SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

HANK MOBLEY 「SOUL STATION」

2007年10月11日 | Tenor Saxophone

ハンク・モブレー30才にして生まれた最高傑作である。
なぜこれが最高傑作かというと数少ない彼のワンホーン作品だからである。誰にもじゃまされずに自分の世界を創り上げているのだ。
こんなリラックスした彼は他にない。まるで何ヶ月ぶりかで帰った我が家でくつろいでいる感じさえする。

私たちジャズファンは、好きとか嫌いとかにかかわらず色々な場面でこのハンク・モブレーのテナーを聴いている。
それは一世を風靡したジャズ・メッセンジャーズだったり、マイルス・クインテットだったりするわけだが、その中にいて彼は常に他の人の盛り上げ役だった。要するに主役になれなかった男なのだ。
彼の周りにはいつも彼より目立つトランペッターがいた。リー・モーガンやドナルド・バード、マイルス・デイヴィスなどがそうだ。人のいい彼はそうしたとんがった連中を目立たせる役目を自ら買って出たのである。
ひょっとすると自分に自信がなかったのかもしれない。ロリンズやコルトレーンがあれよあれよという間にスターダムにのし上がっていくのを目の当たりにしていたはずだからだ。彼自身おそらく相当焦ったに違いない。誰だって頂点を極めたいと思うのは自然なことである。
しかし分をわきまえた彼は、脇役人生に喜びを見出したのではないかと思う。一度吹っ切れた男は強い。
肩の力が抜けてこんな素敵な演奏をする。

ワンホーンなのだからここでの主役はモブレー一人のはずだった。しかし結果的にウィントン・ケリーも主役のように聞こえるのは私だけだろうか。これくらい生き生きしたケリーも珍しいのである。ここでもやっぱりモブレーは相手役に最高の演奏をさせたのだ。
こんなプレイヤーがいてもいいと思う。愛すべき名脇役だ。

CHARLIE ROUSE 「Soul Mates」

2007年09月23日 | Tenor Saxophone

これはジャズファン必聴!と声を大にしていいたい作品だ。
何がすごいか、まずCDをセットして聞こえてくる疾走感のあるベース・リフとシンバルが魅力的なドラムス、そして「ブリッ!、バリッ!」と張り裂くようなバリトンの重短音だ。これを聴いて痺れない人とはジャズ友だちにはなれそうもない。
その後もチャーリー・ラウズの流れるようなテナーとサヒブ・シハブのバリトンのバランスいい掛け合いが続く。ウォルター・デイヴィスのピアノも実に快調だ。
そんなわけで1曲目の「November Afternoon」から拍手喝采を贈りたい。

この1曲目以外にもこの作品は魅力的な曲が数多く取り上げられている点も見逃せない。セロニアス・モンクやレイ・ブライアント、エルモ・ホープ、マル・ウォルドロン、オスカー・ペティフォード、タッド・ダメロンなどの名曲が納められている。そのどれもが推薦曲にしたいほどの出来映えだ。クラウディオ・ロディッティのトランペットもいい。
またこの作品には私の大好きな「Dida」も収録されている。これはサヒブ・シハブ一世一代の名曲だ。サヒブ・シハブの名作「The Danish Radio Jazz Group」での緊張感あるアンサンブルも見事だったが、ここでは肩の力を抜いて演奏されている。ここにベテランの味を感じるのである。

チャーリー・ラウズやサヒブ・シハブ、ウォルター・デイヴィスといえば地味ながら大変な実力者で、この時既に円熟の境地に達していた人たちだが、このアルバムが発表されたすぐ後でチャーリー・ラウズが癌のために亡くなり、翌年にはサヒブ・シハブが、またその翌年にはウォルター・デイヴィスが後を追うように亡くなっている。何とも皮肉なものだ。しかしそれだけにこの作品の重みが増してくる。死ぬ直前にもこんなすごい作品を残せた3人にこれまた拍手喝采だ。
こんな彼らの演奏を聴いていると、死んでも残る仕事をしなければとつくづく思うのである。

