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札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

小樽 蔵めぐり ⑨

2022-04-27 20:36:23 | 小樽市

参考図書は資料として素晴らしくかなりの軒数が記載されておりますが、全軒訪問が近づいてきました

*参考図書「小樽 蔵めぐり イラスト帖」2017年6月16日発行
*一般住宅の名前・住所は略で 地図は載せません

 

 

「S氏邸 蔵」

 

忍路
1904(明治37)年建築
木骨石造2階建て

S氏の蔵は「小樽 蔵めぐりイラスト帖」にはもう1棟あったが解体されたようだ。
過去にはニシン漁の網元として番屋やいくつもの蔵を所有していた。
現在までの間にニシン漁は衰退し残っている蔵も少なくなったと言える。

とは言え、忍路、高島、祝津には漁業が盛んだったので蔵はまだあるほうだ。

 


2022年3月撮影

 

 

「旧渡辺薬局 蔵」

 

塩谷1丁目
明治30年代建築
木骨石造2階建て

新潟出身の建築主は、ここ塩谷で行商をし薬局として代々続いた。
その時の薬用の蔵と思われる。

現在の子孫は札幌市で商売をしているとのこと。

塩谷は国道5号線を挟んでJR駅のある山側と海水浴場のある海側に
住宅地は分かれる。
この蔵は海側のメーンストリートに面しているが塩谷も現存している蔵はほとんどないかも知れない。

 


2022年3月撮影

 

 

「T氏邸 蔵」

 

高島
明治時代建築
木骨石造2階建て

高島地区には新潟の日本海側からの移住者が多いとのこと。
T氏はニシン漁が絶えてからも、北洋漁業などを営んでいた

会社の名前は「山善水産」で、「山」に「善」を屋号にし蔵にも記したようだ
蔵は住宅街にあり表裏どちらからでも見ることが出来る。


 


2022年3月撮影

 

 

「A氏邸 蔵」

 

高島
建築年不詳
木骨石造2階建て

建築主は不明で1998年ごろにA氏が取得した
そのころは漁具の倉庫に使われており、高島地区はやはり漁業関係の蔵が多い。

窓廻りを木で下見板張りにしたりガラスを入れたりと個性がある蔵だ
ちなみに窓を中心からずらしているのは直射日光を避けるためと記載してある。

住宅街の細い坂道にあり正面からは全景を撮影出来なかった。


 


2022年3月撮影

 

 

「旧青山家文庫蔵」

 

祝津1丁目35-1
1896(明治29)年建築
木骨石造2階建て

青山家は ニシン漁で祝津の三大網元として巨万の富を得た。

その栄華を残すものとして祝津3丁目の「旧青山別邸」や開拓の村に移築された「旧青山家住居」などで見ることが出来る。

当然、蔵も多かっただろうが、この「文庫蔵」はほとんど前浜に面した
場所に建つ。

文庫蔵とは現在の書斎を言うらしいが、数代にわたり栄華を極めた青山家には書斎も必要だったのだろう。

ちなみに併設されている建物は、蔵を購入した方が蔵の雰囲気に合わせて
建てたものである。

こういう方も素晴らしい。

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

 

「旧青山家倉庫」

 

祝津1丁目35-2
1896(明治29)年建築
木骨石造平屋

住所は祝津だが、昔のこの辺は豊井と呼ばれた漁村であった。

青山家はここにニシン漁の基地としてかなりの場所を所有して番屋や倉庫として蔵を持った。
蔵は数も多かったようだが現存しているのは先記の文庫蔵とこの蔵だけである。

現在は漁業関係の企業が資材倉庫として活用している
豊井は幼いころに何度か海水浴に来たことがあるが、風景などはすっかり忘れていた。


 


2022年3月撮影


 

 

「旧青山家倉庫」

 

祝津3丁目117
明治時代建築(推定)
木骨石造平屋

この倉庫の近辺に、現在開拓の村にある「青山家本邸」があった。
道路を1本挟んだ隣は祝津3大網元の茨木家蔵と本邸が建っており、この地域がニシン漁の重要な場所であったことがわかる
倉庫は「小樽大正硝子館」の倉庫として使われたが現在未確認。
前記した祝津1丁目の蔵と同じくらいの大きさか。



