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東山魁夷をめぐる旅 1 唐招提寺

2015-06-06 23:40:04 | 東山魁夷

 東山魁夷をめぐる旅、京都編と昨日書きましたが、本日1回目は奈良県の唐招提寺のご紹介です。

 できれば魁夷画伯のたどった順番どおりに回りたいので、本来なら京都を巡ったのち奈良というのが正しいのですが、私が初めて画伯の絵に魅せられたのがこの唐招提寺の障壁画でしたので、ここから始めるのがふさわしいかと思います。

 毎年、唐招提寺では、鑑真和上の命日6月6日に法要が行われ、その前後を合わせた3日間、御影堂の和上のお厨子が開かれ、同時に画伯の障壁画が公開されます。この限られた期間に訪れることは難しく、なかなか果たせずにいました。今年は幸運にもその「なかなか」を果たすチャンスに恵まれているので、やっと訪問することができます。

 朝の境内を回りたかったので、6月5日、朝6時半に自宅を出発。馴れない道のりで、途中手間取ったりしつつも、無事8時半過ぎに西ノ京駅に到着しました。

 駅から薬師寺の横を通り唐招提寺へ向かっていく道は、昔ながらの民家に竹藪や田んぼが点在するひなびた場所で、母に言わせれば40年前から景色は変わっていないそうです。とすれば、画伯が目にした景色もこれに近いものだったのだったのでしょうか。なだらかな山に囲まれた土の茶や、草の緑など素朴な色合いの風景は確かに万葉の匂いを感じさせるものです。

 それでも今日は特別な日ですから、角々には唐招提寺の看板を持った人が立っていました。道の前後では、少人数のグループがちらほらと寺を目指しています。自然、私も早足になります。

 唐招提寺はたぶん子供の頃の遠足以来です。記憶にあったよりもずっと地味で、こじんまりとしています。五重塔とかもないので、全体的に背が低い感じがします。

 開門して間もない時間なのと、みなさんまっすぐに御影堂へ向かわれるので、金堂や講堂のあたりはひっそりとしています。

 少し気持ちを落ち着けたかったのと、画伯が唐招提寺を訪れた時に好んだ順序がまず金堂、それからその左右に南北に通っている細い道をたどり、さらに奥の本坊の土塀に沿って歩くのが好きというのを読んでいたので、できる限りその通りに歩いてみようと、金堂をお参りしてから、東側の道を歩いてみました。

 ひっそりとした細道は緑が濃く、思索を深めるには絶好の場所です。画伯は障壁画の制作が決まってから何度も唐招提寺を訪れ、鑑真和上や寺の知識を深めたといいます。出来うる限りの準備をすることこそが、良い作品を生み出す最良の方法だと考えていたのです。

芭蕉の句『若葉して御目の雫拭はばや』

 本当はじっくり歩きたかったのですが、その間にもどんどん人が御影堂へ向かって歩いていくので落ち着かなくなり、結局は少し散策しただけで御影堂へと向かいました。

 初日だからなのか、それとも何か不都合があったのか、9時からのはずが、実際に入れたのは10時前。その間にたくさんの人が集まっていました。

 御影堂はとても奥まったところにあって、金堂や講堂にくらべれば小さい建物です。もともとは宸殿だったものが昭和39年に移築され和上のご尊像が置かれたそうです。それに伴っての画伯への障壁画の依頼でした。

 

 建物自体は古いですが、普段公開されていないため、手入れが行き届いているのか、とても居心地のよい所です。

 和上への焼香をする列としない列に分かれていて、焼香をしない分、早くお部屋に行けるというので、そちらの方々についていきました。

 鑑真和上のご尊像を拝せる宸殿の間にまず、12面の襖が平面に並ぶ『濤声』と呼ばれる海の絵があります。

 久しぶりにみた画伯の絵は、変わりなく美しかったです。あるべき場所にある分、その輝きは増していたかもしれません。練に練られた構図は揺るぎなく、右から左にむかって打ち寄せる波は勢いがあり、音が聞こえそうなほど生き生きしています。

 その『濤声』の襖の中ほどが空いていて、奥に和上の尊像が収められたお厨子が置かれています。背後には墨絵で和上の故郷が描かれた『揚州薫風』の襖が垣間見えます。中国の柳でしょうか、風になびくその姿は大陸を思い起こさせます。その間の、和上の尊像が収められているお厨子は、平山郁夫画伯のシルクロードの絵を思わせるような、異国の鮮やかな色彩を帯びた『瑞光』の絵で彩られています。

