最近、テレビの番組で方言がフィーチャーされているのを見るにつけ、方言はもう希少価値的扱いなのだなと思いつつ、大阪だけは別だと思っていました。東京で活躍する芸人さんが関西弁だったり、関東に住んでいたころでも、周りに関西弁で押し通す人がけっこういたりと、関西の人は言葉に特別な思い入れがあると信じていたからです。
ところが関西で暮らし始めて、実は関西弁を話さない人がけっこういるのに気付きました。デパートなどの大きなお店ではまれにイントネーションが関西アクセントになるくらいですし、仕事上でおつきあいのある方で、ずっと標準語の方もいます。「大阪で仕事をしていて、その話し方だと『テンポ悪い』とツッコまれたりしませんか?」と伺っても全然大丈夫、とのお答え。えーっ、大阪人ってそんなだっけ? と戸惑っていたところ、たまたま御堂筋沿いの美容院のお兄さんとそんな話になって、聞けば、最近では、東京や地方育ちの方が職を求めて大阪にやってきたり、転勤でテンポラリーに大阪に住んでるだけの人もいたりと、特に御堂筋界隈のオフィスビルが立ち並ぶ地域ではドメスティックグローバルともいうべき、多民族ならぬ、多方言社会が一般的になってきているみたいです。もちろん、ばりばりの関西弁でまくしたてる人もいますが、「言葉は故郷(くに)の手形」的感覚は、大阪でさえ薄れつつあります。
じゃあ、船場ネイティブってどんなだろうと思っていましたら、昨日少し触れました『船場 道修町』(三島佑一著)の中に面白い話がありましたので、ご紹介したいと思います。
何度も触れてきましたように、道修町は薬種問屋が集まって栄えた町で、日本初のギルドともいうべき商売人の結束が固いところでした。ここへ近畿周辺の地方出身者が、職人の見習い奉公や商家の丁稚奉公にやってきて大事なのは、まず言葉を覚えること。接客業ですから、国訛りが出ないほど大阪弁が板につかないとはじまらなかったそうです。廓と同じですね。例えば「おれ」や「わい」ではなく「わて」、「ありがとう」ではなく「毎度おおきに」、「いってらっしゃい」でなくて「おはようお帰り」、「はい、そうです」ではなくて「へえ、さいでございます」などなど。
もっとも、こうした言葉を覚えるだけでなく、「いらち」(短気)の商人は悠長に話してはくれないので、聞き取りにも年期がいったみたいです。『船場 道修町』では、実際に丁稚奉公の経験がある劇作家、菊田一夫の自伝的作品『がしんたれ』から次のようなくだりが紹介されていました。主人公の和吉は奉公二日目に、
「これを、どしょまちの武長はんに届けてきい」
と早口にべらべらと命令され、わかったふりをして店を出て、お遣いに行きます。
『どしょまち』は道修町(どしょうまち)のことで、伸ばすのがまだるっこしいと、忙しい船場商人はつづめて言うのが普通でした。
しかし、それとは知らない和吉は通い箱をもって道修町までいきながら、「どしょまち」の「武長はん」がどうしてもわからない。半時間探し回って半べそで帰ったら、短気な番頭に、
「おまえ、どしょまちの武長はん、知らんのんか、それで、よう、この世の中に生きてるなあ、もういっぺん、いてこい、このド阿保」
と怒鳴りつけられ、再度、教えられた通りに道修町に行くけれど、やっぱり「どしょまち」なんてなくて、『武田長兵衛商店』という大きな薬屋はあっても、『武長半』(たけちょうはん)などという薬屋はない。
あちこち二時間半も丹念に看板をあたって見つからず、泣きじゃくりながら戻って
「僕、一生懸命さがしたんです。隣りの町の道修町に武田長兵衛商店という大きなお店がありましたけど、でも、あそこはどうしゅうちょうだから違いますね」
「阿呆、それが武長はんやがな、おまえ、字(じぃ)知らんのんかいな、がしんたれやな、こいつ、ほんまに・・・」(『がしんたれ』)
最初読んだ時、武長はん(武長さん)を「武長半」(たけちょうはん)と勘違いするのに思わず吹き出してしまったのですが、慣れない人が大阪人のあの口調でまくしたてられたら、どしょまちも、たけちょうはんも、まあ、わからないですよね。それにしても、このぽんぽんとしたやりとり、当時の船場の雰囲気が感じられて面白いです。この、やたら略しちゃう傾向は今も残ってますよね。マクドナルドを「マクド」とか。
著者の三島佑一氏は船場の商家の生まれだそうで、この本には興味深いエピソードがたくさんあって面白いです。絶版みたいなのでお勧めしづらいですが、興味ある方は、図書館などでみつけたらご覧になってみてください。
商人どうしの取り引きの際の会話も紹介されていて、例えば、買い手が「そんなねずみのしょんべんみたいなことせんで景気よう」、と取引値を打ち込んだそろばんの玉を一つ払うと、売り手は「せ、せっしょうや、ぱちもん(はんぱもの)と違い(ちゃい)まっせ。わてらの身にもなっとくなはれ」と泣きつく。このボキャブラリーとテンポ。生き馬の目を抜く男社会の船場の活気が伝わってきます。
ITが普及した昨今の御堂筋では、こんな会話は聞けません。ネイティブなやりとりが聞けるディープな大阪の町、残ってないでしょうか? あれば行ってみたいです。
この記事、とても興味深く読みました。
私は船場の言葉が大好きなんです。
昔仕事で代々船場でお商売してる方とやりとりがあったんですが(ほんの少しですが)、上品でイキで、でも気取りがなくてユーモアも入ってとても印象よくて・・・。
短気な感じではなく、ふわっとした話し方なんですが、無駄がなくて要点はちゃんとまとまってた気がします
仕事が進まなくて神経質な雰囲気になった時も、ふわっと落ち着いた空気にしてくれるので、あのしゃべり方覚えたい~と思った
(ポンポンとテンポのいい漫才系のしゃべりもいいけど、ゆったりした落語系の話し方が個人的には好き^^)
上司も普段仕事では標準語なのに、どっぷり関西弁のお客さんだとパッと関西弁に切り替える人がいました。
そうそう、新人の頃私もどしょうまちは「土庄町」みたいな漢字と思い込んでて、地図で見つけられずに困った記憶あります^^;
ネイティブなやりとりが聞ける場所はわかりませんが、あちこちで年配の方の話に注意していると、たまにいい感じの人が・・。
市場や古いお店で話しかけてみるといいかもしれません
こんばんは
素敵なコメントありがとうございます。やはり、船場ネイティブは魅了的なんですね
以前、米朝さんの、船場が舞台の落語を聞いたことがありますが、話し始めた途端、何ともいえない柔らかさと華やぎでぱあっと周りが明るくなって(CDだけど(笑))優しいおじいちゃんと久しぶりの再会みたいで、心がほっこりしたのを覚えています。
老舗の人に話をきくのはいいかもしれないですね。
今度を勇気を持って話しかけてみたいと思います