茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

身に付く

2008年09月27日 | Weblog
今日は羽根木公園にあるお茶室をお借りしてのお稽古日。
お茶初めて~というメンバーが集まり月2回のお稽古。
まだ1年もたっていないのに、
お水屋の準備をばっちりして、
お軸を飾り、
花を活け、
お炭点前も何とか行い、
お薄を点てて、
お道具を拝見に出すというところまで、
すごーい!
出来たではありませんか。

「手順を覚える」というところから、
「身に付く」という段階への移行がする~りと来ています。
いろいろなお客様を呼んで茶事をしよーという日も、
そう遠くはないようです。
正座をすることも、
手をついてお辞儀をすることも、
お茶碗を丁寧に扱うことも、
最初はなんだかしっくり来なかったり、
ちょっと恥ずかしい感じがするのに、
半年もしないうちに、
そうしたことが、
もう、ずっと昔からやっていたかのように、
馴染んでくる様子を見ていて、
遺伝子の記憶というのでしょうか、
なんか昭和に入ってからちょっとさぼってたけど、
実はずっとこんな感じで生活してたよね、
というような遠い遠~い日に続く不思議な安心感、
のようなものが感じられるのです。

お稽古が終ると、
緑ヶ丘駅前の美登利寿司へ。
旦那さま方が合流して楽しい宴へ。

いつの間にか、
旦那さま方も一緒に茶杓削りをしたり、
旅行に行ったり、
次の茶摘みはみんなでGO!みたいなことにもなっています。

「淡交」というのは、
裏千家の機関誌の名前ですが、
荘子の「君子之交淡若水」に由来しています。
意味は、立派な人同士の交わりは、
水のように淡々として、清い関係である。
私心のない交わりは壊れることがない、
というようなこと。

印象としては、このメンバーの関係は、全然淡くない、
濃い~関係ですが、
清く、壊れることがない、という交わりでずっと続きたいですね。
「お茶が好き」というところで、
みんなの和のスイッチが作動している感じです。