SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

WAYNE SHORTER 「NIGHT DREAMER」

2007年05月22日 | Tenor Saxophone

一つの時代と一つの時代をつなぐ作品だ。
50年代後半に吹き荒れたハードバップの嵐も止み、マイルスやエヴァンス、コルトレーンなどが追求したモードジャズが当時の主流になっていた。
モードジャズとはマイルスがアルバム「カインド・オブ・ブルー」で確立させた演奏法で、コード進行に囚われていたビ・バップ~ハードバップの限界を破った画期的なものだった。このへんの理論は専門家ではないので詳しくはわからないが、要するにコードによって支配されていた制約(コードに基づく一つの音階のうち元のフレーズから外れた音が使えないなど)を解放し、より自由なアドリヴが可能になったと解釈している。その後このモードジャズからさらに自由なフリージャズが生まれていく。
ウェイン・ショーターはそんな時代の境目に登場した男である。
彼はこのアルバム吹き込み時から約1年後にマイルス・クインテットの正式なレギュラーメンバーとして招かれるわけだが、ここでの演奏を聴くと、なぜマイルスが彼を欲しがったかがよくわかる。
モードジャズは確かに新しい時代の扉を開いたが、演奏技術がかなり高度なプレイヤーでないと極端に単調になってしまう傾向があった。その点ウェイン・ショーターはモードを完璧に理解しそれを表現できていた。それはこのアルバムで共演しているリー・モーガンの演奏と比べるとよくわかる。
リー・モーガンはコテコテのハードバッパーだ。アドリヴも見事である。しかしショーターのアドリヴと比べるといかにもワン・パターンに聞こえてしまう。50年代ならこれで良かったが、この時代にこの演奏は的外れだ。ファンの一人として残念ではあるが、彼はショーターやマッコイ・タイナーのやろうとしていることを理解できずに、ただ従来のアドリヴをいつも通りに展開しているのだ。
但し彼(モーガン)がいるお陰でショーターが何をやろうとしていたか、また時代が大きなステップを踏み出したことに気づくのは皮肉な結果といえる。
ショーターのその後の活躍は言うまでもない。彼のスタート地点は間違いなくここにあったのだ。

ERIC ALEXANDER 「Gentle Ballads」

2007年05月11日 | Tenor Saxophone

エリック・アレキサンダーはなぜこんなに人気があるのか。
その答えは簡単、音が他のテナー奏者より何倍も太いからだ。
テナーだから太いのは当たり前と思うかもしれないが、テナーでも細い音を出す奏者はいくらでもいる。その代表選手がジョン・コルトレーンだ。彼はテナーなのにアルトのような吹き方をする。つまり高音域を中心に鳴らすからシーツ・オブ・サウンドのようなハイスピードなテクニックが生まれるわけだ。トリッキーなトーンにしてもそのほとんどが高音域での変化であり、フリージャズは細い音が生んだ音楽シーンだともいえる。
その点、このエリック・アレキサンダーはめちゃくちゃ重厚だ。テナーらしいブワッ~~!とくる音に誰もが魅力を感じているのである。しかもその音はいつもしっとりしていて弾力性のあることが特徴だ。

このアルバムは往年の名曲を中心に集めたバラード集になっている。
レフト・アローンにハーレム・ノクターン...もうその曲名を聞くだけでファンなら飛びつくだろう。私個人的には1曲目の「The midnight sun will never set」が大本命である。
コルトレーンも「バラード」という名盤を持っているが、このアルバムを聴くと、エリック・アレキサンダーもバラードの名手であると断言できる。伸びのある太く優しい音が、強弱・緩急を交えて私たちの心の中に入り込んでくる。
ちょっとムーディすぎるというご意見もあるだろうが、こんなに気持ちよく酔えるアルバムも少ないのではないだろうか。
これは紛れもなく現時点で彼の最高傑作だ。


SCOTT HAMILTON 「PLAYS BALLADS」

2007年04月20日 | Tenor Saxophone

先日美味しいコーヒーを飲ませるいいジャズ喫茶があると聞いてさっそく出かけた。
お店はとても清潔でそこそこに暗く、ご主人のいるカウンターの後ろの棚には有名なバーボンやスコッチなどが整然と並んでいた。
私はカウンターから見て右奥の席に座ってメニューを広げた。ご主人が拘っているだけあって、十数種類のコーヒーが細かな解説と共に並んでいた。周りを見渡すと奥で雑誌を読んでいる男性が一人、カウンターに30代と思われるカップルが一組いるだけだ。
ご主人がやってきて「何にしましょう」と耳元で囁くように聞いてきたので、苦いジャワロブスターを頼んだ。
と、まぁここまではいつもの流れだが、問題は店内にかかっている曲だ。お店に入った時はコルトレーンだったが、そのうちにスタン・ゲッツの「PEOPLE TIME」がターンテーブルに置かれた。さすがにこれには参った。このアルバム、確かに名演であるには違いないがやたら重苦しいのだ。これではせっかくのコーヒーがまずくなるだけだと思い、適当に切り上げて店を出た。
後で聞いたところによると、このお店は笑い声を立てたりおしゃべりの声がちょっとでも大きいと、すかさずご主人がやってきて、「静かにしてください!」と注意されるのだそうだ。

