茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

和敬清寂

2008年09月17日 | Weblog
高校の茶道部のお稽古の日です。
もうすぐ文化祭で、皆、熱が入っています。
茶室に入ってくると、
「やべー、何これ、コスモスジャン、超秋だし~」
「あ~、和ですね~、先生~、なんだっけ、あれ、ワケーでしたよね~」

テンションが高くて、いろいろなことに気がついて、
そして、とっても表現豊かなみんな。
この時間が大好きです。

「文化祭に来た人に、茶の心とは!とか聞かれたらなんて言えばいいんだ?」
「そりゃワケーだよ。何だっけ、その次」
「和系?」
「和形だろ」
「わ、和敬清寂ね」と先生(私)。
「あ、知ってる、最初の頃に聞いたやつだ。
 やな奴がいても、てめーこのやろーってしかとしないで、
 この人はどうしてそう言ったのかを考えるんだよね」
「あたし、それいいと思った!覚えてる」
「そーいうふうにしたら、みんな和ジャン」
「でも、そーうまくいかないんだよね、これが」
「でも、あたいらは、いい感じだよね」
「でも、ちっとも静寂じゃねえよな」
「おめーがうるせえんだよ」

うん、確かに、うるせえんですが、
彼女たちの、お茶を点てている時の一所懸命ったら、
時が止まったように、いつしか私の心も引き込まれています。

手順を間違えないかなとか、
上手に点てられるかなとかは一切考えないで、
目の前の人においしいお茶を点ててあげるぞ!という思いで、
お茶に向かい合ってね。
そしたら、誰だってうれしくなるから。
手順なんて、間違えたってどーてこたないのよー。
なんて指導している先生、超やべーかも?