SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

JOE HENDERSON 「PAGE ONE」

2009年02月01日 | Tenor Saxophone

いつも無意識のうちにこのメロディを口ずさんでしまう。
口ずさんでおきながら、「あれっ、これってなんていう曲だっけ?」と自問自答する。
そういえばジョー・ヘンダーソンの「Blue Bossa」だと思い出し、一安心。
覚えやすいメロディと、ボサノヴァのリズムが何ともエキゾチックなナンバーだ。
作曲者はケニー・ドーハム。このアルバムにも参加しているベテラン・トランペッターである。
彼のトランペットはかすれた感じが芥子色だ。
ジョー・ヘンダーソンのテナーはちょっと粗めの藍色に近いから、二人は補色の関係にある。
ついでにマッコイ・タイナーのピアノはシルバーに近い象牙色で、ブッチ・ウォーレンのベースは漆黒、ピート・ラ・ロッカのドラムスは金色だ。
以前から私の中では、なぜかこのアルバムの音をそんな風に捉えている。
まぁ、半ば職業病かもしれないが、音を聴いて色が感じられるというのも悪くないものだ。

昔はこのアルバムを聴く動機が「Blue Bossa」を聴きたいということ一辺倒であったが、最近はかなり違ってきた。
1曲目を飛ばして、2曲目の「La Mesha」から聴き始めることが多くなってきたのだ。
別に「Blue Bossa」が嫌いになったわけではないのだが、この曲を聴いてしまうとそれだけで腹一杯になってしまうのがいやなのだ。
その点、2曲目からだと、このアルバムの良さをじっくり味わえるような気がしている。
事実「La Mesha」でのヘンダーソンはいい。
彼はゆったりとしたムードの中で、朗々とテーマを歌い上げている。
その余裕たっぷりなテナーに誘発されて、ケニー・ドーハムもマッコイ・タイナーも美しいアドリヴを展開する。
そういえば、どことなくコルトレーンの名作「バラード」を連想してしまう。
おそらく脇を固めるマッコイの影響が大きいのだろう。

とにかく有名曲の影に隠れたこうした曲にその人の真価が現れている。
もう聴き飽きたと思っていた盤でも、探してみると思わぬところにいい曲がたくさんあるものだ。
しばらく聴いていないアルバムも、もう一度見直してみようと思う。

ART TATUM & BEN WEBSTER 「ART TATUM / BEN WEBSTER」

2009年01月23日 | Tenor Saxophone

死ぬほど好きな一枚である。
アート・テイタムのイントロを聴いただけでぞくぞくする。
曲のほぼ半ばまでリラックスしたピアノトリオの演奏が続き、満を持したかのようにベン・ウェブスターのテナーが登場する。
この瞬間は、何度聴いても「ジャズが好きでよかった~」と思える瞬間だ。

この作品は、饒舌だがきらめくような輝きに満ちたテイタムのピアノと、とてつもなく大きな優しさに包まれたウェブスターのテナーの対比が一番の聴きものだ。
まるで風に揺れる大木の周りを小鳥たちがさえずりながら飛び回っているかのようだ。
テイタムのピアノはハイスピードの装飾音が多く、それだけを聴いているとやや単調にも感じてしまうのだが、ここにウェブスターのテナーが被ってくると、とてもいい具合に中和されていく。
このへんのコンビネーションが絶妙なのだ。まさにジャズの醍醐味がこれである。
ジャズピアノの父といわれたテイタムはこれまでソロピアノを演じる機会が多かったが、亡くなる間際にこうした見事なコラボレーションの妙技を残してくれたことは、私たちリスナーへの何物にも代え難い贈り物となった。

この二人の巨人の影で目立たないが、レッド・カレンダー(b)と、ビル・ダグラス(ds)の堅実なサポートも忘れることができない。
カレンダーのベースは思ったよりも強靱で全体を引き締める役目を果たしているし、ダグラスは終始優しいブラシでムードを高めてくれている。
曲はというと、どの曲もみんな味があって素敵なのだが、私は「My One and Only Love」が、インタープレイの極致のように思える。
メロディラインの美しさもさることながら、余裕たっぷりのアドリヴラインがたまらなく粋だ。
もう、何度でもいう、死ぬほど好きな一枚だ。



