文屋

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◆あらためて、セシリア・エボラのことと音楽について

2012年02月05日 17時33分08秒 | 音楽
昨年の暮れに70歳で亡くなった、セシリア・エヴォラのことが
ずっと気になってしょうがない。
セザリアという表記もあるが、10年ぐらい前に買ったCDに書かれていた
表記のまま、ぼくの頭の中では、「セシリア」で記憶している。
そのときのCDには「大西洋のビリー・ホリデイ」と謳われていた。
まあ、ビリー・ホリデイと似ているかどうかは別にして
歌が心に沁みた。解説の中に彼女の肖像がのっていて
ウィスキーの入ったコップを手にした、酔っぱらった老女だった。

そのとき、ぼくは彼女の音楽もそうだが、住んでいる島が
気にかかった。その島、「カーボ・ヴェルデ」を地図で確かめると、
ポルトガルにあった。(公用語もポルトガル語)
ポルトガルといっても、ヨーロッパの圏域内でもなく
どちらかといえば、アフリカの圏域にも近く、ちょうどその中間の
大西洋に浮かぶ、孤島群であった。

少しこの島のことを調べた。あまりなかったが、この島の音楽を
集めた2枚組のCDも購入して聴いてみた。
どうもこの島は、ヨーロッパと新大陸アメリカを結ぶ要衝であったようだ。
なんのための拠点であったかというとアフリカ大陸の
黒人たちを運ぶための継地としての島であった。
要するに、当時の西欧人たちの搾取と収奪のための島であったとも
言える。
もう少し調べてみると、黒人たちは、この島からアフリカ大陸の
象牙海岸を経て、ブラジルや南米諸国に運ばれていた。
そういう歴史がある。

彼女の唄う歌は、「どこかの歌」であり、「どこでもない歌」に聴こえた。

ぼくは、このCDを聴いていた当時、ジャズ関連の仕事で
ニューヨークに行った。ジャズを聴きに行って、そこで南米音楽の
魅力にとらえられてしまった。

たとえば、トライベッカのSOBsで聴いた、カリ。
ヴィレッジゲイトで聴いた、グルーポ・ニチェなどの演奏に接した
衝撃は、同時に聴いた、ジャンポール・ブレリーやデビッド・マレイを
凌駕した。それからは、一時期はずっとラテン音楽にどっぷり。

コロンビアの弦楽がからむ、ダンス音楽。気品が香るブラジルのショーロ。
マルチニークのビギン。プエルトリコの労働歌。ハイチやチリなど。
そしてとくに40、50年代のキューバ音楽に深く魅了された。

アンソニオ・ロドリゲス、カチャーオ、コルティーホ、マチート
タブー・コンボ、ラファエル・フェルナンデス、
そしてトロンボーンのモン・リベーラ、ピシンギーニャなど、
好きな音楽家をあげればきりがない。

セシリアの歌は、ポルトガル語という言葉のニュアンスもあるが
ファドのようでもあり、ブラジルの古謡のようでもあり、
確かに、ビリー・ホリデイのジャズのようでもあった。
さらには、彼女がキューバで人気があるように、キューバ音楽
のようでもあった。「どこでもない歌」は、ただ、「クレオール」
といえばそうでもあるが、ひょっとして、いや多分
アフロリズムの混在した、その根の芯の部分に
はるか昔の、クープランなどの小唄などがまざっているのではないかと
夢想した。

たとえば、マルチニークという南米の島に「ビギン」など、西洋風の
優雅が混ざったか、そしてその優雅にシドニー・ベシェやチャーリー・パーカー
たちジャズメンが魅せられたか、
カリブ音楽圏の、ポルトガル語、フランス語、スペイン語、英語など
多様な言語による多種多様な音楽が、ニューオリンズのストーリービルに
吹きだまるがごとく集積したか、そのはるかな道を思った。

また、マルチニークに育った医師でもあった、フランツ・ファノンのことを
思い出し、第二次世界大戦の疎開で、レヴィ・ストロースとアンドレ・ブルトンが
島へ向かう船上で出会った逸話なども想起した。

つまりは、セシリアが70年、心の錘のように胎に澱ませてきた「唄」こそが
ジャズの根ではないかと考えた。



そうしてある日、ホレス・シルバーに「カーボ・ベルデ」という曲があることを
思い出した。なぜか。よく調べてみたら、このファンキージャズの創始者でもある
ピアニストの父は、セシリアと同じこの島の出身者だった。

よくよく地図を眺めてみれば、ポルトガルのカーポ・ベルデ島と
ニューヨークは、地理的にも近しいことを知った。



たとえば、これを「大西洋の道」として、「太平洋の道」を考えれば
マダガスカル島で独自に熟成されたポピュラー音楽のことも重要だ。
タリフ・サミーというグループが唄う、あの喜納昌吉の「花」。
伴奏に加わっているのは、デビット・リンドレイやヘンリー・カイザーら
西洋人だ。

それから、「大陸の道」もあろう。去年、ジョルデイ・サヴァールが
スペインから日本まで、東へ東へ伸びる音楽の道をたどった実験的な
CDがあった。その果てにあったのは、日本の「新内」や「清元」「常磐津」など。
もちろん、日本はとだされた国ではあったが
河内音頭と鉄砲伝来との関連だとか、とても面白い話もある。

マダガスカルからインドネシアまで、船で漂えば、想像以上に
短い時間で着くという。



まだまだいっぱい知りたいことや学びたいことがある。

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