今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ 斎藤学 2010年10月15日 大和書房

2015-05-09 10:17:48 | 心理
あなたが、一瞬一瞬、自分を大切にして生きるとき、
あなたの中に湧き上がる感情や欲求は大切にされ、
固定した"○○らしさ"から自由になる。
*「寂しさ」「退屈」「むなしさ」は、どのようにつながっているのか?
*自分の気持ち、欲望がなぜわからなくなってしまうのか?
*「寂しさ」と「怒り」はどんな関係にあるのか?
*自分の幸せのために生きることはわがままなことなのか?
いきいきとした感情をとりもどし、
支配・拘束とは無縁な「親密な関係」をきずく本!
裏表紙より。
元の本は1997年。
だらだら過ごした連休を考える切っ掛けになるかと思って選出。



第1章 「退屈」に耐えられず、何かにすがりつく心
Q 毎日が退屈です。このままではいけない、何かしなければと思うのですが、何をすればいいのかわかりません。どうしたらいいのでしょうか?
簡単な質問からハジマタ。
君ィ、極真空手をやりなさい!

「生き残る」スリルがなくなってしまった

 地面はいつも安定しているものだと思っていると、ときには裂けることもあるのです。ふだん、私たちには、「地面は、いつか裂けるかもしれない」という想像力が欠けています。生きるスリルとリアルさを失っていることが、現代人の退屈感や無気力につながっているのではないでしょうか。
派手なアクション映画やアトラクションが流行るのは必然・・・!

Q 「寂しさ」と「退屈」は、どのようにつながっているのですか?

大人は「寂しい」ときに何をするか
 寂しいとき成熟した大人は何をするでしょうか?まず親しい人のところへ行こうとしたり、呼び出したりしようとします。それが無理なら、親密な人との充実した関係を胸に想い描きます。幸せな自分(の人間関係)をすぐに想い出せることも、大人の条件のひとつなのです。「あの人は何をしているかな?」などと考えて、手紙を書いたりします。もう死んでしまった大昔の人と対話します。昔の人は活字の形で語りかけていますので、読書ということになります。対話しながら読みます。今の世に存在して名を知られていながら、自分とは面識のない人とも読書の形で対話できます。
 要するに孤独なときにも、精神的に成熟した人は「他者と共にある」のです。容易に他者を想起できるのです。
・・・「対話」ではなく「一方的に攻撃できる対象を探している」だけな気がする今日この頃。活字は反論できないから。
で、たまにこっちの反論をものともしない本があって、チクショーこんな本こうしてこうしてこうだー!という毎日を過ごしております。
 あるいは、自分にとっての最も親密な人である自分自身と楽しい、あるいは充実した会話をすることもできます。今、目の前にある風景について話しあったり、それを絵に描いたりします。切迫した危険な状況にいるなら、それを切り抜ける作戦会議に没頭します。
これは『自己非難』で『自己評価の低下』を招く『セルフトーク』とは違う・・・と続く。
 ここでいう「自己との対話」は、あくまでディアローグ(対話)であり、二人との対話とも違うから一・五対話と私が呼んでいるものです。その結論は自己自身による現実の自分の受容ですから、自己評価を上昇させます。こうした自己対話は空想であり、夢であり、遊びです。その中から、詩や小説や絵画や音楽や、その他たくさんの創作が生み出されます。つまり、「寂しさ」は大人の遊びと空想と創作の宝庫なのです。
寂しいのって、ステキやん?



Q 「嗜癖」とは、どういうものなのですか?

退屈のすきまに入り込んでくる誘惑が「嗜癖」を生む

 私たちは、この社会の中で、「誰かのために生きる」「社会の要請にそって生きる」ように強いられています。現在の社会システムの中で生きていこうと思えば、「こうするべき」「こうあるべき」という厳しい「べき」に従って、落ちこぼれないように生きていかなければなりません。「これからは○○はできなくてはならない」「○○を知らないなんて遅れている」「いまどき○○ブランドの服を着ているなんて恥ずかしい」など、暗黙のうちに強制されている規範がたくさんあります。
強いられているんだ!
これが有名になったのは、皆「強いられている」と感じてたからなのかなー。
当時俺はそんなこと気にしてなかったなぁ・・・。
早くラーガンさんにもドッズライフルを用意してあげて!って思ってた。
 個人の欲望はもっと多彩なはずです。けれども、そんなオリジナルな欲望を持って行動し、実現している人はめったにいないでしょう。その前に「やるべき」ことをこなすのに精一杯で、疲れ果ててしまうのです。社会に適応し、周囲から差別されず、「人並み」に受け入られることに全エネルギーをを注いでいるのです。
 こういう社会のありさまを、シェフは「嗜癖システム」と呼びました。
シェフ=アメリカのセラピスト、アン・ウェルソン・シェフ
ひぃとぉなぁみにーなぁがーさーれぇてー・・・ありゃ「波」か。
 次に「嗜癖」という概念を説明しましょう。「嗜癖」とは、ひと言でいえば、ある習慣への病的な執着のことです。
『物質嗜癖』(飲食、注射など、物質を体内に取り込む)
『プロセス嗜癖』(ギャンブル、仕事など、特定の行為に執着する)
『人間関係嗜癖』(共依存、恋愛嗜癖)
特に「困った関係なのにエビセンな共依存」が、諸々の嗜癖の基盤にあるらしい。



Q 「嗜癖」する人は、本当は何を求めているのでしょうか?