2020年10月撮影

 

 

「茨木家蔵①」

 

祝津3丁目118
建築年不詳
木骨石造2階建て

蔵は2棟並んで建っており、バス通りに面したのがこちら。
茨木家は、他に本邸や番屋も現存している。
中には食器やお膳など家庭用品が多く収められていたそうだ
それだけたくさんの人がここには暮らしていた。


2020年10月撮影

 

 

 

「茨木家蔵②」

 

祝津3丁目118
建築年不詳
木骨石造2階建て

前記の蔵と背中合わせに建っていて、蔵の状態は上々である。
中に収納していたのは隣と一緒で家庭用品が多いようだ
この2棟の間から垣間見える見事な本邸を見てほしい。





2020年10月撮影

 

 


小樽 蔵めぐり ⑧

2022-03-25 10:16:51 | 小樽市

参考図書は資料として素晴らしくかなりの軒数が記載されておりますが、全軒訪問が近づいてきました
今後、機会をもち追加していきます。

*参考図書「小樽 蔵めぐり イラスト帖」2017年6月16日発行
*一般住宅の名前・住所は略で 地図は載せません

 

「S氏邸 蔵」

花園
明治初期建築
木骨石造2階建て

建築主はこの建物を「置屋」として建てた。
その後に冷凍庫として使われ、内壁には厚さ20センチの断熱材が貼ってある珍しい蔵だそうだ。

蔵のある近辺は現在こそ住宅街であるが、昔のこの辺は歓楽街だった。


2022年2月撮影

 

 

「旧井出質店 蔵」

稲穂4丁目8-19
1929(昭和4)年建築
木骨石造2階建て
#(いげた)は井の屋号に使われる。古地図にはこの位置に井出質店があったようだ。
商業の街である小樽には古くからの質店が多くあったが、現存して営業している店舗は少なくなった
蔵に隣接して店舗・住宅があったのは壁に表れている
建物は解体され蔵だけが残ったが現在は再活用されている。


2021年12月撮影

 

 

「旧内山海産物問屋倉庫」

稲穂5丁目2-2
建築年不詳
木骨石造2階建て
元々は海産物問屋が建てたので海産物を貯蔵する蔵だったのだろう
幹線通りに面しており、少し奥まった位置に建っているが見やすい場所にある
廻りは駐車場になっており蔵自体の活用は不明。


2022年2月撮影

 

 

 

「旧越中屋旅館 蔵」

色内1丁目8-25
(明治10)年代建築
木骨石造2階建て
越中屋旅館の創業者は富山県出身の上谷氏。
来樽時は廻船問屋を営んでいたが、やがて屯田兵や北前船で賑わうようになると旅館を始めた。 
現存する洋風の建物は2代目が外国人向けに建てた越中屋ホテル。(現アンワインド ホテル&バー)
蔵は創業時からあったようだ。現駐車場にひっそりと建っている小ぶりの蔵である。



2022年2月撮影

 

 

 

「よしむら倉庫兼事務所」

色内2丁目2-12
1905(明治38)年建築
木骨石造2階建て

いわゆる出抜き小路に面した大き目の倉庫。
建て主は不明とあり、現所有者が取得したのは1987年ごろと言われる
この場所は埋め立て地であり水が湧き、その補整をしなければならないそうだ。
木造の箇所は後付けかも知れない。


2022年2月撮影

 

 

 

「北一硝子倉庫①」

色内2丁目3-11
1907(明治40)年建築
木骨石造2階建て

旧稲積第三倉庫で、富山出身の稲積氏が米穀相場で成功し倉庫業を営んだとある。
北一硝子は倉庫として歴史的な古い倉庫をいくつも所有しており①が付いたこの倉庫はかなり前から所有したのだろう。
グリーンに塗装された扉が印象的だ。



2022年2月撮影

 

 

 

「旧藤川邸 蔵」

色内
1906(明治39)年建築
木骨石造3
階建て
現所有者の祖父が明治時代に取得したとあるので最初の所有者は不明。
木造家屋の上にちょこんと乗っているようにも見えるが3階建ての蔵である
見ることは出来ないがとてもスマートな全容なのだろう。


