阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(12) にかのおたとへ

2018-11-16 11:12:03 | 栗本軒貞国

栗本軒貞国詠「狂歌家の風」、今日は釈教の部から一首、

 

     寄薬釈教 

 ほんのうの病をなをす良薬は熊膽よりもにかのおたとへ


 釈教の歌ということで、初句は本能ではなく煩悩。熊膽は熊の胆のうから作った生薬で音読みすれば「ゆうたん」、ここは類歌によって「くまのゐ」と読んでおく。「にかのおたとへ」は浄土真宗における二河白道(にがびゃくどう)の譬えを指す。もちろん良薬は口に苦しの「にが」もかけてある。

 二河白道は元々は中国浄土教の比喩譚、後に親鸞が教行信証に引用したようだ。おおまかな内容は、ある人が西に向かって遠い道のりを進んでいたところ、突然目の前に火の河と水の河が現れた。北の水の河と南の火の河の間に一本の白道があるけれどもその幅はわずか四五寸に過ぎない。後ろからは群賊悪獣、南北からも悪獣毒蟲が迫り、進退窮まったと思われた時に・・・ここからは二河白道図会を引用してみよう。わかりやすい挿絵が入っている。


「東の岸にたちまちに人のすゝむる声をきく(釈尊の発遣也)仁者必定して是道を尋てゆけ。かならず死の難無けん。もしとゞまらばすなはち死せむと。又西の岸の上に人ありて(弥陀如来の召喚なり即第十八の本願なり)喚ていはく。汝一心正念にして直に来れ。我能汝をまぼらん。総て水火の難に堕せん事を惶(をそれ)ざれと。」


そしてこの声に導かれて、人は白道を渡り切り西岸にたどりついたという。阿弥陀様の待つ彼岸に行くのに死の難を逃れるというのはアレっと思ったけれど、それはきっと私の信心が足りないのであろう。

これで貞国の歌は一応理解できたことになるが、最近読んでいる「狂歌かゝみやま」にちょっと変わった熊膽の歌があったので引いてみよう。


     ある人遺精を月に六七度も見るに一医の 
     すゝめにて熊膽の入し丸薬を一日に三度つゝ 
     服すれとも験なし久服くるしからすやと問は 
     れて返答にこまり戯れによみける       栗山

 すゝめられ熊のゐ三度まいれともまためくらぬかいせい七度


詞書の久服は頓服の対義語で長期間服用することのようだ。勧められてくまのゐを三度服用したけれどまだ薬が体を廻らないのか遺精七度が治ってない。しかし「戯れに」とあるし、ただそれだけの歌ではないだろう。三度と七度を歌に入れている、ここがポイントだろうか。熊野参りが三度ということかと調べたら、

   「伊勢へ七度熊野へ三度、愛宕様へは月まゐり」

愛宕様のところはお多賀様にもなるようだけど、このような俗謡が出てきた。かぶきのさうしでは熊野は十三度になっている。

「茶屋のおかゝに末代そはば、伊勢へ七度熊野へ十三度、愛宕さまへは月まゐり」

すると、この俗謡をふまえて、この狂歌と詞書は創作されたと考えるべきだろう。遺精とか出てくるから変だとは思った。

ありがたいお話から一転、まだまだ西に向かって進む心境には遠いようだ。

 

【追記1】同じ「狂歌かゝみやま」に、もう一首「くまのゐ」の入った歌があった。

 

     良薬苦口といふ事を      木端

 少しても強いにかみや腹の内に積と棒ねちする熊のゐとて

 

棒捻(ばうねぢ)は二人が向かい合って棒の両端を持ち反対にねじり合ってねじり取った方を勝ちとする遊び。くまのゐは胃がねじれる程苦いのだろうか。すると貞国の歌の「にが」は良薬は口に「にが」もあるけれど、熊膽よりも「にが」に重点があるのかもしれない。

 

【追記2】「萬載狂歌集」に上記の遺精と同じ歌があった。詞書が少し違っているので引いてみよう。

 

     ある人遺精を月に六七度づつゆめみて心地あし

     ければあるくすしのすゝめにて熊膽丸日ごとに

     三たびづつ服すれどしるしなしといふを聞きて  栗山

 すゝめられくまのゐ三度まゐれどもまだめぐらぬかいせい七たび

 

「狂歌かゝみやま」は1758年刊、「萬載狂歌集」は1783年刊であるからこちらは、「狂歌かゝみやま」から採ったものと思われる。いかにも作り物っぽい設定に思えるのだけど、着想が評価されたのだろうか。それはともかく、詞書をみると、まず、「ゆうたんがん」という現代にもある薬の名前になっている。それから、「遺精を月に六七度づつゆめみて心地あしければ」のところの表現は手が込んでいる。しかしながら、遺精と夢精は、とか書き始めると面倒なのでやめておこう。



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