JOHN COLTRANE 「Crescent」

2008年12月30日 | Tenor Saxophone

それにしてもインパルス時代のコルトレーンはすごかった。
これをかけてさえいれば、どこでも本格的なジャズ喫茶のような雰囲気をつくり出すことができた。
なぜかと聞かれても即答できないのだが、コルトレーンが生み出す音には一種独特の匂いがあった。どことなく東洋的な線香のような匂いだ。コルトレーンが好きな人は、この強烈な匂いがたまらないのだと思う。
先輩のO氏もそうだった。

長い長い「アセンション」がようやく終わり、先輩は煙草に火をつけると「どうだ、いいだろ」と得意気に語り始めた。
そこに居合わせた友人たちも、一様に首を縦に振る。
正直言って何がいいのかわからなかったが、私も鬼気迫るようなパワーに圧倒されたことは確かだったし、これが本物のジャズだといわれれば納得するしかなかった。それくらいコルトレーンの生み出すフリージャズは難解で、近寄りがたい精神世界だった。

先輩は次に「クレッセント」をかけた。
これは名作の誉れ高い「バラード」とは一味違ったもうひとつのバラード集である。
相変わらず線香のような匂いはしてくるものの、緊張感から解放された喜びは大きく、とても聴きやすいコルトレーンだった。
この時は全員、心の中で胸をなで下ろしていたのをよく覚えている。

しばらくして先輩はある程度満足したのか、「今度はおまえが持ってきたレコードをかけてやろう」と言い出した。
私はしばし躊躇はしたものの、袋からローズマリー・クルーニーのレコードを出して差し出した。
一瞬、「???」という何ともいえない間があった後、「こういうヤワなのもたまにはいい」と慣れた手つきでレコードにスプレーをかけ、ターンテーブルに乗せて針を落としてくれた。
ロージーとベティのコーラスによる歌声が部屋いっぱいに充満した。
私のアパートで聴くそれとは全然違った音の広がりだった。


...今回も長くなりそうなのでこの続きはまた明日。



HAROLD LAND 「THE FOX」

2008年12月24日 | Tenor Saxophone

私にとってこれは、もう一つのブラウン~ローチ・クインテットだ。
但しここにはクリフォード・ブラウンもマックス・ローチもいない。しかも録音された場所がカリフォルニアだから、そうしたデータだけ挙げれば、まるで違う作品かもしれない。
しかしこの疾走感といい、安定感といい、ハロルド・ランド一人いればブラウン~ローチ・クインテットのエッセンスが充分味わえる。
嘘だと思う人は、あなたのレコード棚にあるブラウン~ローチ・クインテットのアルバムをもう一度聴き直してみるといい。
確かにクリフォード・ブラウンやマックス・ローチはすごい。しかしそこに登場するハロルド・ランドも彼らに一歩もひけをとらない実力者であることに気づくだろう。
そう、彼こそが名脇役であり、グループにとってなくてはならない存在だったのだ。

彼のテナーは、硬い芯にコイルをぐるぐると巻き付けたような頑丈さが持ち味である。下手なテナー奏者にありがちな「ふらつき」が一切ない。
しかもメンバーとのコンビネーションが抜群にいい。
このアルバム「THE FOX」でも、リーダーでありながら極端に出しゃばるところがなく、みんなにも花を持たせている辺りがいかにも彼らしい。
お陰でエルモ・ホープなんかはどうだ。迷いを吹っ切るようなすごい演奏を随所で聴かせてくれる。自分のリーダーアルバムよりも格段にいい、なぁ~んて書くと叱られるかな。