2022年2月撮影

 

 

「飴谷製菓第二工場倉庫」

色内2丁目15-15
建築年不詳
木骨石造2階建て

飴谷製菓は主に飴を作っている 創業者は富山出身の飴谷氏であり
偶然なのか、苗字に合わせてのものなのか
第二工場倉庫は車は入れない細い小路に面しており道路側に工場がある。
飴谷製菓の本社前で飴を屋台で売る姿が最近はテレビとかで見るので
ぜひ購入してみたい。



2022年2月撮影

 

 

 

「旧小樽倉庫」

色内2丁目1-20
1894(明治27)年建築
木骨石造平屋・れんが造り2階建て
*小樽市指定歴史的建造物第13号
旧小樽倉庫は石川県の北前船船主の西出氏と西谷氏が建てた倉庫
軟石は小樽と札幌産のものだそうだ。
中庭がありしゃちほこが取り付けられている この倉庫は国の免許を得た
道内の営業倉庫第一号である。
1982年に市博物館に、その後は運河プラザも開業して観光客の絶えない
施設となっている。 ぜひ中に入り中庭も見てもらいたい。

 


2020年10月撮影

 

 

 

「大同倉庫A号低温倉庫」

港町5-3
1927(昭和2)年建築
木骨石造平屋

大同倉庫とは戦時下に指令により1社に集約され、戦後に昭和、共同運輸、小樽物産、中村、猪俣、丸和、高橋の7社が設立し「大同倉庫」となった。

この低温倉庫は室温約15度を保つことが出来るという。


2022年2月撮影

 

 

 

「大同倉庫5号・6号低温倉庫」

港町6-3
1924(大正13)年建築
木骨石造平屋
小樽市の港を南北に走る臨港線
その運河から埠頭側が港町である。 運河から中心部側が観光客が多く
埠頭側は大型トラックや水族館方向へ行く車が多い
大同倉庫を含め倉庫群の間を通るのは港湾都市ならではでしょう。



2022年2月撮影

 


「小樽市の歴史的建造物 ⑦」

2022-02-27 12:07:11 | 小樽市

*町ごとに現存し撮影した建物だけ記載します
*町のコメントはwikipediaと私的所感です
*名前は1994年発行時のものです
*「小樽の建築探訪」とダブリます
*未訪問は訪問後に追加していきます
*現役個人宅は町名まで
*wikipedia、google streetview 
*「札幌ノスタルジック建築散歩」様、「小梅太郎の小樽日記」様引用

 

【信香】



信香町はJR線と臨港線、勝納川に囲まれた小さな街である。

古くからの一般住宅や商店があるが、他の街同様に取り壊しや新築に代わってきている
地理的に札幌~小樽間の通行路にもあるため臨港線沿いには大店舗も出来ている。

 

『旧岡崎倉庫』 信香町2丁目2 *現田中酒造 亀甲蔵 +内部見学自由


2020年10月撮影

 

『S氏宅』 信香町5丁目 


2020年10月撮影

 

『旧小町湯温泉』 信香町11丁目4 開業明治15年(1882年)+2021年10月閉店


2020年10月撮影

 

 

【奥沢】

奥沢町は国道5号線から奥沢十字街から派生する393号線沿いに山側に向かう広い面積の町である。

393号線を進むとやがて朝里へ抜けるが札幌からくる場合、目的地によってはこのルートを使う
また毛無山からキロロリゾートへ赤井川村へ行くルートでもある。

古くから小樽の代表的な製造企業としてミツウマ、第一ゴム、北の誉(閉業)などがあり工場も多い。

 

『旧石橋商店醤油工場』 奥沢1丁目21-15 明治32年(1899年)


2020年10月撮影

 

『平野製パン』 奥沢1丁目25-7 +開業昭和25年(1950年)


2020年10月撮影

 

『K氏宅』 奥沢1丁目 大正13年頃


2020年11月撮影

 

『中ノ目製菓(株)』 奥沢3丁目26-9 +開業昭和25年(1950年)


2020年12月撮影

 

『旧三馬本社』 奥沢4丁目26-1 +創立大正8年(1919年)


2021年5月撮影

 


