ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

無心に咲くということ【又兵衛桜】

2017-04-23 09:13:21 | 

歌舞伎の獅子みたいです。

 

桜の古木に会いたくて、今年は絶対に訪れようと決めていた又兵衛桜。

見ごろを迎えた先週、はるばる行ってきました^^

電車の本数もバスの本数も少なく、しかも最寄りのバス停から徒歩約20分。方向音痴にはなかなか苦難の道のりでしたが、地元のコンビニ店員さんに助けられ(道を訊ねなければ危うく逆を行くところでした^^;)いざ又兵衛さまの元へ。

山の辺の道でも感じましたが、奈良の空はホントに広いですね。天気もいいし絶好の花見日和です。

 

田んぼだらけの道の先に見えてきた数百メートル先からでもひと目でわかる巨大なピンク色。平日の午前中だというのにすでに近くの駐車場は満杯。たくさんの人が桜を目指しています。

環境整備の為に募っている100円を寄付して木の傍へ。念願の又兵衛桜は……美しいです

「瀧桜」の名前にふさわしい大きさと流麗なラインに惚れ惚れ。遠目だとボリュームを感じますが、近寄れば一本の太い幹ではなく、長い年月をかけて思い思いの方向に伸びていった枝たちであることがわかります。花は小ぶりで色もあくまでほんのり、とても繊細な印象の桜です。こういうのを観ていると、櫻男の笹部氏が好まなかったソメイヨシノが、なるほど野暮ったく思えてきます。

樹齢300年を超えると言われ、これだけ長生きだと既に一個の人格を持っていて、花見というよりは「お目にかかる」感覚です。幹は枯淡の趣き、綺麗な花を咲かせていますが、青年期の溌剌さはなく、真下から覗くと、枝垂れた枝は生きるために苦しいくらい精いっぱい伸ばした手に見えるし、曲がりくねった枝も頑健さからはほど遠い。降り積もった風雪の重みが透けて見え、300年の道のりが決して平坦ではなかったことが偲ばれます。仲間を持たず、ただ一人長い年月を耐え抜いてきた、と想像するのはまったく人間の勝手な感傷ですが、その感傷も含めて、又兵衛桜が「古武士のよう」と形容されるのはよくわかります。幹のうねりや花の散らばり具合に何とも言えない味わいがあり、確かないのちが宿っています。できることなら1週間くらいここで暮らして、朝に昼に夕に刻々と移り変わっていくその表情を見ていたい。何なら1年住んで若葉から冬の落葉、その先の再びの春の蕾までそのすべてを見つめていたい。それぐらい魅力的な木です。 ただ、写真を撮るのは難しいですね いろいろ頑張ってみましたが、へっぽこカメラマンはこれが限界 皆さま、実物は写真より断然美しいということを心にとどめながらご覧ください。。。

 

「桜の花はそれまでの1年間の集大成だ」とは京都の桜守・佐野藤右衛門氏の言葉ですが、これだけ見事な桜を咲かせるのに一体どれだけのエネルギーが必要で、またそれを得るために(樹木に対する形容としてはいささか人間に近寄りすぎですが)、どれだけの努力をはらってきたのかと考えると、その姿は驚嘆に値します。桜にしてみれば、本来の営みを誠実に遂行しているだけなのでしょうが、又兵衛桜を観ていると、太陽や月の下で大地の恵みを得、ただまっとうに生きる、それだけで十分なのだと、ひとつのいのちとしての正しい在り方を教えられている気がします。

実は2月頃から又兵衛、又兵衛と騒いでいたのですが、その又兵衛が後藤又兵衛のことであると知ったのは出発の3日前でした。去年夢中になった『真田丸』にゆかりの人物名がついた桜との出合いが嬉しく、勝手に縁を感じています


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2 コメント

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遠かったでしょう・・・ (ピョンピョン)
2017-04-23 19:18:24
いい時期に見られて、よかったですね。
遠かったと思います。

後藤又兵衛はドラマでは「大坂の陣」で討ち死にしたことになってませんでしたか?
私は歴史がわからないのですが、生きてたということですか?
有名な「又兵衛桜」とだけしか思ってなかったですが、後藤又兵衛の「又兵衛桜」だったのですね。
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後日譚の伝説 (bratt)
2017-04-23 20:45:45
こんばんは。

とっても遠かったですが、行ってよかったです
ご指摘のとおり、後藤又兵衛は大坂の陣で討ち死にしたのですが、実はひそかに生き延びて僧となり、この地で暮らしていたという伝説があるのです。それから、桜のある場所が又兵衛の住居跡ということから『又兵衛桜』と呼ばれるようになったんだそうです。
道の看板には『本郷の瀧桜』とありましたから、又兵衛桜は愛称なのかもしれませんね
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