曲は1曲目のオリジナルである「Fox」、3曲目の「One Second, Please」、4曲目の「Sims A-Plenty」辺りのスピード感が、ブラウン~ローチ・クインテットを彷彿とさせいい出来だが、個人的にはややブルージーな5曲目の「Little Chris」も捨てがたい。
エルモ・ホープの他にも、全編に渡ってフランク・バトラーがマックス・ローチばりの大活躍をしている。
彼の叩き出すリズムに全員がお尻を叩かれているようだ。
これが吹き込まれた1959年はハードバップの全盛期。西海岸だってクールじゃいられなかったのだ。

STANLEY TURRENTINE 「BLUE HOUR」

2008年02月22日 | Tenor Saxophone

黒い、とにかく黒い。
私が持っているアルバムの中でも、これだけ黒い内容の作品はあまり類がない。
....とかいいながら「黒い音っていったい何だ?」と聞かれると即答できないのが情けないところだ。
普段は聴きながら感覚的にそう思っているだけで、突き詰めて考えたことがないからだ。
でもこれもいい機会だからちょっと真剣に考えてみようと思う。

黒い、とは暗いことだろうか。
それも一理あるが、陽気な黒さという言い回しもよくされているのでちょっと違うようだ。本当に暗いのは「ブルー」だろう。
そういえばこのアルバムのタイトルは「ブルー・アワー」だ。直訳すれば「憂鬱な時間」という感じだろうか。
フランシス・ウルフが撮ったジャケットの写真も暗い。わざとローアングルにしてこのブルーな雰囲気を強調させている。
しかしこのアルバムの演奏はタイトルほどの暗さを感じない。
スリーサウンズとの共演ということも頭のどこかにあるからかもしれない。
これはやっぱり青ではなく黒に近い音なのだ。

「黒い」というのは、ひょっとすると黒人らしいということなのかもしれない。
これは何となく当たっている感じもする(決して差別発言ではないので誤解しないでほしい)。
黒人霊歌のようなスピリチュアルな心の動きが表出した音だ。
ジーン・ハリスの弾くブルージーなピアノがその黒に青を継ぎ足していき、出来上がった音が深い青みを帯びた黒なのだ。
私はいつもこの色を楽しんでスタンリー・タレンタインを聴く。
大好きなテナーマンの一人だ。



COLEMAN HAWKINS 「THE HIGH AND MIGHTY HAWK」

2008年01月11日 | Tenor Saxophone

長いものに巻かれない中間派ジャズの精神が好きだ。
自分たちがやりたいジャズはこれなんだ、というかたくなまでの姿勢に共感できるのだ。まぁ伝統工芸の職人のような人たちが奏でるジャズだともいえる。
好きになったきっかけを作った作品は、ヴィック・ディッケンソンの「ショーケース」とボビー・ハケットの「コースト・コンサート」。こうしたアルバムのお陰で、それまでハードバップ系のジャズ一辺倒だった自分のジャズ観が変わった。
バック・クレイトンやルビー・ブラフもよく聴いた。
そしてこの大御所コールマン・ホーキンスの傑作「ハイ・アンド・マイティ・ホーク」を忘れるわけにはいかない。

出だしのバック・クレイトンとコールマン・ホーキンスの短いアンサンブルを聴いただけで嬉しくなる。
中間派が好きな人でないとなかなかわかってもらえないかもしれないが、この乾いた音の重なりが広大な大地を感じさせ、私をアーリーアメリカへと連れて行ってくれる。
演奏はここからホーキンスの見事なアドリヴに入る。よほど体調もよかったのだろう、彼はまるで全盛期のように快調に飛ばしていく。
この音を聴く限り、ホーキンスがモダンテナーのパイオニアであることを今更ながら思い知らされる。
続くアドリヴはハンク・ジョーンズのピアノからバック・クレイトンのトランペット、レイ・ブラウンのベースへと受け継がれテーマのアンサンブルに戻る。単純な構成ではあるが全員が貫禄充分だ。

命名したといわれる大橋巨泉さんには悪いが、「中間派」という呼び方には抵抗を感じることも事実である。
本場アメリカで呼ばれる「メインストリーム・ジャズ」の方がはるかに正しい表現だと思う。要するに樹木でいえば幹の部分だ。彼らがしっかりしていたから色んな枝葉が出ても倒れなかったのだ。
これからももっとど真ん中で聴こうと思う。