【天神】

天神町は山に向かって広大な面積がある町である。

住宅街は北部の一部に限られ南部のほとんどは水源地や毛無山などの山林だ
水源地までの勝納川沿いには古くからの工場関係の施設が残る。

秘境「穴滝」は天神町の最奥から徒歩で行ける。

 

『奥沢水源地取水塔』 天神2丁目 大正3年(1914年)


2021年5月撮影

 


【真栄】

札幌には真栄(しんえい)という地区があるが小樽では(まさかえ)と読む。
敷地は奥沢町を東にずらしたように似ており、やはり毛無山の山頂近くまで真栄町だ。

町の中心はやはり中部から北部になり市内で最も古い本堂の「龍徳寺」が最北部にある。


『龍徳寺本殿』 真栄1丁目3-8 明治9年(1876年)


2021年9月撮影

 

『旧北の誉製品庫』 真栄1丁目7 明治後期


2022年2月撮影

 

 

【築港】

区域はフェリーターミナルがある、勝納埠頭と一大商業施設のウィングベイ小樽から平磯岬までの細長い地域になる。

戸建て住宅は少なく代わりに高層マンションがある
港湾関係の施設とJR小樽築港駅近辺の施設が中心になる。

 

『旧小樽築港事務所見張り所』 築港2丁目2-2 明治10年(1835年)


2020年10月撮影



【潮見台】

真栄からさらに札幌寄りに移動したような地区だ。

名前の通り高台にあり眺望の良い町である
ゆえに「和光荘」など社主が自社を見下ろすような邸宅も出来る。

他に古くからの住宅や浄水場など見るべき建造物や邸宅があり
珍しいのはジャンプ台が住宅地のすぐ裏手にある。


『旧野口喜一郎宅』 潮見台2丁目4-1 大正11年(1922年)*現和光荘(2021年現在敷地内立入禁止)


2020年9月撮影

 

『旧野口酒造職員倶楽部』 潮見台2丁目 昭和8年(1933年)


2021年9月撮影

 

『Y氏旧邸』 潮見台2丁目 昭和2年(1927年)


2021年3月撮影

 

『M氏宅』 潮見台2丁目 


2021年9月撮影

 

『O氏宅・蔵』 潮見台1丁目 *蔵は大正5年(1916年)


2021年9月撮影

 

『潮見台浄水場管理棟』 潮見台4丁目143 昭和2年(1927年)


2021年3月撮影

 

『潮見台ポンプ場』 潮見台2丁目22-28


2021年3月撮影



【新富】

新富町も対角になる信香町同様に小さな街である。

小さいながらも古くからの市場や学校、教会などがある
一般的な住宅が多いが蔵を持つ住宅もある。 

 

『S氏宅』 新富町7丁目 昭和23年(1948年)


2021年3月撮影

 

【桜】

桜は市内中心部と朝里地区の中間にあり広い面積を持つ。
その昔、この地域は熊碓と言われて現在は船浜町になる東小樽海水浴場も熊碓海水浴場と言われた。

現在は平磯岬から朝里川の間の国道5号線より山側の地域で、斜面に広がる閑静な住宅街となっている。
小樽市および札幌市のベッドタウンとして機能している。

東は朝里川を挟んで新光、西は若竹町及び潮見台、南は望洋台、北は船浜町と接する。

 

『旧猪俣安之丞宅』 桜1丁目1-13 明治33年(1900年)*現銀鱗荘


2020年10月撮影



【銭函】

銭函地区は明治のはじめには、札幌に海から至る交通上の要地であり、その後も小樽と札幌を結ぶ中継点として栄えた。

札幌市のベッドタウン化しつつあり、札幌市星置と隣接しているので人口は増加傾向にある。
また、準工業地帯として軽工業的な工場が立ち並び工業団地を形成している。
一方、漁師町の流れをくむ1丁目及び2丁目地域では、昔ながらの商店やもちろん現役の漁師が住む歴史ある街として現存している。

町名は和名と思われ、いつもニシンが大量にとれたため、「銭函」となったとされる

 

『T氏宅』 銭函2丁目 昭和8年(1933年)


2022年2月撮影

 

