4月16日 土曜日 昆明(石林)
【石林行きのバスを探して火車站へ】
ホステルの廊下には火車站(鉄道駅)をはじめ、各地への行き方が掲示してあった。西洋人が主な客なのだから、おそらく列車やバスのきっぷもここで手配できるんだろうな。この掲示によれば火車站へはバス107番で1元で行けるようだ。朝6時過ぎにいったんチェックアウト、夜番の初老のおじさんから100元が返ってきて、預けた荷物にもちゃんとナンバーのついた札をつけてくれた。さて、バスがあることはわかったがバス停がどこかわからず、結局火車站まで歩く。
これは途中で見つけた映画の看板。
【トンブーとは何か?】
ガイドブックによれば火車站すぐそばに石林(シーリン)行きが発着するバスターミナルがあるはずなのだが、ない。正確には火車站近くにバスターミナルはあるが、そこから石林行きは出ない。きっぷ売り場で聞くと
「メイヨウ、トンサンペイ、うんたらかんたら」
と突き放される。次に客引きに聞くと、
「トンブー、うんたらかんたら」
とわけがわからない。推測するにバスターミナルが郊外に移転したのではないかと思う。
結局指差し会話帳で警備員に聞いてみたら、ペンを出してメモ帳に
「BUS60→TOMBUQUIなんたら」
と書いてくれた。指差した方向をたどり、北京路、永平路、と遠回りをしたがついに「60」のバスに大勢の人民が群がっているのを見つけた。「東部交通○○站行き」とあり、「トンブー」は「東部」かと得心する。
バスに押し合いへし合いして乗り、2元を支払い、立ちっ放しで53分。途中で東三杯というバス停があり、きっぷ売り場の小姐の「トンサンペー」と符合した。なるほど、なるほど。終点らしきところで流れのままに下車したら遠くに「昆明市東部汽車客運站」が見えた。これが警備員が書いてくれた「TOMBUQUIなんたら」ということか。
やはり石林方面など東へ向かうバス路線は郊外に新設されたバスターミナルに移管されたようだ。中国の変化は想像以上に早い。きっぷ売り場の電光掲示板には「石林風景区 毎10分/25元」とあり、手書きのメモを見せて無事にきっぷをゲットした。
【世界遺産はドル箱】
1時間半弱でバスは石林風景区入口に着いた。入場券は175元(約2188円)もする。
予想以上の観光インフレだった。ガイドがつくわけでなく、ただの入場料が宿泊代よりはるかに高い。しかし、中国人観光客は嬉々として入場し、民族衣装を着たサニ族がツアー客をガイドしている。ううむ。しかし、ここまで来たら入るしかない。
とりあえず、歩く。
天然舞台、屏風石あたりは記念撮影スポットになっている。
広場では民族舞踊をやっていて、大きい三絃(サンシェン/三線や三味線の原型)に共鳴胴とさわりをつけた楽器が興味を惹いた。
狭いところを抜けるといきなり開けて蓮花池に出る。
アーシマの岩では民族衣装に着替えて記念撮影するのが定番らしい。
ここからいったん戻って最初の分岐を左手に行く。人ごみを避けるようにルートをとる。三絃もどきの楽器の巨大なオブジェがある舞台に出た。
もとの道に戻ったので、大石林から別のルートを歩くが、結局、蓮花池に着くのは同じ。望夫石への道を取る。
人が極端に少なくなる。団体のルートをそれると人口密度が下がるようだ。ひとりで岩山を歩くのは気分がいい。
しかし、暑い。うっかり道に迷うと脱水症状がこわい。監獄石というあたりは日陰が多いので、しばし休憩。また蓮花池に出たところでいいかげん帰ることにする。
【中国のバスに慣れていく】
バスのきっぷ売り場で何か聞かれるが、中国語はもちろんわからない。通じた部分だけ雰囲気で意訳してみると。
「13:00?」イエス。
「ひとり?」イエス。
「27元」
かくして、すでに満員のバスに乗る。行きより2元高いのは保険2元が加算されているから。最後尾に座る前にもう発車した。歩き疲れたせいか、熟睡してしまい、気がついたらみんな降りていた。慌てて降りたが、そこはただの路上だった。人の流れについて行くと、ようやく今朝の東部バスターミナルが見えた。なぜ離れた路上に下ろされるのかが不可解だが、これが中国方式らしい。
東部汽車客運站とは別に、市内バスが発着する乗り場を発見。すぐに60のバスが来たので人民の海に揉まれつつ、なんとか乗車する。座れなかったが朝よりは混んでいない。途中からは座れて白塔路、春城路と道を確かめる余裕が出て来た。駅前の道で降りて歩くと飯屋(食堂というより、戦後闇市に近い)が立ち並び、「二蔬二菜8元」などと看板を出している。その安さとエネルギーに圧倒される。
【博物館に古代をたずねる】
南蒙バスターミナルに行くと、たちまち客引きに囲まれた。振り切って構内で大理(だいり/ダーリー)行きの情報を探すが、何の表示もない。客引きによれば大理行きは西部バスターミナルから出るらしい。「オレのクルマに乗れ。○○元で送っていく、そこからはXX元だ」というようなことを口々にわめくが、今日はその情報で十分だ。客引きをうまく使うのも大事なテクニックで、とくに中国は変化のスピードが速く、ガイドブックどころかネットの口コミもすぐに古くなる。