ARCHIE SHEPP 「Deja Vu」

2007年12月15日 | Tenor Saxophone

ライナーノーツを見ると「一言でいうと情念のバラードアルバム」だと書いてある。
全く同感だ。
私には少しばかり重苦しく感じられるが、こうした「泣き」のテナーファンは大勢いるだろうことはおよそ察しがつく。
60年代のアーチー・シェップを知っている人ならなおさらだ。
あれだけ尖っていた彼が、まさかこんな枯れた音のバラード集を立て続けに出すなんて予想もできなかったことだ。
彼もやっぱり歳をとったということなのかもしれない。しかしそこはさすがに百戦錬磨。ただ甘いだけのテナーではない。情念といういかにも恐ろしいものを漂わせる技術があるから、やっぱりバラードを吹いてもアーチー・シェップなのだ。

このアルバムはバラードはバラードでもフレンチバラード集である。
確かにどの曲を聴いても夜霧に包まれたパリの夜を連想してしまう。誰もいない石畳の上を一人歩いていくような感覚だ。正に泣きたくなるような夜をイメージさせる。この切ないムードを目一杯楽しめればそれでいいのだと思う。難しいことは抜きだ。
脇役陣もベテラン揃いで安心して聴ける。
ピアノはハロルド・メイバーン、ベースはジョージ・ムラーツ、ドラムはビリー・ドラモンドである。
アーチー・シェップの場合、メンバーにこれくらいの名手を持ってこないと極端にバランスが崩れるはずだ。
いうなればアーチー・シェップは暴れ馬。バックを務めるジャズメンの手綱さばきがキーポイントになるということである。

とにもかくにも、ヴィーナス・レコードの典型的アルバムだ。
ジャケットの妖艶な雰囲気(これは好きじゃない)、優秀な録音(これはすばらしい)、無国籍のような不思議なムード(録音はニューヨークなのに...)、これ全部がヴィーナス・レコードの特徴だ。
日本のレーベルも今や世界トップクラスになったといえる。


BENNY GOLSON 「GROOVIN' WITH GOLSON」

2007年11月25日 | Tenor Saxophone

ベニー・ゴルソンといえばファンキーを絵に描いたような人だ。
どの曲を聴いても「モーニン」を連想してしまうのだから半端じゃない。
これは決して否定的な意味ではないので誤解しないでほしい。こういう人がいるからジャズは面白いのだと思う。理屈なしに楽しみたい時は実に重宝する。大音量で聴いていると落ち込んでいた気分までも高揚する。
このアルバムはメンバーもベストだ。
まずジャズ・メッセンジャーズの親分、アート・ブレイキーがいる。ファンキージャズの場合、彼がいれば文句はない。いつものようにナイアガラロールは快調だ。
ベースはポール・チェンバース、この人もこういう類のジャズには定番だ。この二人のリズムセクションの起用で、アルバムの制作意図は既に八割方成功していると思っていい。
ピアノはレイ・ブライアント。トリオ演奏の「ゴールデン・イヤリングス」などしか聴いたことがない人にとってはちょっと意外かもしれない。しかし、この起用がピタリと決まった。ブライアントはもともとブルージーなセンスの持ち主であるが、その中においても彼独特な繊細さと大胆さが随所に現れており存在感ある演奏を披露している。
ゴルソンの相手役は「ブルースエット」でもおなじみ、コンビを組むカーティス・フラーだ。彼のトロンボーンがいるお陰で全体の音に厚みが増す。この音の厚みこそがファンキーなムードを作り出す原因なのかもしれない。
さて肝心のベニー・ゴルソンだが、彼のテナーは基本的に重心が低い。最初は冷静にスタートするが、吹き続けていくうちに息継ぎのタイミングが伸びていき、フレーズが流れるようにうねり出す。これこそが彼のテナーなのである。これが嫌いだという人もいるだろう。しかしこの吹き方のお陰で聴く者も興奮状態に陥っていくわけだ。少なくとも私は嫌いじゃない。