LESTER YOUNG 「THE JAZZ GIANTS」

2007年09月03日 | Tenor Saxophone

どーんと大物を登場させよう。泣く子も黙る?レスター・ヤングだ。
そう思って聴くと同じテナーの音も違って聞こえる。先入観とは恐ろしいものだ。
このアルバムは「Pres and Teddy」と並んで彼晩年の傑作である。全盛期の彼ももちろんいいが、枯れた味わいは何ともいえず哀愁感たっぷりだ。
お気に入りは2曲目の「I Didn't Know What Time It Was」とラストの「You Can Depend on Me」。どちらも彼の好調ぶりが滲み出た演奏である。ジーン・ラミー(b)、ジョー・ジョーンズ(ds)が生み出す単調なリズムがこれまたいい。古き良き時代にタイムスリップできる。
レスター・ヤングに続くロイ・エルドリッジ(tp)やヴィック・ディッキンソン(tb)テディ・ウィルソン(p)も生き生きしたソロを披露してくれる。特にヴィック・ディッキンソンとテディ・ウィルソンが抜群にいい。私は以前からテディ・ウィルソンのファンだが、このアルバムを聴いてからというもの、ヴィック・ディッキンソンにもはまってしまった。
絶対数からいってトロンボーン奏者はサックス奏者やトランペット奏者よりも圧倒的に少ない。有名なところでいえばJ.J.ジョンソン、ボブ・ブルックマイヤー、ベニー・グリーン、フランク・ロソリーノ、カーティス・フラーといったところだが、これ以外のトロンボーン奏者を挙げろといわれてすぐに名前が出てくる人はかなりの通だ。
そんな中においてヴィック・ディッキンソンのトロンボーンはまるでルイ・アームストロングの歌声そのものだ。これほど肉声に近い音は他にない。しかもソロの中における音色の変化と盛り上げ方は当代随一、全く脱帽だ。因みに「I Didn't Know What Time It Was」でのソロがその典型例だ。続くテディ・ウィルソンのピアノソロがこれまたいい。この場面にさしかかるといつもぞくぞくしてしまう。この曲に関してはレスター・ヤングがいなくてもいいくらいのものだ。

おっとここはレスター・ヤングを中心に書かねばならないところだった。
しかしタイトルが「THE JAZZ GIANTS」、その意味をしばらく噛みしめて聴いてみよう。
ラストの「You Can Depend on Me」ではいつになってもレスター・ヤングが出てこない。ラストのラストになってようやく出てくるレスター・ヤングの優しくも大らかなテナー、この演出に大拍手を贈りたい。

RICHIE KAMUCA , BILL HOLMAN「West Coast Jazz...」

2007年08月31日 | Tenor Saxophone

今日で8月も終わり。長いようで短かった夏の終わりにこの作品を紹介することに喜びを感じる。
私にとってウエストコーストジャズのイメージは、このアルバムが全てだといってもいい。
リッチー・カミューカとビル・ホルマンによる「ウエストコーストジャズ・イン・ハイファイ」。このアルバムのジャケットはこれ以外にも発売されているが、このアルバムはこのジャケットでなくてはダメなのだ。この夕陽に染まった浜辺を見ながら演奏を聴くと、ウエストコーストジャズの魅力が何倍にもなって返ってくる。
メンバーはというと、フランク・ロソリーノ(tb)、ビル・ホルマン(bs,arr)、リッチー・カミューカ(ts)、コンテ・カンドリ(tp)、エド・リディ(tp)、ヴィンス・カラルディ(p)、モンティ・バドウィッグ(b)、スタン・リーヴィ(ds)で、当時ウエストコーストジャズを支えた面々がずらりと顔を揃えている。
この中でも特に重要なのがビル・ホルマンである。彼はバリトンサックスの演奏もさることながら、アレンジャーとしての手腕を発揮している。ウエストコーストらしい明快な音と曲の組み立ての良さは彼のセンスによるものだ。
針を落として最初に聞こえてくるスイング感たっぷりの明るいテナー、そう、これがリッチー・カミューカだ。彼の音を知り尽くしたホルマンのアレンジがすばらしい。続くホーン・アンサンブルも見事に決まっている。