『旧大坂屋呉服・質店蔵』 銭函2丁目3-4 *ストアハウス大坂屋


2022年2月撮影

 

『(株)新宮商行 銭函工場』 銭函2丁目32-1 


2022年2月、20年11月撮影

 

 


「小樽市の歴史的建造物 ⑥」

2022-02-25 10:56:44 | 小樽市

*町ごとに現存し撮影した建物だけ記載します
*町のコメントはwikipediaと私的所感です
*名前は1994年発行時のものです
*「小樽の建築探訪」とダブリます
*未訪問は訪問後に追加していきます
*現役個人宅は町名まで
*wikipedia、google streetview 札幌ノスタルジック建築散歩様引用

 

【堺町】

堺町はその昔、於古発川を境に小樽と高島に分かれていたために付けられた町名と言われる。

特に「堺町通り」は観光客が最も多い地区であろう
通りの両側に商店が並び、歴史的建物もあれば通りのイメージに合せて
レトロ風に新築した建物もある。

小樽に初めて訪れたら必ず行くであろう地区だ
今は一方通行の堺町通に昔は循環バスが交互で走っていた。

 

『旧北海雑穀(株)営業所』 堺町1-18 明治44年(1911年)*現小樽彩や


2020年11月撮影

 

『旧第百十三国立銀行小樽支店』 堺町1-19 明治26年(1893年)


2020年10月撮影

 

『岩永時計店』 堺町1-21 明治29年(1896年)*現小樽オルゴール堂堺町店


2020年11月撮影

 

『旧金子元三郎商店』 堺町1-22 明治20年(1887年)


2020年11月撮影

 

『旧百十三銀行小樽支店』 堺町1-25 明治41年(1908年)*現小樽浪漫館


2020年11月撮影

 

『旧寿し処多喜二』 堺町2-22 大正初期 *現たけの寿司


2020年11月撮影

 

『奥野商店㈱』 堺町3-22 


2020年11月撮影

 

『旧久保商店』 堺町4-5 明治40年(1907年)*現くぼ家


2020年11月撮影

 

『旧ヤマフク物産倉庫』 堺町5-28 *現北一硝子ギャラリーヴェニーニ


2020年11月撮影

 

『旧広海二三郎商店』 堺町5-33 明治44年以前 *現おたる瑠璃工房


2020年11月撮影

 

『旧稲積倉庫㈱蔵』 堺町5-36 大正2年(1913年)*ふじ鮨


2020年11月撮影

 

『旧木村倉庫』 堺町7-26 明治24年(1891年)


2020年11月撮影

 

 

【住ノ江】

住ノ江町は北側はJR線を境界に国道5号線をまたぎ、住吉神社までの区域。

神社付近は小高い丘になっており、位置的に海から小樽市内を一望出来る場所にある
それゆえか、古くからの邸宅が多く、現存もしている。

またJR南小樽駅近辺は問屋街として栄え、今も古い商店や蔵を見れる。


『旧水上歯科医院』 住ノ江1丁目6-26 昭和7年(1932年)


2020年9月撮影

 

『住吉神社社務所』 住ノ江2丁目5-1 昭和9年(1934年)


2020年10月撮影

 

『旧佐々木静二宅』 住ノ江2丁目2-7 明治30年(1897年)*現カトリック住之江教会


2020年10月撮影

 

『旧佐藤銀平宅』 住ノ江2丁目 大正初期


2022年2月撮影

 

『旧丸ヨ石橋商店別邸』 住ノ江2丁目3-18


2020年9月撮影

 

 

【住吉】

住吉町は臨港線とJR線に挟まれた地域で小樽にしてはわかりやすい。

この地区は昔から卸問屋が多く、付随して蔵も多く現存している
JR南小樽駅や市立病院も近いので食堂も多かったが今はそうでもないようだ。

港を見下ろす場所にあるので眺めがよくお屋敷が建てられた。


『I氏宅』 住吉町4 明治39年(1906年)


2020年9月撮影

 

『旧共成(株)』 住吉町4-1 明治45年(1912年)*現小樽オルゴール堂本館


2020年10月撮影

 

『旧共成(株)住宅』 住吉町4-1 *現からくり動物園


2020年11月撮影

 

