昨日テレビを観ていたら、京都の桜守として知られる佐野藤右衛門さんが出てらっしゃいました。桜にまつわるお話の中で出てきた言葉がこれ。「ソメイヨシノはみんな同じ顔をしとる。それは種からできてないから」
ご存じの方も多いと思いますが、ソメイヨシノは接ぎ木によって殖やされていった言わばクローン桜だから「みんな同じ顔」というわけですね。でも、そのおかげで一斉に花が咲くので、あの豪華さが生まれるわけですけども、桜と対話することを生業とする方からすれば、個性という点では面白みに欠けるのかもしれません。
同じ顔が並ぶ、と言われて思い出すのが尾形光琳の『燕子花図屏風』。デザイン画みたいで好きじゃないという方もいらっしゃるようですが、私はあの整然としたリズム、間合いは美しいと思います。古来、日本人は庭などを見ていても、個々の植物たちが持つ風情が絶妙に調和されたところに美を見いだしてきたから、上野や目黒川などで見られるソメイヨシノの整然とした美しさや『燕子花』はグラフィックデザイン的なもので、より人為的、後天的な美のにおいがする。
先月の朝日新聞に、東京・上野公園にある1本がソメイヨシノの原木となり、全国に広まったと考えられるとする研究成果を千葉大学がまとめたという記事が出ていました。それによって、ソメイヨシノの起源が自然交配とは考えにくくなった、とのことでした。野性味あふれる山桜も素敵ですが、人為的かもしれなくても、ソメイヨシノのゴージャスさは捨てがたいですよね。変なたとえですが、エドヒガンなどの山桜が蒼井優の薄い唇なら、ソメイヨシノはアンジェリーナ・ジョリーのぽってり唇って感じ(笑)どちらも味がある。
どちらも日本の美として末永く残っていってほしいものです。
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