 あまりに長い間夢見ていたことが現実になるので、御影堂へ入るまでは自分でもおかしいくらい緊張していましたが、実際に拝見して、ちょっと感極まってしまいました。

 鑑真和上のご尊顔を拝しながら正面に座ると、画伯の絵によって、和上のたどった苦難の道が立体的に浮かび上がってきます。それはまた、成就することが生涯の悲願とまで思い定めて作品の制作に打ち込んだ魁夷画伯の気迫を受け止めることでもあり、ここに座ることで、同時に2人の人間の偉大な足跡に触れることができるのです。

 しばらく絵とお顔を見ながら座っていましたが、焼香をしない側は早くお部屋に入れるものの、焼香をする方たちほど傍にはいけないので、結局、焼香をする列に並び直しました。

 並びながら、この場所で黙々と作業をなさっている画伯の姿を想像していました。仕事の依頼をされたのが60歳代、それからすべての制作が終わるまで10年以上の月日がかかっています。画伯のご家族はみなさん短命で、その分画伯は健康に気を付け、長生きするように努力していたと聞いたことがありますけれども、それでもなお、自分が一体いくつまで生きられるか、人生の総括を考え始める歳に、このような大仕事を成し遂げようと決めた覚悟は一体どれほどだったのでしょうか。第1期の山と海だけで、構想に1年、準備の写生と下図作りに1年、本制作に1~2年と計画を立てたそうです。今の私はその当時の画伯よりも全然若いですが、そんな気の遠くなるような作業に果たして挑めるかと言われればまったくもって自信がありません。

 焼香をするときには、さらに障壁画の傍へ寄ることができました。画伯の丹念な筆遣い、今もなおしっとりと潤っているような鈍色の岩絵の具は、いつまで見ていても飽きません。日本画の絵の具は、溶き方によって発色の良否が決まるそうです。また、刷毛や筆の使い方、殊にその塗る速度が問題である、と画伯は著書に書かれています。慎重な筆遣いによらなければ、しっとりとした潤いの画面は得られないのだそうです。

 画伯は和上が日本に来る決心をした理由の一つは、その国土の美しさに触れることだったのではないかと推測し、せめて自分の絵でその美しさをご覧に入れたいとの思いがあったようです。画伯の思いを受けて、和上は、今はただ静かに座って、波の音や葉の触れ合う音、山の声を聴いていらっしゃるように見えます。その身に受けた苦難をすべてのみこんだ、泰然としたお姿には、自然と頭が下がります。最古にして最高傑作と言われるこの尊像は、少なくとも制作は和上存命中であったと推測されています。やがて来る和上との別れの前に、せめてその姿をとどめたいというこの像の造形者たちの切実な思いが、このあまりにリアルなお顔に籠められている気がします。

 和上の強い精神力への讃仰の心から、画伯は申し出を受けてから5か月以上もたってから障壁画制作を引き受けたそうですが、同時に、自分の絵が和上の尊像のそばで「安全に保存される」ということにも魅力を感じていたようです。自分の作品が末永く人々に愛されることを望む、作家らしい欲求です。

 昭和50年に第1期の上段の間の『山雲』、宸殿の間の『濤声』と2作品が完成し、障壁画の隅に昭和50年 魁夷 の銘があります。この日付と名前を書き入れた時の安堵した姿が見えるようで、ちょっと微笑ましいです。もしかしたら、毎年この時期は画伯も御影堂にいらっしゃっているのかもしれません。時を経て、なおも多くの人が訪れていることをきっと喜んでいらっしゃると思います。

 宸殿の間の隣室にある「山雲」は青々とした山と深い霧が印象的な作品ですが、残念ながらお部屋に入れず廊下から見るだけなので、細部を鑑賞することが難しくなっています。残りの2部屋もそれは同じで、また松の間の『揚州薫風』は、申し上げたとおり、お厨子の背後にあるので全体像を見ることができません。ですから、作品として観賞するには明るい場所で近づける美術館の方が適しているのでしょう。けれど、すべての絵を和上と共に拝見することによって生まれる物語は、やはり御影堂ならではのものだと思います。

 御影堂を出た後、和上の御廟をお参りしました。とても静かで安らかに眠ってらっしゃるように感じました。

 


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2 コメント

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障壁画 (こうすけ)
2015-12-20 13:03:17
私も数年前東山魁夷の障壁画を観に唐招提寺を訪ねました。息を飲む体験とはこのことだと思いました。
返信する
ありがとうございます(^^) (bratt-japan)
2015-12-20 22:18:03
こうすけさん
はじめまして。

コメントありがとうございます。
こんな長い記事を読んでいただけて嬉しいです。

障壁画、素晴らしいですよね!
お気持ちわかります。

ぜひまた再訪したいものです。
返信する

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