『旧魁陽亭』 住吉町4番7 明治29年(1896年)


2020年9月撮影

 

『旧神野兄弟合名会社』 住吉町6番1 大正7年(1932年)*現斎田産業㈱北海道営業所


2020年10月撮影

 

『旧旧作左部商店蔵』 住吉町15番3 明治初期 *現シーボート


2020年9月撮影

 

『旧小堀商店』 住吉町14番4 昭和7年(1932年)*現イトウ舷旗や


2020年9月撮影

 

『旧住友石炭鉱業㈱』 住吉町3番15 昭和7年~8年頃(1932年~33年頃)


2021年4月撮影

 

『H氏宅』 住吉町3番 大正末期


2020年10月撮影

 

『旧北海織物㈱』 住吉町6番16 昭和初期 *現手打ちそば いろは


2020年10月撮影

 

『若林商店』 住吉町9番13


2020年10月撮影

 

『旧三〼そば河本』 住吉町16-7 


2020年10月撮影

 

 

【若松】

小樽市立病院を一角としJR函館本線と国道5号線、勝納川、住吉神社前通りに挟まれた地域
小樽にしては、はっきりとした境界の町だ。

古くからの商店や小規模の会社が多いが基本的には住宅街になるだろう
現小樽市立病院がある場所は旧量徳小学校であった。

『岡川薬局』 若松1丁目7-7 昭和5年(1930年)


2020年9月撮影

 

『旧深谷電機社長宅』 若松1丁目 昭和2年~3年(1927年~28年)


2021年3月撮影

 

『M氏邸』 若松1丁目 大正14年(1925年)


2021年9月撮影

 

『旧清水売炭所』 若松1丁目8-17 明治末期


2022年2月撮影

 

『旧宮下兵太郎宅』 若松2丁目 明治中期


2022年2月撮影

 


「小樽市の歴史的建造物 ⑤」

2022-02-24 18:09:27 | 小樽市

*町ごとに現存し撮影した建物だけ記載します
*町のコメントはwikipedediaと私的所感です
*名前は1994年発行時のものです
*「小樽の建築探訪」とダブリます
*未訪問は訪問後に追加していきます
*現役個人宅は町名まで
*wikipedia、google streetview 札幌ノスタルジック建築散歩様引用

 

【花園】

小樽市中心部に位置する。
地区西部の小樽公園から海側の相生町にある水天宮にかけての丘陵地上にあり、地区内は起伏がある。東は山田町、相生町、西は緑、南は入船、北は稲穂、富岡に接する。

花園は古くから小樽市の中心として栄え、現在でも市役所や消防本部などの官公庁が多く、また歓楽街としても機能している。
国道5号線が地区の中心を横断しており、主に山側が官公街、海側が歓楽街となっている。

隣接する稲穂地区等とともに小樽市の中心部を形成している。稲穂地区が繁華街となっているのに対し、花園地区は歓楽街としての色が濃い。

 

『嵐山ビル』 花園1丁目6-3 


2020年8月撮影

 

『だるま湯』 花園1丁目11-1 昭和5~9年頃(1930年~34年頃)


2020年8月撮影

 

『喫茶コロンビア』 花園1丁目10-2 昭和23年(1948年)


2021年9月撮影

 

『旧田中氏宅』 花園2丁目 大正5年頃(1916年頃)


2020年11月撮影

 

『H氏宅・蔵』 花園2丁目 明治38年頃(1905年頃)


2020年11月撮影

 

『旧スタンダード・バキューム石油事務所』 花園2丁目2-50 昭和25~29年(1950年~1954年)


2020年10月撮影

 

『小樽市庁舎本館』 花園2丁目12-1 昭和8年(1933年)


2020年11月撮影

 

『旧小樽保証牛乳工場・事務所』 花園2丁目12-13 昭和9年または11年(1934年または36年)*現小樽ミルク・プラント


2020年9月撮影

 

『旧麻田百貨店』 花園3丁目1-2 昭和3年(1928年)*現カフェ ミレット


2021年3月撮影

 

『旧上坂紙店・蔵』 花園3丁目1-1-9 昭和6年~7年頃(1931年~32年頃)


2020年11月撮影

 

