今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

凡人として生きるということ 押井守 2008年7月30日 幻冬舎(2回目)

2015-05-12 07:34:53 | 仕事
昨日の続き。


第三章 勝敗論――「勝負」は諦めたときに負けが決まる
失敗をなくすことはできない
 仕事柄、僕は多くの若者と接する機会があるのだが、よくよく彼らを観察して気づくのは、今の若い男たちは能力があるやつもないやつも皆、極端に失敗を恐れている、ということである。
 能力のある若者は失敗を恐れるあまり、傍目で見ても異常と思えるくらいによく働く。まるで、死ぬ気で働けば失敗を回避できる、とでも考えているようだ。これは決して健全な発想ではない。
 もちろん、勤勉さは失敗の確率を下げる要素となり得る。しかし、どんなに真面目に働いても、失敗を完全になくすということは、全知全能の神でもない限りあり得ない。失敗しないで生きていくことは、人間の身では不可能なのである。
そこは諦めるんかーい、と思うボクは『今の若い男たち』に含まれるんだろう。
どっちかは言わせんなってことだよ!
・・・失敗した奴が(大袈裟に言えば)抹殺されるところを見る機会が昔より多いんじゃないっすかね。
中高年の再就職が絶望的な話はいくらでも飛び込んでくる。昔は「自分の親のこと」でなければまともに知ることが無かったであろう情報、それが出川ばりに押し寄せてくる・・・!
つまり皆出川が嫌いなのである。(きりっ)

失敗はなくならないとした上で、『それでも僕は勝負に出る』『勝負を諦めた時こそが、勝負に負ける時』であると続く。
勝負を続ければ、負けないシステムが身につく
 勝負を続けている限りは、負けは確定しない。買ったり負けたりしながら、人生は続いていく。ただ、勝負を続けるうちにだんだん勝負勘はついてくるし、くだらない失敗はしなくなってくる。スキルが上がってくるからだ。
・・・
失敗も挫折もない人生は面白くない

 僕が言いたいのは、仕事であれ、恋愛であれ、どんどん失敗せよ、ということだ。そして失敗をしたら、敗因をきちんと分析することだ。二度と同じ過ちは犯さないようにする。それでも次の勝負には、違う敗因で負けるかもしれない。その次も、また違う理由で負けるかもしれない。
 だが、何連敗、何十連敗してもいいではないか。何度も負けても、勝負を続ける限り、いつかきっと一勝できる日はやってくる。そして、少しずつでも勝ち星を増やしていけば、最終的に人生の星取表を勝ち越しで終えることはできるのである。
 結局は死ぬまで勝負を諦めなかった人間が、最後には笑うことになるのだ。
「次はないかもしれへん」「だから今や」
なお実際「次」は無かった模様・・・特殊な救済はされたけど。

社会を信じられなくなってるということかなぁ。捨てる神しかいない、かのように見える
でも、まだ拾う神もいるんだ・・・たいてい同時に疲労神だけど。



第四章 セックスと文明論――性欲が強い人は子育てがうまい

文明化は親を虐待へ誘惑する

 これまで検証してきたように、文明化という働きは、性欲という最も根源的な本能さえ無力化してしまう。性が商品化されたことで性欲が文明化された。ひょっとしたら育児マニュアルのような子育ての文明化が、母親たちの本能を狂わせているのかもしれない。子供の成長が思わしくないからと言って、子供を殺してしまうという矛盾した事件も起きているが、それも、子育ての文明化という文脈で読み解くと、意外に当然の帰結のような気もする
うむむ・・・想定外ばかり起こる子育てに(自称)専門家のマニュアルを持ちこむから、「マニュアル通りにいかないのはおかしい」「もはや殺すしかない」という流れになるんだろうか。


南国で乳幼児を連れまわす親たち

 人間は本能として、小さな命を守りたい、はぐくみたいという欲求を持っている。本当は、子育ての楽しさは言語化するものではない。つまり文明化するものではないのだ。子供を産んで腕に抱いた瞬間に、自分はこの命を守らなければならないと、自動的に分かる仕掛けになっているはずなのだ。保護欲が自然と発生する仕組みになっているのだ。
 ところが、高度に人間が文明化すると、本来は強力な本能の発動だったセックスまで言語化して、文化にしてしまったように、子育てまでも文明化してしまう。だから、自分の中から生まれ落ちた命を、言語によって理解しようとする。こうなると、子育てと海外旅行は同じ文明の土俵の上に乗ってしまう。そして無残に敗れてしまうのだ。
これまたうむむ・・・『同じ文明の土俵の上』か。


犬や猫を飼ってから子供を産め

 悲惨な事件を受けて、「動物だって自分の子供を守るのに」などというコメントを聞くこともあるが、それは逆だ。動物ならば本能的に子供を慈しむことができるはずだ。動物であることをやめた文明人だからこそ、子供を育てられないのである。
これまた・・・えーい語彙の残念さを叩きつけられるな!




また明日に引っ張るのもどうだろう・・・日を置いた方が整理がつくこともある、か。
映画に興味無いのに映画監督の本に魅かれるとは、よくわからないこともあるもんだ・・・。

『押井哲学』を見て「惜しい哲学、なんつって」なんて思った自分をころしたくなる本。