ジャズ喫茶のご主人たちにいいたい、お願いだからこのスコット・ハミルトンのような大らかな気持ちになれるレコードをかけて、広い心で経営してもらいたい。ジャズの品位を下げないためにも。

ZOOT SIMS 「Cookin'!」

2007年04月09日 | Tenor Saxophone

ズートの最高傑作ってどれなんだろう?
ベツレヘムの「ダウン・ホーム」か、アーゴの「ズート」か、はたまたフェイマスドアの「アット・イーズ」か。いやいやフォンタナのこの「クッキン!」だって忘れるわけにはいかない幻の名盤だ。
つまりどれもこれも一定水準をクリアしていて、当たり外れの少ないのがズートだともいえる。それぞれの盤に特徴はあるのだが、彼の持ち味である暖かみのある音色はどの盤を聴いても楽しめる。

このアルバムは61年ロンドンで吹き込まれた。いつもより彼の吹奏が熱く感じられるのはライヴハウスでの録音だからだ。
どの曲も軽快にスイングしながら、内から溢れ出るメロディをアドリブでよどみなく吹き続けている。
どの曲も文句なしにいいが、最も有名なのは「枯葉」だろう。マイルスがキャノンボールの「サムシン・エルス」でジャズの楽曲として最初に取り上げたのを契機に、ほとんどのプレイヤーが一度は演奏するようになった超スペシャルなスタンダード曲だ。それだけに優劣もはっきりしてしまう。リスナーの耳がもうこの曲に馴染んでしまっているからである。
彼はそんな「枯葉」だからといって気負うことなく、いつものように淡々と吹いていく。その外連味のなさが我々を惹きつけるのだ。
常に自然体であること、これが意外と難しい。彼はその難しい姿勢を守り続けることのできた巨人なのである。

BARNEY WILEN 「New York Romance」

2007年04月04日 | Tenor Saxophone

粋な気分を味わいたいと思ったらこのアルバムを取り出す。
バルネ・ウィランの名前を知らない方も、マイルスの「死刑台のエレベーター」は知っているだろう。あの時にマイルスと共演していたのがバルネだ。
明らかに彼のサックスからはパリの匂いがする。それくらいアメリカの音とは違ったムードを醸し出している。強いて誰に似ているかといえばスタン・ゲッツに近いような気もするが、音そのものは実にまろやかだ。だから彼のサックスにパリの優雅さを感じるのだ。

そんなバルネが27年ぶりにニューヨークで録音したアルバムが本作になる。
このアルバムで特筆されるのが、ピアノのケニー・バロン、ベースのアイラ・コールマン、ドラムスのルイス・ナッシュといったアメリカの実力者たちによるバッキングだ。特にケニー・バロンはこの時絶好調だったといってもいい。彼を聴くためだけにこのアルバムを買ったとしても何らおかしくない。
エンジニアはこちらも天才ルディ・ヴァン・ゲルダー。クリアな録音がさらに彼らの演奏を引き立てる。
そう、アメリカはバルネ・ウィランに最高の舞台を整えて待っていたのだ。またそれに応える彼もさすがベテランである。
このアルバムを聴く度に、彼のアルバムは全て手に入れたいと思ってしまうのだ。

SONNY ROLLINS 「NEWK'S TIME」

2007年03月29日 | Tenor Saxophone

ソニー・ロリンズ、満を持しての登場になる。
どうだと言わんばかりのこの表情、王者の風格たっぷりだ。
本場アメリカのジャズはイコール、ブルーノート・レーベルのイメージだといっても過言ではない。もちろんプレステッジやリバーサイドなどの有名レーベルもあるにはあるが、やはりブルーノートにはかなわない。こちらも王者の風格たっぷりなのだ。
このレーベルの親分はアルフレッド・ライオン。彼はカメラマンでありマネージャーでもあったフランシス・ウルフと組んで数々のヒットを生み出す。「ライオンとオオカミ(ウルフ)」という曲までできるくらいだから、この二人は業界の野獣コンビだったのだ。

このアルバムはそんな輝かしいブルーノート4000番台の最初を飾る記念碑的な作品だ。
アルフレッド・ライオンは、この重要なポジションにブルーノートのイメージを決定づける王者を位置づけたかったのだ。それにはソニー・ロリンズ以外には考えられなかったのだと思う。このアルバムの中の「Surrey With the Fringe on Top(邦題:飾りのついた四輪馬車)」を聴けば誰でも納得する筈だ。ドラムだけを相手に、延々6分以上も豪快にアドリブを吹き鳴らす。こんな芸当ができたのはこの時期の彼だけだ。しかもこの曲はジャズには珍しくフェードアウトしているところを見ると、おそらくロリンズはこの後もまだまだ吹き続けていたのではないかと思われる。何とも恐ろしいヤツだ。
ニュークス・タイム(ニュークは彼の愛称)、正に彼の時代だったのだ。