もう一つ嬉しいことがある。このアルバムには私の大好きな「THE THINGS WE DID LAST SUMMER」が納められているのだ。このことも私の中でこの作品の価値が高まった大きな要因だ。
この曲の入ったジャズアルバムは誰彼かまわず手当たり次第購入しているが、ここでの演奏もなかなかの出来映えだ。
行く夏を惜しむかのような美しいメロディラインに乗って、情感たっぷりのソロとホーン・アンサンブルが展開される。ソロはフランク・ロソリーノのトロンボーンがいい。
う~ん、夏の匂いが消えないうちにもう一度こんな海に出かけたくなってきた。

JOHN COLTRANE 「A LOVE SUPREME」

2007年07月24日 | Tenor Saxophone

思い切ってこの作品を取り上げる。
モダンジャズの最高傑作を挙げろといわれたら、このジョン・コルトレーンの「A LOVE SUPREME(邦題:至上の愛)」を挙げる人が一番多いのではないだろうか。
ただこの作品が好きかと聞かれたら、迷わず好きと答える人はそれほど多くないはずである。
要するにこのアルバムは「別格」なのだ。もはや好きとか嫌いとかを超えた次元に存在する作品なのである。
よって誰にでも勧められる作品ではない。ましてやビギナーには危険すぎる。
これはそれくらい手強い作品なのだ。

実際にまた聴いてみると、コルトレーンの神がかった吹奏はさておいてバックの3人が気になった。
まずベースのジミー・ギャリソンだ。
彼はウォルター・ビショップ・Jrの「スピーク・ロウ」で圧倒的な存在感を見せた人だ。この作品においてはムードメイカーをとっている。彼の重いベースリフが全体の屋台骨であり、イメージを決定づける要因だ。
次にドラムスのエルヴィン・ジョーンズであるが、ここでの彼はコルトレーンをも上回る神業を発揮している。こうなるとドラムは単なるリズム楽器ではなくなり、リード楽器のような華やかさが生まれる。
ピアノのマッコイ・タイナーは意外と目立たないが彼もまた重要な存在だ。彼はドラムの替わりにリズム楽器としてピアノを弾いているように聞こえる。普段はやや弾きすぎる感の強い彼だが、ここは慎重に「間」を創り出すことに専念している。少ないソロも鋭い刃物のような切れ味だ。
一見バラバラに見える3人だが、実はかなり高度なレベルでそれぞれが関係し合っている。だからこそコルトレーンが普段以上の迫力を生み出せたのだ。

やはりこれはモダンジャズの最高傑作かもしれない。
異論のある人も、もう一度このアルバムと真摯に向き合ってみてほしい。
やはりダメだったという人はそれでも結構。また何年か経ったら聴き直せばいい。
私もこのアルバムの真価を知ったのは、聴き始めて30年近くも経ってからのことだ。

SONNY STITT/BUD POWELL/J.J. JOHNSON

2007年07月20日 | Tenor Saxophone

まったく、このアルバムをご紹介しないで何がジャズかと思えるくらいだ。
このアルバムはそんな言葉が少しも大袈裟ではない作品だ。
その原因を作っているのがバド・パウエルの存在である。
ここでの演奏は彼の生涯の中でも一二を争う出来映えだ。目眩く指さばきで鍵盤を走らせる演奏テクニックは正に神業といっていい。彼の演奏を聴きたいがためにこのアルバムを購入する人がほとんどではないかと思う。私もそうだったから今更ながらソニー・スティットには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
しかしこのアルバムを聴いてみて一番驚くのはソニー・スティットのすばらしさである。
彼は本当に実力のある人だ。次から次へ流れるようなフレーズを自信たっぷりに吹いている。そのスムースな吹奏はチャーリー・パーカーと比べても何ら遜色がない。この演奏を聴くと、彼の名前がなぜもっと大きなものにならなかったかが不思議なくらいである。
彼はチャーリー・パーカーと並んでビバップの基礎を築いた人である。
普段はパーカー同様にアルトを吹くことも多かったが、ここでは全編たくましいテナーを吹いている。
ここに納められている曲はどれもこれもすばらしいが、個人的には「Strike Up The Band」「I Want To Be Happy」「Taking A Chance On Love」あたりが好きだ。どの曲もバド・パウエルとの行き詰まるセッションがジャズ魂を揺さぶられる。

