茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

『正座と日本人』その2

2009年08月08日 | Weblog
「正座と膝痛の関係は明らかです」
と丁先生
お医者様のお言葉は説得力がありますね~
本来、茶人は今で言う正座をしていないことが
長谷川等伯の『利休居士像』や
武野紹鷗の肖像画、川上不白の木像、
『細川茶湯之書』などを資料に示されています

そもそも利休の頃の茶会は
戦国時代の武将の「はら」を読むための面接の場と
おっしゃる丁先生
人殺しの道具である日本刀を美術品としてのみ論評するような視点
と同じ視点で茶の湯を論じるのは修正が必要とのこと
お~~~

茶は時代と共に変わる
という岡倉天心の言葉が私は好きです
戦国時代は
人心を読み取るに長けたスタッフ(利休)を抱えることは
トップ(信長、秀吉)にとって重要なことだったのかもしれません
では今の茶の湯はというと
今茶道の修行をしている人は
人のはらを読もうとしているわけではなく
何に向かって座っているかと言えば・・・
「真理」でしょうか
不易流行などを考え
人はどこから来てどこへ行くのか
そんなテーマに向かって座っているのではないでしょうか
だとすると
あれ?かしこまる「正座」が妥当?またまた混乱

丁先生の診察室は
茶室の発想から6畳という狭い空間に仕立てたそうです
漢方では
空間が広いと気が抜けると考えるそうです
狭い空間であぐらがよいとおっしゃいますが
こまった!私はあぐらがかけない・・・

明日は第3章「武士から庶民へ」

画像は今日の夕映え
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