文屋

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■この夏は、たくさん詩を書いた。流茫、退却する蟻の図が浮かんでは消えて。

2007年09月06日 10時27分06秒 | 日録雑感


きのう、昼飯時に
心のどこかに、武満徹の音楽が鳴って
都市の溝に、無数の蟻たちが流茫、退散、消去される
ようなことをイメージ。
自転車で、京の小路を走っているときだ。

詩は、いつもこんな感じで書きはじめられる。

すっと行くときは、ほぼ20分ぐらいで
50行ぐらいに草稿があがる。

この夏、8月締め切りの詩作品が7件もあった。

みな、水にまつわる作品ばかりだった。

蟻が流された、豪雨、あるいは驟雨。

その雨は、この世界を描く、素描の主体で
夏の人々は、その蟻よりも淡い、主や身で
受動的に構成され、描かれている
と思った。

連作進行中の「双児の艸」でも
似たようなことを考えている。

右耳の上のこめかみあたりがずっと痛く
湿布をしたりしているが、調べる必要があるかも。

7作も書いて、雑誌に送って
その間に、通販カタログなどのコピーも仕上げる。
湿布を貼りながら
ゴルフの月例競技にもでる。
祇園に行くような生業関連の日常もある。

詩を書く、その「書くこと」を日録になど
しるしたことはほとんどないが
疲れた、夏だなあと思う。



ステレオではなくて、
50年代のモノラルの音源に親しんできた。

8月から9月にかけて
ウィリアム・カペルというピアニストの音。

これも、なぜだか
「水」を感じて聞いている。
ミケランジェリの音も。
ピアノの音、「風」よりも少し、少しだけ
ソリッドな粘りのある「水」がいい。

それは、すぐに、退却して、流茫して消える。

この夏は、そんな夏だった。


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