途中から雰囲気ががらりと変わる。
バド・パウエルに替わりジョン・ルイスが登場し、J.J.ジョンソンが出てくる。トロンボーンという楽器のせいもあってか、のんびり・ゆったりしたムードが漂う。しかしここでもソニー・スティットは快調に飛ばしている。驚くほどの音色の良さだ。

このアルバムは1949年と50年の録音だ。そう聞くといかにも音が悪そうに聞こえるかもしれないが、これが意外といい。
それもそのはず、クレジットをよく見るとルディ・ヴァン・ゲルダーが再録音し直しているようだ。彼の功績は大きい。歴史的名盤ということで彼も気合いを込めて録音し直したのだろう。
名実共にこれがビバップの最高峰になった。

JOHNNY GRIFFIN 「THE KERRY DANCERS」

2007年07月09日 | Tenor Saxophone

これもジャケットで損をしているアルバムだ。
なぜ藪の中に椅子を持ち込んで、そこでポーズをとる必要があるのかわからない。リバーサイドは時々こういう致命的なミスをする。中身を聴いてみればわかることだが、この作品はジャケットさえ良ければもっともっと売れたはずだし、大名盤としてジャズ史上に燦然と輝いたはずである。返す返すも残念だ。
しかしジョニー・グリフィンという人は、もともとそうした星回りにある人なのかもしれない。彼のファンには申し訳ないが、何となくツキがない、或いは幸薄いといった印象がつきまとう人なのだ。
その分、応援したくなるテナーマンの筆頭に彼がいることには間違いない。
それはなぜか。
とにかくまじめで一生懸命なのである。身体全体からパワーを絞り出して精一杯ブローするタイプだ。
生き方だってヨーロッパに逃避行したデクスター・ゴードンと同じ。要に思い切りがいいのだ。

さてこのアルバムだが、最初から最後までリラックスした好演が続いている。
有名な「Hush-a-bye」もいいが、「Black is the color of my true love's hair」や「The londonderry air」などのバラードは絶品だ。
このアルバムがいいのはリズム・セクションの出来がいいからともいえる。
当時リバーサイドのお抱えだったバリー・ハリスの軽快なピアノと、これがほんとにロン・カーターかと思えるような強靱なベースは実に見事である。周りがこれだけいいサポートをしてくれたら、ジョニー・グリフィンだって本気になって当然だ。
ジャケットの裏を見ると、ジャケットデザインはKEN DEARDOFF、写真はSTEVE SCHAPIROとある。
彼らがなぜ本気にならなかったか、それだけが不思議なのだ。

HOUSTON PERSON 「To Etta with Love」

2007年06月18日 | Tenor Saxophone

これはもう極上の作品だ。
ヒューストン・パーソンが長年つきあったエッタ・ジョーンズに捧げたもので、彼の思いが痛いほど伝わってくる。
この二人のコンビは60年代後半から彼女が亡くなる最近まで続いていた。
彼女のアルバム「Don't Go to Strangers」なんかは息の合った二人の名演が忘れられない作品だ。
ここでのメンバーもエッタ・ジョーンズと組んでいたときと同じで、スタン・ホープのピアノもポール・ボレンバックのギターも、パーソンのサックス同様に美しく、悲しみをこらえて演奏しているように聞こえる。

それにしてもパーソンのサックスは恐ろしくムーディだ。
バックもエンジニアのヴァン・ゲルダーもそれを引き立てようと精一杯の配慮をしているのがよくわかる。ただチップ・ホワイトのシンバルだけが全編に渡って強調されている。まるで夜空に響き渡るようだ。ここにもヴァン・ゲルダーの意図を感じる。人によっては好き嫌いが分かれるところだろうが、私には高音をしっかり拾うことで広がりを出し、よりパーソンのテナーの音色を柔らかくしようとしているように聞こえる。

