文屋

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★吉田秀和の本で、中也と吉田一穂に出会った。すごい交友があったもんだ。よくぞ。

2005年11月07日 19時17分56秒 | 文学全部

ベートーヴェンのことが書いてある本を探していて
吉田秀和の「ソロモンの歌」を手に入れる。

ぼくは、クラシックのレコードを買うときにずっと
座右に置いてきた、吉田秀和の「LP300選」。
そうした音楽の情報を読もうと思ったのだが
思いがけず、

中原中也と吉田一穂に出会った。

吉田秀和という人は、いまでこそ、クラシック随想の大家ではあるが
その昔は、中原中也や大岡昇平や小林秀雄と交友があったことは
知っていた。

でもこの「ソロモンの歌」で書かれている「中原中也像」こそが
ぼくが先年よりいろいろ耳にしてきた中原の生な姿だったんだ
と、くいいるように、しかもじっくり味わって読んだ。

冒頭の散文が
・中原中也について
次が
・吉田一穂のこと
次が
・小林秀雄、伊藤整、大岡昇平
である。

音楽に出会おうと意図していたのに、詩人に会った。

それにしても吉田秀和は、なんとめぐまれた人との交友機会を
もっていたのだろう!驚いた。

中也については、その破滅と天才について畏怖しつつも不思議であった像が
くっきりと描かれている。
当時17歳だった、吉田が年上の中原に無理に酒をおごらされるに
至ったことが書かれていて、とても生な体験記述だった。

伊藤整は、中学まで英語を習っていたという。
小林秀雄が大岡昇平の家に行き、シベリウスのヴァイオリン協奏曲
をかけるところもよかった。楽しい記述だ。



とても驚いたのは、吉田一穂との交友。
ひたすら私淑した、この詩人のことは、美しく絶賛している。
一穂の住まいの情景をとくに称えている。

そして一穂が書いた、詩の定義めいた言葉を要約して
こう記している。



引いてみる

「詩人」吉田一穂についていえば、だから青春の「詩の泉」は去ったが
より広い人間的なものへの関心を通じての転身の機会も、向うの方から
離脱していった。
『だから詩を書くのだ。私は詩人であり、ほかの何者でもない』
『だが詩とは何か?』

そして次の言葉を注視した。

『詩とは自分の内外にある虚無に向って、火を放つものだ』
『詩は、もう一つの宇宙を創る天を低めて自らを神とする術である』
こういう裸かの思想を、何度私たちは、きいたことだろう。
『明日は詩をつくるだろう!』

しかし、その明日、氏を訪ねてみると、机の上には、ただ白い原稿紙
とペンとパイプがあるだけで、その白い紙には何も書かれていない。
『昨夜は何も書けなかった。今日は一つ歩いて、金をつくって来なけ
ればならない』



ここに詩人がいる。ほんとうにだ。

ぼくは、この文に接して、生気を頂戴したように嬉しい。


『自分の内外にある』『虚無に火を』『放つ』
『もう一つの宇宙を創る』『天を低めて』

含意熾烈。

詩の血も骨も、一旦は笑う凄みがありながらも
それがひとつの生存にかかわる、はぐれた生であることを
諦観している。

吉田一穂の詩論的散文を昨夜から、貪るように読んでいる。

すべてが、メタファー論であり
生存と非存の領野をいったりきたりする

それはそれは、強いメタファー観であった。



吉田一穂の年譜を見ると

秀和と一穂の出会いは、昭和6年

一穂、33歳。吉田秀和は、高校二年。
そのころ、中也とも交友があったことになる。

年譜にはさらに、

「吉田秀和らは」
『一穂のすべての生活の協力者となる』

と記されている。





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