文屋

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■ゆっくりと浸されていく、ブルックナー音楽の世界。

2012年06月21日 10時56分11秒 | 音楽


ぼくのいのちに必要な音楽。1   

 アントン・ブルックナー 1


ブルックナーの音楽と出会ったのは、80年代のはじめのころだった。
そのころは、まだブルックナーの音楽はあまり知られていなかったように思う。アナログからCDにメディアがかわって、ブルックナーのCDは、店でもあまり売られてなかった。そんな中から、なんの知識もないままに手に入れたCDが、サヴァリッシュ指揮・バイエルン国立管の交響曲6番だった。ぼくはそのころ、カルロス・クライバーが指揮した、同じ楽団のベートーベンの交響曲4番に夢中だった。バイエルン国立管というのは、楽団としてそんなに高く評価はされていなかったかと思うが、とにかくクライバーの熱演で、なんだか、「いい響きだなあ」と思いついついつられて買ってしまった。
ブルックナーという名もどんな音楽の傾向かもまったく知らなかったが、一聴して「ワーグナーの管弦楽版だなあ」と思った。
 それからそのブルックナー盤は、しばらく聴くこともなくわが家の棚に眠っていた。ベートーベンやブラームス、シューベルトなどはたまに聴いてはいたが、あの陰鬱な厚みのある音塊をなんとなく拒んでいたのかもしれない。
 そして10年ぐらいたっていただろうか、マーラーの交響曲盤などは、もうCDショップにも百花繚乱のごとくに並んでいた。ブルックナー盤も、以前に比べて格段に増えていた。そのころ手にしたのが、ブロムシュテット指揮ドレスデン国立管の交響曲4番と7番だった。
 アントン・ブルックナーは、19世紀後半に活躍したオーストリアの作曲家だが、その作品は9番まである交響曲がすべてといってもいい。ミサ曲や室内楽曲もあるが、とくに交響曲の3番から9番までが一般的にはよく知られている。元々は、リンツ近郊にある聖フローリアン寺院のオルガニストであった彼の曲は、その基底にオルガンの響きがあるというようにいわれることが多い。また、一曲の所要時間が80分近くあり、「長々と続き、どの曲も同じように聴こえる」などと評される。確かに、モーツァルトの交響曲41番「ジュピター」が、約30分、ベートーベンの交響曲6番「田園」が約40分ほどだから、その2曲分以上の長さになる。独特の霧に包まれたようなかすかな律動ではじまる「ブルックナー開始」や、全音がぴったりと止み空白をつくる「ブルックナー休止」など、特有の書法があり、そのような頑なな曲づくりがある種の平坦な連なりを感じさせるのかもしれない。たとえば、ベートーベンの「英雄」「運命」「田園」「合唱」などと連なる山巓の起伏と比べても、ブルックナーにそうした劇的な構成・企画性はほとんどない。
 さて、ブルックナーとの最初の出会いから20年以上もすぎたころ、2005年ぐらいだっただろうか、私は突如として“ブルックナー狂”になってしまった。もう、彼の交響曲はひと通り聴いていた。そして徐々にではあるが、所持している指揮者や楽団以外のいろんな演奏を聴きたくなってきた。それまではたとえばベートーベンにしても曲さえあれば指揮者や楽団など気にもしないほうだったのに、どうしていっぱしのマニアのようになってしまったのか。そんなことを顧みないまま、わがCD棚は、ブルックナー盤で埋まっていった。どちらかといえば、クラシック音楽よりもジャズを好み、日常的には、ジャズやロックを聴いていた私が、いつの間にか、仕事中も車の運転中も自宅でもずっとブルックナーの交響曲を聴くようになっていた。そして棚には、いつしかブルックナーの交響曲だけでCDが400枚ほどになっていた。
 音楽が流れている間、今という現実が薄く感じられ、音や旋律の中に没頭できる。悔恨や悲哀や恥辱や、仕事の軋轢や、そうした雑然と混在する時間が、浅薄に感じられただけではなく、それは“目前の音楽”に比べてあきらかに浅薄であると確認できた。錯覚や思い込みかもしれない。いやそれはそうだろう。音楽など眼前にはどこにも姿形は存在していない。しかし、それと対峙するとき、聴くこちらがわの生命や情や観念は、姿形になっているかというと、それもまた存在はしていない。おあいこなのだ。
 とても不思議なことだが、ブルックナーの交響曲を聴いている時、私の心の中に自分の生涯のさまざまな記憶がめぐりめぐって浮き上がってくる。それは、幼児であったころの母や父との対話であったり、小学生のころに見た山河の風景だったりする。就寝時の夢見とはまったく違う、覚めた現実感をともなって見えてくるのである。
 単なる、癒しといったものではないなにかへの没頭や没入、現実逃避というだけだろうか。そのことをもう少し考えてみたい。

初出 富山県の詩誌「天蚕糸」4号

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