私は誰それの追悼アルバムというのは、正直言ってあまり好きではない。
深刻でおセンチな雰囲気が嫌いなのだ。
しかしこのアルバムは私が言うほど暗くも深刻でもない。ヒューストン・パーソンは、亡くなったエッタ・ジョーンズに対して悲しく「なぜ?」と聞かずに、笑顔で「ありがとう」と言っているのだ。
ルイ・アームストロングの名曲「What a wonderful world」を聴けばわかる。この曲はこのアルバムのハイライトであり、彼の生涯の名演である。
だから余計に涙が溢れてしまうのだ。

BEN WEBSTER 「SOULVILLE」

2007年06月08日 | Tenor Saxophone

バラードを吹かせたら当代随一。大ベテランの真骨頂だ。
やれテクニックだの音色がどうのこうのと細かいことを気にしているようでは彼の魅力はわからない。ただじっと溢れ出すダンディズムを感じ取ってほしい。
音を伸ばす時のあのすすり泣くようなビブラートに酔えないようであれば、ジャズファンをやめた方がいいとも思えてくる。
それくらいベン・ウェブスターは別格的存在なのだ。

そんな彼の代表作であるこの「SOULVILLE」は1957年の録音である。
同じモダンジャズテナーの元祖ともいえるレスター・ヤングやコールマン・ホーキンスは、この50年代後半には全盛期の冴えがなくなってしまったが、ベン・ウェブスターは亡くなるまで輝き続けた人だった。
それを実証するのがこのアルバムだ。
これが傑作といわれる所以は、オスカー・ピーターソン・トリオがバックを固めていることも大きな要因だ。
ベン・ウェブスターの演奏の合間に出てくるオスカー・ピーターソンのピアノは明らかに他のピアニストと格が違う。自然体でありながら全体にピリッとスパイスが利いたようなアドリヴには全く隙がない。こちらもさすがといえる演奏だ。
この時ベン・ウェブスターは48才。オスカー・ピーターソン(p)が32才、ハーブ・エリス(g)36才、レイ・ブラウン(b)31才、スタン・リーヴィ(ds)32才だった。

表題曲の「SOULVILLE」もいい出来だが、個人的には3曲目の「TIME ON MY HANDS」、4曲目の「LOVER COME BACK TO ME」が大好きだ。
どちらもベンのテナーが胸の奥深くに染み込んでくる。泣きたくなるくらいの快感だ。



SPIKE ROBINSON 「Spring can really.....」

2007年05月26日 | Tenor Saxophone

スパイク・ロビンソン。ジャズ通を唸らせる渋くも暖かみのあるテナーマンだ。
日本での知名度は低いが、個人的にもっと多くの人に聴いてもらいたい筆頭格だと思っている。
ただ最近惜しくも亡くなってしまった。ここに収録されている「SHADOW OF YOUR SMILE」などを聴いていると、もう涙がこみ上げてきそうだ。もうこの音色が聴けないかと思うと本当に残念で仕方がない。
彼のテナーはズート・シムズをさらに軽快にした感じだというとわかってもらえるかもしれない。音にも艶があってしっとりとした趣がある。つまり音色で聴かせるタイプなのだ。

このアルバムは85年、イギリス国内におけるライヴを収録したものだ。
拍手を聞く限り会場はそれほど広くない。聴衆との距離が近い分だけ感情も伝わりやすい環境だ。
最初からじっくり聴いてみる。
出だしはまだ少し硬い。空気の出し入れにサックスそのものが馴染んでいないからかもしれない。
ただ5曲目の「LOVER COME BACK TO ME」のあたりから彼本来の音色が出てくる。それまでの音が伸びずにスッと消えてしまう感じがなくなる。テナーが暖まってきた証拠だ。そうなってくるともう彼の独壇場だ。周囲の空気まで柔らかく変化させるこんな美しいテナーを、あなたは聴いたことがあるだろうか。
とろけるようなメロディーラインに甘さをこらえて吹き続ける。それがスパイク・ロビンソンという男だ。
私はどんなことがあっても彼を忘れない。