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「今日までそして明日から」の発表当時、吉田拓郎は24歳くらい。
こんな若造に人生を歌われてもショーガナイよなぁ、という感覚が世間にはあったかもしれない。「今日まで」って言っても、その「・・・まで」に大した蓄積もないよねぇ。とか。あの岩崎恭子サンの「今まで生きて来た中で」と似たような感じ。
で、それから35年以上経った、昨年のつま恋を取り上げたNHKのドキュメントで観た「今日までそして明日から」の、35年以上かけて付いた、その箔の付き方は半端じゃなかった。本当スゲェと思った。
なにしろ、吉田拓郎一人分の箔でも凄みがありそうなのに、その上に、もンの凄い数のファンの方達分の箔です。スゴくない訳がナイ。
と、そんな訳で、2006年のつま恋の「今日までそして明日から」にはカンメーと言うのを受けた訳ですヨ、ワタクシ。要するに鳥の肌。
さて、そんで、そのNHKのドキュメント観て、吉田拓郎というヒトのカリスマ性ってものを改めて思い知ったりもシマシタ。この方、軽く30年以上もカリスマであり続けているんデスね。正直ココまでスゲェとは思ってなかった。いや、スゲェ人だってのは知ってましたけどね、その、ファンの方達からの「思い入れられ方」の凄さは想像を超えてました。ワタシの世代(1969年生まれッス)になると、熱狂的な拓郎ファンというのは、あまり居ないと思うンですが、チョット上の世代に、もの凄い数の、モノ凄い熱いファンを生んだ吉田拓郎は、やっぱ、思っていた以上にスゴいヒトだと思ったり致しマス。
で、ワタシの世代にとって、こんなカリスマは居るのかと言えば、多分居ない。
こういうカリスマを持ち得た世代が、ある意味羨ましいような気がします。
で、改めて、音楽的な拓郎ネタは次回。
(か、どうかは分からない。)
ちなみに画像は、88年頃に購入したベスト盤CD。
この、プラケース、今となっては、ほとんど見かけない変形タイプ。
それはソレで面白いので、またアップしたいと存じマス。
ぢゃ。
こんな若造に人生を歌われてもショーガナイよなぁ、という感覚が世間にはあったかもしれない。「今日まで」って言っても、その「・・・まで」に大した蓄積もないよねぇ。とか。あの岩崎恭子サンの「今まで生きて来た中で」と似たような感じ。
で、それから35年以上経った、昨年のつま恋を取り上げたNHKのドキュメントで観た「今日までそして明日から」の、35年以上かけて付いた、その箔の付き方は半端じゃなかった。本当スゲェと思った。
なにしろ、吉田拓郎一人分の箔でも凄みがありそうなのに、その上に、もンの凄い数のファンの方達分の箔です。スゴくない訳がナイ。
と、そんな訳で、2006年のつま恋の「今日までそして明日から」にはカンメーと言うのを受けた訳ですヨ、ワタクシ。要するに鳥の肌。
さて、そんで、そのNHKのドキュメント観て、吉田拓郎というヒトのカリスマ性ってものを改めて思い知ったりもシマシタ。この方、軽く30年以上もカリスマであり続けているんデスね。正直ココまでスゲェとは思ってなかった。いや、スゲェ人だってのは知ってましたけどね、その、ファンの方達からの「思い入れられ方」の凄さは想像を超えてました。ワタシの世代(1969年生まれッス)になると、熱狂的な拓郎ファンというのは、あまり居ないと思うンですが、チョット上の世代に、もの凄い数の、モノ凄い熱いファンを生んだ吉田拓郎は、やっぱ、思っていた以上にスゴいヒトだと思ったり致しマス。
で、ワタシの世代にとって、こんなカリスマは居るのかと言えば、多分居ない。
こういうカリスマを持ち得た世代が、ある意味羨ましいような気がします。
で、改めて、音楽的な拓郎ネタは次回。
(か、どうかは分からない。)
ちなみに画像は、88年頃に購入したベスト盤CD。
この、プラケース、今となっては、ほとんど見かけない変形タイプ。
それはソレで面白いので、またアップしたいと存じマス。
ぢゃ。
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