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東山魁夷をめぐる旅 5 小さな破調が生み出す美 ~ 東福寺 八相の庭 ~

2015-06-22 22:43:06 | 東山魁夷

東福寺庭 1964-66年(『今、ふたたびの京都』 求龍堂)

うろ覚えで撮ったので、ちょっと構図が違いますね・・・^^; 

「今度こそ心を籠めて京都を描こう」と思い立った時、魁夷画伯はすでに50歳代半ばでした。京都に憧れ、画家として十分なキャリアを積んでいながら、それまで京都を描いたことは一切なかったそうです。その後、5年ほどの間、足しげく京都に通い、あちこちスケッチをして回ったとか。今回、いろいろ資料を調べていて改めて気づきましたが、北欧をモチーフにした作品にその萌芽があったとはいえ、画伯が「人間の営み」に肉薄したのはこの京都が初めてだったんですね。幼い頃から身体が弱く、両親の不和に苦しみ、戦争を経てこれからというときに相次いで肉親を亡くし、ある意味、風景に逃げ込んでいた画伯の魂がようやく地上に降りてきたということでしょうか。

『京洛四季』に収められている作品をはじめとして、画伯が描いた京都は、日本の古典文学で語られてきた日本風土の美しさを現代の風景の中に見いだそうとする心持ちと、人々の営みの積み重ねによって生み出された美を見出そうとする心持ちの両方が見え隠れします。古来、日本人は自然と共生してきましたが、その結晶と言える「庭」は、モチーフとしてたびたび登場します。魁夷画伯は、庭という景色に、自然と寄り添おうとする人間の美を読み取ろうとしています。

 東福寺の北庭・小市松が描かれたのは、1964~66年、魁夷56歳ごろの作品です。作庭が1939年ですから、名庭としての評判は十分に確立されたあとですね。とはいえ同時代作家の作品ですから、その鑑賞する眼には多少のライバル心と、共に日本独自の美を伝えようと精進する者として、大いに勇気づけられるものがあったのではないでしょうか。丹念に描き込まれたディテールに、三玲氏への尊敬の念がうかがえます。

 広い庭の整然とした市松模様からわずかに崩れ始める瞬間を大胆に切り取った構図は、絵としての面白さと共に、破調の美を愛する日本人好みのものとなっています。お庭は四つありますから、いろいろ候補はあったと思うのに、最終的にこの場所を選んだのは、人間の営みのなかで受け継がれてきた人工の切石と、その環境に適応して生き生きとした緑を見せる苔の姿が、「人と自然の共生」の象徴のように見えたからではないでしょうか。仲良く寄り添っていたものが次第に崩れ、自然に溶け込んでいくかのように数を減らしながら遠ざかる石の行方は、まるで人の一生のようにも思えます。

 単純ながら広がりのある構図は、私も含め、印象に残るのでしょうね。ブログで取り上げていらっしゃる方も多いですし、テレビでも見たことがあります。たくさんの人をひきつけてやまない魅力的な絵です。ちなみに作品は、長野県の東山魁夷館に収められています。いつか本物を見に行きたいです。


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