『ツルヤ菓子舗』 花園3丁目16-3


2020年11月撮影

 

『旧黒瀬病院』 花園3丁目4-17 大正13年(1924年)*現ゲストハウス LittleBarrel


2020年9月撮影

 

『F氏宅』 花園3丁目 大正末期


2020年9月撮影

 

『旧原寛治宅兼事務所』 花園3丁目8-3 昭和4年(1929年)


2020年11月撮影

 

『旧たこ芳』 花園3丁目9-3 昭和4年(1929年)


2022年2月撮影

 

『旧小樽無盡(株)』 花園4丁目1-1 昭和10年(1935年)*現遊人庵


2020年8月撮影


『花園会館』 花園4丁目3-8 昭和2年(1927年)


2020年9月撮影

 

『旧小樽組合協会』 花園4丁目20-18 大正15年(1926年)*現日本基督教団小樽公園通教会


2020年9月撮影

 

『小樽市公会堂』 花園5丁目2-1 明治44年(1911年)


2020年9月、21年4月撮影

 

『小樽市民会館』 花園5丁目3-1 昭和58年(1963年)


2021年4月撮影

 

『旧青木乙松宅はなれ』 花園5丁目4-17 大正5年頃(1916年頃)


2020年10月、22年2月撮影

 

『A氏宅・蔵』 花園5丁目 明治38年頃(1905年頃)


2022年2月撮影

 

『旧世継仁作宅、事務所』 花園5丁目7-3 大正11年(1922年)*現はしをね


2020年11月撮影



『旧熊谷清治宅・蔵』 花園5丁目8-4 大正4年(1915年)*現ゆるり庵


2020年11月撮影

 

 

【東雲】

市内中心部と港地区に挟まれた小高い丘の町である
住宅街が中心だが港を一望できる地区でもあるので豪商の屋敷も現存している。

北は寿司屋通りに面し、南は水天宮に接している
「北の学習院」と呼ばれた旧堺小学校には豪商や支店長クラスの子供が通ったとのこと。

 

『旧板谷邸』 東雲町1-19 大正15年(1926年)*現Habor Light KAIHOUROU

 


2020年9月撮影

 

『旧砂山商店』 東雲町1-2 


2020年11月撮影

 

『古民家(廃)』 東雲町1-3


2020年11月撮影

 

『小樽聖公会』 東雲町10-5 明治40年(1907年)


2020年9月撮影

 

『旧寿原邸』 東雲町8-1 大正1年(1912年)


2020年10月撮影

 

『旧光亭』 東雲町3-8 昭和12年(1937年)*現罐友クラブ


2020年9月撮影

 

『O氏邸』 東雲町9 


2020年11月撮影

 

 

【相生】

東雲の南隣りでやはり丘の上にある
港方面が綺麗に見える水天宮があり、観光客で賑わう堺町通りを見下ろす位置にある。

住宅が坂道に密集し車も入れない箇所もある
比較的古い建物が現存しており地理的にも港で商売をしていた住民が多いのかも。

 

『水天宮本殿・拝殿』 相生町3-1 大正8年(1919年)


2020年8月撮影

 

『K氏宅』 相生町2 明治30年(1897年)


2021年4月撮影

 

『おたるないバックパッカーズホステル杜の樹』 相生町4-15 


2021年3月撮影

 

『旧村住三右衛門別邸・蔵』 相生町4-27 明治35年(1902年)


2021年3月撮影

 

『旧寿原産業鳳星寮』 相生町7-10 昭和9年(1934年)


2020年11月撮影

『相生会館』 相生町7


2020年10月撮影



 

【港町】

小樽港にある6つのの埠頭のうち4つの埠頭が港町になり
小樽運河の海側も港町だ。

港の施設と倉庫、それと観光客用の施設が多く、住宅は見当たらない
小樽の倉庫は木骨石造で明治時代に建てられたものが多い。

 

『小樽倉庫NO1,NO2』 港町2-2 大正13年(1924年)


2020年11月撮影

 

『旧篠田倉庫』 港町5-4 大正14年(1925年)


2020年10月撮影

 

『旧浪華倉庫』 港町6-5 大正14年(1925年)


2020年10月撮影