白川通りの少し西に「猫町」というカフェがあるのを知っていた。
知っていたけども、行ったことはなかった。
きのう、文庫堂の入口にあった、太宰の全集のかたわれ
一冊200円を三冊と、「鏑木清方」の画集、300円を買って
この店にはじめて入った。
名前は、萩原朔太郎の小説のタイトル「猫町」にちなんでいる
ようだが、それ以外は、普通のカフェだった。
朔太郎の何か、空気でもあるかなあ、と思ったのだが
それは、さっぱりなかった。
鏑木清方の絵。
画集でじっくり見たのは、はじめて。
でっかい画集をカウンターでひろげて、まずは、ここちよかった。
鏑木は、随筆集の「こしかたの記」「続こしかたの記」で
なじんでいたが、
こうしてじっくり眺めていると、衣服に対する
繊維といったらいいか、それは、黒髪などもふくめた
密なるものへの、フェティッシュが凄かった。
見つめていることの愉悦が、密に充満している。
『鰯』という作品の、点的な景物に
記憶すら、エロティックに内包させてしまい、茫洋とする
創作者の笑みが匂うようだ。
私は関西の人間なので、江戸風な粋さというのを非常に格好良く感じます。たとえば亡くなってますが漫才の内海好江師匠、あのひとの着物の粋さというのは、関西の美意識ではとっても真似できないセンスで、いつも感心して見ていたものです。
鏑木清方の絵は、そういう東の美意識というか色気がいいんですね。いちどじっくり見たくなりましたが、関西の美術館にはあまり収蔵されていないですよね、多分。
芸術や美術といった分野の人ではなくて、
粋に生きている、そこで描いているという風情ありますね。
池波正太郎などに通じるような。
でもどこか、鏑木のエロティシズムは、
ニュートラルで、そこが、繊維や空気という
人気(ひとけ)ない、肌触りを感じさせるのでしょうね。
人気のない、ここが江戸の粋かもしれない。