DAVID "FATHEAD" NEWMAN 「THE GIFT」

2007年03月22日 | Tenor Saxophone

最近のファットヘッド(デヴィッド・ニューマン)は乗りに乗っている。
レイ・チャールスと組んでR&Bを歌い上げていた頃の彼も良かったが、年齢も70代半ばとなった今が一番輝いている時期だろう。こんな風に歳が取れたらいいなとつくづく思う。

とにかくベテランの持ち味を充分出したストレートアヘッドな演奏だ。
但しそんな風に書くと、長いキャリアから生み出される安定感だけが売りかと誤解されるかもしれない。違うのだ。この場合の表現は難しいが、渋さの中にも「若さ」が感じられるとでも書けばいいのだろうか。決して単なる「枯れた味わい」だけを売りにしていないところが嬉しい。それだけファットヘッドはこの歳になって元気はつらつなのだ。
旧友ジョン・ヒックス(p)との相性も抜群だし、ブライアン・キャロット(vib)との掛け合いも見事だ。今回はサックスの他にフルートも吹いており、全体を華やかな印象に仕上げている。
こうしたムードづくりのうまさががベテランの成せる技なのかもしれない。
これぞ大人のジャズだ。


STAN GETZ 「SWEET RAIN」

2007年03月06日 | Tenor Saxophone

スタン・ゲッツだけを聴きたいならこのアルバムでなくても傑作は多い。
ただここでどうしても忘れられない男がもう一人いる。チック・コリアだ。
これは1967年の録音だから、彼(チック・コリア)を一躍有名にした「Now he sings,Now he sobs」の約1年前ということになる。彼の弾く研ぎ澄まされたかのようなピアノタッチは、この時点で既に完成していたことが容易にわかる。他の誰とも違い音の一粒一粒が光り輝いているようだ。
これにスタン・ゲッツが「よ~し!」とばかり気合いを入れた。このピーンと張りつめた雰囲気が何とも心地いい。ここからがインタープレイの始まりだ。作品の出来が悪かろうはずがない。

インタープレイを辞書で引くと「相手の音に反応し合い、それによって個々を高めあい、全体を活性化させる音楽的会話」とあった。ジャズの醍醐味はこれに尽きる。
そういえば普段の仕事上でもそういったことは往々にして起きる。要するに自分を高めてくれる仲間や友人を一人でも多く持つことが大切なのだとつくづく思うのである。

DEXTER GORDON 「DADDY PLAYS THE HORN」

2007年02月28日 | Tenor Saxophone

パパッパ、パッパパッ、パァ~パッ。で始まる切れのいい明るいリズムとデックスの大らかさが好きだ。
思わずうきうきしてくる。こんな感情は他のサックス奏者からは得られない。根は相当明るい人だ。少なくともこのアルバムの録音時はハイだった。
ただこの時代(50年代)の彼の録音はメチャクチャ少ない。聞くところによればドラッグ漬けで身も心もボロボロだったらしい。もちろん当時のジャズマンのほとんどがそうだったのだから特別な話ではない。ある意味ジャズマンとして真っ当な暮らしをしていたわけだ。しかし、だ。そんな状況にあってこの明るさは特別だ。これが彼の彼たる所以である。

彼と並んでピアノのケニー・ドリューがまたいい。自分の出番が来た時の受け継ぎ方などは実にスムースで、全体の雰囲気をさらに盛り立てていく。私の好きなリロイ・ヴィネガーも相変わらずズンズンズンとウォーキングベースを唸らせる。バックとの相性がいいとこのような名盤が生まれるわけだ。これは名作揃いのベツレヘムの中でもかなり上位にランクされる作品だろう。

HARRY ALLEN 「TENORS ANYONE?」

2007年02月08日 | Tenor Saxophone

イギリスのテナーマンといえば、タビー・ヘイズ、スパイク・ロビンソンなどが真っ先に思い浮かぶ。
考えてみればいずれも黒人ではない。このハリー・アレンも見るからに典型的な白人だ。ただこれらの人気者が生み出される一連の流れは決して偶然ではないような気がしている。
彼らはいずれも音色で勝負する人たちだ。それが紳士の国の折り目正しい白人気質だともいえる。つまり彼らは一時代を席巻したコルトレーンの流れを踏まず、あくまで古き良き時代のレスター・ヤングを踏襲している点が特徴なのだ。
それもこれもジャケットを見れば一目瞭然、すっきりさっぱりのジェントルマンだ。

さてこのアルバムはドラムレス編成である。その替わりにギターが入っている。ジョン・ピザレリだ。
このスタイルが何ともいえずノスタルジックな大人の雰囲気を作っている。ピアノもよくスウィングしていて気持ちいい。
お薦めは「レスター・リーヴス・イン」「ティー・フォー・ツー」。実にしびれる演奏だ。