迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

インド・ネパール第27日~第29日 デリー、アグラ

2009年12月04日 | 旅する。
DAY27
12月2日 水曜日 デリー

ニューデリー駅へ。どんなにすごい人ごみに客引きに詐欺師かと身構えていたら肩透かしのように、いつものインド。

普通に毅然とNO! と断っていればいいだけだ。

駅構内の本屋でインド鉄道の時刻表が買えたのが収穫。





いつもの癖で、どんどん歩く。駅からコンノートプレイスへ、結局一周してジャンタルマンタルへ。

例によってガイドが寄ってくるが、ノーサンキュー! 一言でもう来ない。なんだか張り合いがない。

シティバンクで少し現金を引き出し、コンノートプレイス内の地下鉄の駅でトラベルカードを買う。

バハールガンジに戻ってランチを食べて少し宿で休憩。

午後は地下鉄を使いラールキラーへ、歩いて南下してジャマーマスジットへ。ちょうど礼拝時間と重なって30分待つ。

おかげで夕日のきれいな時間をモスクで過ごす。





さらに歩いて帰ろうとしたら夕方のラッシュに巻き込まれ、道路を横断するのもままならない。

危うく遭難しかけたが、野性の勘で回り道することなく宿に戻った。

夕食を食べてから、時刻表を研究する。



DAY28
12月3日 木曜日 デリー

朝はニューデリー駅で列車を予約する。計4本の列車がなんとほぼ希望通りに取れた。あと7回の移動のうち4回分はこれで確定。

旅行の予定が固まると、安心するというよりも、なんだか自由が少なくなっていくような寂しさがある。





クトゥブミナールへ、バスに乗る。ローカルバスの505番、運転手に聞いたら行くというので、とにかく乗ってみたら、ほぼ終点だった。

デリー中心部からはかなり遠い、空港の近くの遺跡だが、実によかった。





ここからオートリクショーでフマユーン廟へ。

おなかが空いたので近くのモスク裏の路地へ。物乞いに追いかけられて逃げるように飛び込んだレストランが、ガイドブックに出ていたレストランだった。

物乞いにも職業的矜持があるらしく、食事が終わってレストランを出たら再び同じ物乞いに追いかけられた。ポリシーとしてバクシーシには応じないので、とにかく逃げる。

歩いてプラーナーキラーへ。

さらに歩いてインド門へ。

すでに夕暮れ。さらに地下鉄駅まで30分で着くはずが、まったく見つからない。例によって地図と勘でようやく探し当てる。今日も危うく遭難するところだった。





DAY29
12月4日 金曜日 デリー→アグラ

朝の仕事は、地下鉄トラベルカードのリファンド、駅に行ったら100ルピーから使用分を差し引いて75ルピーが返ってきた。

うれしくて、近所を散歩し、朝ごはんは12ルピーの立ち食いカレー。

わざわざ遅めの時間にしたアグラ行きの列車だが、その代わり3時間半かかる。早朝のいい列車なら2時間なんだが。

そして当然のように遅れ、同席のツーリストは山のような巨大スーツケース2つにバッグやら袋やらを持ち歩くカップルで、せっかくの指定席が難民キャンプのように荷物に埋もれる。後から来たインド人青年が不満たらたらになったぐらいである。

とりあえず遅れは1時間でアグラに着き、ツーリストインフォメーションで地図や情報をゲットして、リクシャワーラーに囲まれながらプリペイドの52ルピーでタージマハル南側の安宿街に向かう。

600ルピーで宿を決め、リクシャでファテープルスィークリーへ行く交渉をするが、うまくいかない。結局違うリクショーで向かう。

実は1時間は優にかかる遠さの上に日没まで時間がなく、かなり急ぐんである。

このときすでに午後3時25分、4時半に駐車場に着き、水牛車を拾って10分。モスク地区は無料だが、それゆえにガイド、ガイドとしつこく、ゆっくりできない。





宮殿地区へは歩いて行く。ここはかなり広大で、すでに5時過ぎ、日没まで30分を切っている。





で、どーにかこーにか見て、さらに遠い遺跡まで行ったら暗くなった。行きは水牛車できた道を歩いて戻る。街灯はなく、道には土砂や穴が突然現れ、車はハイビームで目潰ししながら通り過ぎる。

危なくてしょうがないが、幸いライトを持ち歩いているのでなんとか駐車場まで20分で戻る。リクショーが心配して待っていた。

ちなみに、タージマハルは金曜日は休みなんだな、これが。