栄華の跡。
山の辺の道を石上神宮からしばらく池のほとり沿いに歩くと民家地帯に出ます。細い道は途切れることなく、曲がりくねりながら家の間を緩やかに上っていきます。舗装されているので歩きやすいですが、なかなかの坂道です。
ところで、天理駅から石上神宮へ向かうアーケードを抜けながら、同行の友人が尋ねてきました。
「で、山の辺の道って何なの?」
「うーんとね、昔からある古い道」
「・・・」(そして黙々と歩き続ける)
辛抱強い友人を持って幸せです
改めてここで説明しますと、山の辺の道という名の通り、三輪山の麓から石上布留を通り、連なる山々の裾を縫うように奈良へと続いている道で、日本書紀にその名が見られ、記紀や万葉集ゆかりの地名や伝説が残るところです。ぐるりと山に囲まれた盆地ならではの道ですね。今回歩いているのは、天理~桜井間のいわゆる南のコース。ここはまだほんのとば口です。
石上神宮近く。
古代の名残を残すからといって、全くの観光道というわけではなく、今でも農業を営んでいる人たちが住んでいます。柿が有名らしく、至るところに柿の木がありました。時期ではないのでもちろん実は成ってないないのですが、盛りの季節に来ればさぞかし見ごたえある景色だと思われます。
つるっぱげの柿の木。枝の形に趣があります。
萱御所跡の碑。
しばらく歩くと見えてきたのがこちらの碑と1枚目に写る案内板。昨日ご紹介した石上神宮に移築された拝殿が残る内山永久寺跡です。
内山永久寺は鳥羽天皇の勅願によってたてられ、江戸時代は40以上も伽藍があって、「大和の日光」と呼ばれるほど隆盛を誇ったらしいですが、明治時代の廃仏毀釈で大打撃を受け、今は碑と池ぐらいしか残っていません。
ちなみに鳥羽天皇は大河ドラマ「平清盛」 で三上博史が演じていた天皇ですね。おじいさんが伊東四朗演じる白河法皇。妖怪じみた祖父と嫁の浮気に翻弄されて、気の毒な天皇でした。なので、時代的には平安末期ですね。もう少しで平氏が台頭してくる。
シンメトリーが綺麗です。
全盛期はこんなに広かった。
今に残る池は、一説によると浄瑠璃寺と同じような浄土式だったのではないかと言われています。浄瑠璃寺は行ったことがありますが、池越しに仏様を拝めるという大変に美しいお寺でした。ここもそうだったんですね。
今は跡形もない。なんてもったいない・・・。
もったいないと言えば、お寺が廃れた時に美術品も散逸し、鎌倉時代の名品と言われる「四天王図」は今ボストン美術館にあるそうです。大阪の藤田美術館にも所蔵品があるんだとか。駄目になってしまうより、海外に流出してでも生きのびたのは良かったですが、しかし、ボストン。遠いですね^^;
こういうのを見ると、やはり京都は都会だったんだなと思います。現代に残っているお寺はそうとう権力があったか、または周囲のなみなみならぬ努力があってかろうじてって感じだったんでしょうね。今、和歌山あたりの小さな神社が後継者不足で、このままだと20年くらいたったら、ほとんどなくなってしまうと言われています。日本の風土や生活に密着して生まれてきた神社は、日本人の心を支える大事な要素だと思うので、なんとか残っていってほしいです。
話が横道にそれてしまいました。
内山永久寺に別れを告げ、更に奥へ。なかなかの山道を通り抜けさらに歩き続けます。
ひとり旅だとちょっと怖かったかも
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