映画『ターミナル』で主役のトム・ハンクスが最後にもらうベニー・ゴルソンのサイン、まだ健在でいることの証だ。
私もニューヨークで彼の生のステージを観たいと思った。

JOSHUA REDMAN 「BEYOND」

2007年11月08日 | Tenor Saxophone

ジョシュア・レッドマンは頭のいいジャズメンだ。
彼がハーヴァード大学の法学部を首席で卒業したという話は有名である。いや、そんなこと以上に彼のジャズに対する探求心に驚くのである。
私なんかはただ聴いていて気持ちがいいからとか、心が揺さぶられるからとかそんな単純な感覚のみで演奏の善し悪しを判断しているが、彼にしてみればもっと違う次元でジャズという音楽を捉えているのではないかと思う時がある。
そのせいで彼のサックスはいつも何か遠くを見ているように私には響くのだ。
いい方は悪いが、彼は目の前のリスナーのために吹いていない、どうもそんな気がしてならない。だから心底好きになれないミュージシャンの一人である。
とはいいつつ、彼の実力を認めないわけにはいかない。
彼のサックスからはコルトレーンやショーターにも通じる強い精神力を感じる。これは理論とテクニックに裏打ちされた圧倒的な自信をからくるものだろうと思っている。同じ若手のテナーマンでもエリック・アレキサンダーらとは確実に一線を画している存在なのだ。
特にこのアルバムでは変拍子の曲が目立っており、彼自身、明らかに次のステップを踏み出した感がある。曲も全曲オリジナル、ここで初めて彼自身のレギュラー・カルテットが結成されるなど、並々ならぬ意欲作に仕上がっている。こういったある意味挑戦的で神秘的ともいえる音世界が好きな人にとってはたまらない作品なのではないだろうか。
但し私は3曲目の「Neverend」、6曲目の「Twilight... And Beyond」などの夢見るバラードに心奪われる。彼にしか出せない音がこのバラードに隠されているような気がするからである。

彼の作品はどれも重いように見えて実は聴きやすい。それは彼が奏でる一音一音が流れるように繋がっているからである。ここが彼の非凡な点であり、これからの活躍を期待できる最も大きな要因なのだ。

OLIVER NELSON 「THE BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH」

2007年10月20日 | Tenor Saxophone

一気に冬になってしまったような天気だ。
まだ10月だというのに窓を叩く雨音を聞くだけで寒さを感じる。
しかし考えてみればこれからが本当のジャズ・シーズンかもしれない。
今日は降りしきる雨が似合うジャズが聴きたいと思いこのアルバムを取り出した。ハードボイルドな映像を見ているような「Stolen Moments」。そう、この曲が聴きたかったのだ。
この曲では参加メンバー全員がベストなプレイをしているように思う。そういう意味でも実に希有な作品だ。
闇夜に突き刺すようなフレディ・ハバードのトランペット、力強く線の太いエリック・ドルフィーのフルート、サスティンの効いたオリバー・ネルソンのテナー、いつになくドラマチックなビル・エヴァンスのピアノ、そして地面の下から突き上げるようなポール・チェンバースのベースとブラシで全体を引き締めるロイ・ヘインズが堅実なリズムを作り出している。ぶ厚いアンサンブルも圧巻だ。
またルディ・ヴァン・ゲルダーの録音により各楽器が生き生きとした音色を響かせていることも、このアルバムの大きな魅力である。

リーダーのオリバー・ネルソンはサックス奏者でありながら、作・編曲家としての名声が高い。
この作品がコンセプトアルバムに聞こえてしまうのは、そうした彼の資質によるものだ。タイトルからして直訳すると「ブルースと抽象的な真実」だから、それだけでも何となく難しそうな音楽に思えてしまう。
しかし音を聴けば実に明快。ジャズそのものがいかにブルースを土台にして発展した音楽ジャンルであるかを思い知らされる。
オリバー・ネルソン本人が書いたライナーノーツを見ても、彼の自らの音楽に対する真摯な姿勢が伺える。ブルースというスタイルが彼の想いを一番的確に表現できる音楽様式だったのだ。