嗜癖は、本当の欲望が横道にそれたもの

 自分の欲望を知る者、欲望を持つ者を「人間」といいます。欲望がないのは「ロボット」です。その中間に、「欲望はあるが、それが何かわからない」という人がいます。こういう人たちが、自分の欲望を求めて横道にそれていくのです。横道にそれた欲望は、満たされない気持ちばかりをつのらせ、限度や節度を知らずにエスカレートしていきます。退屈から抜け出し、嗜癖からぬけ出すためには、自分自身の本当の欲望を知る必要があります。
「欲無い=よくない」がこんなところで肯定されるとは。
Q 自分の気持ち、自分の欲望が、なぜわからなくなってしまうのでしょうか?

「愛されて当然」という素朴な自己確信を持てるか

「自分は、望まれてこの世に生れてきた」
「このままの私で、人に愛されるはずだ」
 ・・・・・・あなたは、こうした素朴な自己確信を持っているでしょうか。「自己愛」というと、「わがまま」「自己中心的」というふうに否定的に考えられがちですが、健康な自己愛は、人間の健全な発達に欠かせません。豊かな人間関係をつくるには、健康な自己愛が必要なのです。
/(^o^)\
開き直りならある。(きりっ)


Q 何が「偽りの自己」で、何が「本当の自己」なのか、どうやって見分ければいいのでしょうか?

子供の心に侵入する「やさしい暴力」

 ずっと、親の欲望を自分の欲望と信じ、期待どおりの「よい子」で生きてきた人にとって、「本当の自分」だの「生きがい」だのを探し出すのはひと苦労でしょう。また、親の期待と正反対の生き方を選んでみても、それはただ親に反発しているだけで、自分の欲望を見つけたとはいえません。親の影響力に支配されてできあがった人生という意味では、なんら変わりがないのですから。
そして生きがいの探し方を書いた本が世に蔓延する訳であります・・・小賢しいと思う!



第3章 「寂しさ」の裏にひそむ「怒り」をくみ出せ

Q パワーゲームを降りるというのは、人生をあきらめた人の負け惜しみのように思えます。そんな毎日は、よけいに退屈で寂しいのではないですか?

あなたの人生の主旋律を見つけ出せ
 自己充足といっても、ここでいう自己充足は、完璧な充足ということではありません。完璧な自己充足は子宮内の胎児にみられるものです。ひとたび母の子宮から出てからの私たちは、欲求不満の連続の中で人生を送るのです。欲求不満が全くない状態とは「死」を意味しますし、それが「感じられない」場合は、「魂の死」です。不足をしている自分にまあまあ満足している状態が、成熟した大人の自己充足です。
「自覚」×「容認」×「大人の余裕」・・・出来がイマイチ、駄作だぜ・・・。
『成熟』って言葉が好きらしいなぁ。反発を覚えるのは20代だからか別の要因か・・・。
「ひゃはははは!成熟!成熟!」「アンタはかっこよすぎるんだよー!」


 あなたがするべきことは、ほめてもらえそうなメロディを無理やりつくり出し、「聞いて聞いて」と他人に聞かせることではないのです。そんなことをしなくても、あなたの人生には、確かに自然に流れている美しいメロディがあるのです。それを見つけ出すことは、あなたにしかできない大仕事です。そして、それを見つけたとき、まずあなた自身がそのメロディに聞きほれ、心から楽しむことができるでしょう。
連休からスパロボZを始めたけど、セツコ編14話現在、エウレカセブンの曲が1番衝撃だった。
無音の時間があるのもいいもんじゃよ?


第6章 「一人でいられる能力」が「親密な関係」をきずく
Q 全ての人が自分の欲望どおりに生きたら、他人の欲望とぶつかって、社会が混乱しないでしょうか?

「一人でいられる人」は自分の欲望に正直に生きられる
 人間が生きていくうえで欠かせない能力のひとつに、「一人でいられる能力」があります。これは、イギリスの小児科医であり、精神分析家であったドナルド・ウィニコットが使った言葉です。
・・・フッ。
「一人でいられる」ということは、決して、「一人で家の中に閉じこもっている」という意味ではありません。他人を前にしていても、「自分が一人でいる」ことを楽しめる状態なのです。母親の視線のもとに安全を感じている乳児が、母親のことを忘れて自分の手の動きに気をとられているとき、この乳児は、「一人でいられる」といいます。
・・・
わっかりましたかー紳士淑女の諸君共ー?
「常に携帯いじってる子供」はここが問題な訳だなぁ。



おわりに

 この手紙を書いた女性は、うつ病と診断されるようになるまで、有能な会社員として働いていた。父親と同じように、喜怒哀楽の鈍麻した企業ロボットだった。彼女はかつての自分が身を置いていた場を、「厚いくもりガラスの中の世界」と呼んでいる。この本と、ここに紹介した手紙を、まだこの世界に居つづけている人々に届けたいものである。
うつ病治療を10年受けた女性からの手紙を紹介して締め。

「斉藤氏の気高き魂を」「この記事に乗せてっ」「とどけ」
「ガラスの中に!!!!」


・通常回避
・ひらめき
・斬り払い
・ATフィールド
お好きなモノをお選び下さイ。


真面目な話ほど茶化したくなるのはボクの悪い癖。
正面から受け止める度量が無いことの証明ですナ・・・ナ。