っています。
何屋さんになるのかわかりませんが、
「ありえねえ青さ」にはまり、海の学校に行っています。
韓国映画「海神(へしん)」は9世紀のドラマです。
韓国、中国、日本の三角貿易をはじめるチャンポゴの物語。
海と船がいっぱい出てくるので、息子と見ています。
船大工がかっこよくて、帆船がたまらなくて、
「ねーねー、和舟をつくるという過程が、どーして学校にないの?」
と、無茶な質問をする母に、
「動力のついていない、しかも木の船でなんて、
大島にだって行きたくない」と情けない回答をする息子。

「栄西はね、お茶の種をもっと大変な船で持ってきてくれたんだよ!」
何を熱弁しているんだ・・・

歴史の教科書には、重要人物の渡航記録しかありませんが、
もっともっとたくさんの人が行き来していたであろうことは想像に足ります。
「海神」を見ていても、
日本人がたくさん韓国に来ていて、
お茶や絹や石器や鉄器など、様々な取引をしているのがわかります。

四国に雲南をルーツとするお茶があることは書きましたが、
瀬戸内の漁師の生活誌を追うと、
お茶のルーツがまだまだいろいろわかってくるとのこと。

お茶と船、ロマンが広がります。

この画像の船はお急須なんですよ。