文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

●別冊カドカワに書きました。

2005年02月07日 15時29分43秒 | 文学全部
ふだん現代詩の世界にいると、こむずかしいことばかり考えていて
いまでも、伊東静雄の戦中の一部の作品は、どうだったのかなどと
頭をかかえていますが、たまには、一般誌から
原稿依頼があって書いている。

このブログってまだ、数週間しかたってなくて、もひとつ
トラックバックやなんやかやの仕組みわからなかったけど徐々にわかってきた。

まあ、自分の書いた文章で、いま本屋でもちらっと読めるものは、一応
案内しておこうと思った。

「別冊カドカワ」のGLAY特集という雑誌があって
そこで、GLAYの詩について述べています。

---------P236 「息するように語られるセンチメンタル」

ずっと前から思ってきたことだけど、日本のJポップの歌詞って
どうしていつまでも近代詩なんだろう、といつも疑問に思ってきた。
近代詩って、つまりは、古くさいわけです。
「私は」
「辛い」「悲しい」「孤独」です、と切々と、センチメンタルに迫る。
迫り方が、一様。これ、一様であるからこそ、大衆にうける。
大衆にうけなければ、音楽も産業だから、レコード化にもならなかったわけで。

ところが、難解でならした「現代詩」も、一時期歌われたときがあった。

たとえば、六文銭などが、谷川俊太郎や大岡信や清岡卓行の詩を唄った。

でも、大衆化しなかった。つまり多くの人にはうけなかった。
息が短いんだろうね。そうした歌は、歌詞が突出している分だけ
一度聴いたら、すぐに歌全体に納得してしまって、愛唱されたりはしない。

でも、その谷川俊太郎も、たとえば彼の有名な歌詞
「鉄腕アトム」は、谷川が完全に大衆側に降りて、愛唱された。

歌われる詩と、読まれる詩、これはまた質が違うのだろうね。


             ---------------------------つづく「別冊カドカワ」

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2 コメント

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はじめまして (past_light)
2005-02-13 19:25:54
先日はご挨拶もせず、トラバさせていただきました。

とらばのお返し頂いてありがとうございました。



矢野顕子の歌った谷川俊太郎の詩などは、曲としては彼女の歌声で成功しているのでしょうか。

いや「太陽のおなら」のような子供の詩を歌ったものの方がもっとストレートで、なんだか飽きないのですが。



また時々読ませていただきに参ります。
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トラックバック有難うございました (ならぢゅん)
2005-02-16 12:47:17
拙文(谷川俊太郎「入眠」――「現代詩手帖」1月号から(3)、http://jnara.cocolog-nifty.com/yneco/2005/01/post_5.html)にトラックバックを頂戴し有難うございました。



>ずっと前から思ってきたことだけど、日本のJポップの歌詞って

>どうしていつまでも近代詩なんだろう、といつも疑問に思ってきた。



そうですね。不思議ですね。



少し話が違うかもしれませんが、詩も、一番、読まれているのは実は萩原朔太郎とかの近代詩ではないですか? あとは西脇順三郎とか一部のモダニストと谷川俊太郎。



もっと読まれるべき詩人がいる、との思いから「ブログでつくる詩人名鑑」(http://blog.livedoor.jp/jnara/)を始めました。こちらもどうぞご贔屓に。では、また。
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