タクシーで雲南省博物館まで行く。東風東路に右折、Uターンして東風西路というルートは面妖だが、回り道なのか渋滞回避だったのかはわからない。メーターは15.3元で、15.5元(約194円)渡すと当然のようにお釣りは返ってこない。いまだに「角」という単位を中国で見ていない。
雲南省博物館は2階に展示、3階に民族物産展(ほぼ売店)と展示がある。
司馬遼太郎『街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち』から引用する。
……(以下は引用)……[石塞山は]日本から出た「漢委奴國王」という金印としばしば比較される金印「滇[てん]王之印」が出土した古墳のある山である。その古墳地帯から紀元前の青銅器も多数出土し、とくに、
「雲南青銅器」
と称せられる。戦国から前漢時代のものが多く、おなじ青銅器でも、漢族のものとは違っている。滇池のまわりで栄えた西南夷の古文化を物語るものといっていい。……(引用終わり)……
とあるように、昆明は滇[さんずいに眞、以下「てん」は同じ漢字]池(ティエンチー/てんち)のほとりに栄えた古滇[てん]国の中心で、引用中の「滇[てん]王之印」は前漢の武帝から益州郡として封された時のものとされている。その後は南詔国として栄華を誇った歴史をもつ。
『街道をゆく20 中国・蜀と雲南のみち』ではこの青銅器群についてかなりの紙数を費やしている。祭祀や生活の様子を知る資料的価値はもちろん、一瞬の動きをいきいきとダイナミックにとらえた造形の妙は一級の美術品でもある。他にも少数民族の文化資料が多い。有名な「牛虎銅案」もあった。昆明には駅前の「奔牛」をはじめとして牛の像が多いのだが、これに由来するのだろうかとも思う。
[注]「牛虎銅案」:銅案は青銅でできた祭祀用の供物をのせる台。牛の腹の下に子牛がいて、親牛のしっぽを虎がくわえている図案。スキタイ文化に見られる動物闘争文様との類似が指摘されている。その芸術性が高く評価され、また分鋳、溶接など古滇国の鋳造冶金技術の優秀さがうかがわれる。1972年に李家山遺跡古墓群から発掘された。
外に出たら、そこは繁華街の土曜日であった。高級車が街頭に展示されていて、キャンペーンガールがはべる。歩行者天国ではカップルが目立つ。日本でいえば、東京オリンピックとバブルが一緒に来たような、高揚感というか浮ついた感じがする。
【大理行きのバスを買う】
HUMP HOSTELに戻る。昨日頼んだドミトリー予約は入っていなかったが、ぎりぎり10人ドミの10番目に滑り込む。35元にデポジット50元、85元を払う。
英語が通じるスタッフに大理行きを聞く。バスは100元、朝7時40分発があり、西部バスターミナルまではバスで40分、タクシーで20分ということだ。ここでも買えるが15元の手数料がかかる。ちょっと迷ったが、面倒なことはさっさと済ませようとここで買うことにしたら、フロントのコが少し驚いた。普通ドミに泊まる旅行者なら手数料15元は惜しむのだろう。
今朝預けた荷物を請け出し、ドミトリーに入ってロッカーを探すが、ない。そんなわかりにくい場所にあるんだろうか? しばらく悩んでようやくとあるベッド下にあるロッカーを発見した。そこかい。さて、今度はフロントでもらった鍵で開かない。キーリング近くにあるICが反応する方式みたいだが、感度が悪いらしい。いかにも今の中国を象徴するような粗雑なハイテクに苦戦を強いられたが、ようやくロッカーに荷物をしまうことに成功する。
【雲南映像を探して歩く】
シャワーを浴びて、少しネットした後に外出する。雲南映像の場所を探して昆明を歩き回る。情報にあった場所からは移転したらしく、そこは工事中だった。何人かに聞いたが、わかる人がいない。もちろんホステルで聞けばいいのだが、こうして散歩というか、うろつく時間が愉しい。思いがけないものに会えるときもある。
結局ホステルに帰って雲南映像の場所を尋ねたら、今晩のチケットは売り切れていた。電話して特別に補助席を確保してもらう。チケットはたしか125元だった。フロントのコが「今晩雲南映像を見に行く女の子が3人いるからタクシーをシェアしたら?」とすすめる。それはまことに好都合なのでロビーで待つ。宿泊者はコーヒー1杯無料。
しかし、この女の子3人がなかなか来ない。マッサージが終わらないそうで、このままだと明らかに開演に遅れるのでひとりで行くことにした。タクシーで会場の芸術学校へ。フロントのコが書いてくれたメモを見せたが、ドライバーも会場を知らなかった。適当におろしてもらって会場を探し、「雲南映像」という看板ときっぷ売り場を見つけてチケット代わりにホステルで渡された券を見せると、電話を受けて席を手配してくれたスタッフが席に案内してくれた。補助席ながらいい場所だった。すでに開演の20時を5分過ぎていて、席についてすぐにショーは始まった。
【雲南映像、伝統とモダンの融合と再展開】
ステージを撮影することは禁止。著作権保護から当然なのだが、カメラを構えるだけでスタッフからレーザーポインターで指摘される。しかし、中国人観客はその目を盗んで撮影することに恥を感じないようだ。
雲南映像はレベルの高いパフォーマンスで、伝統芸能をただ保存するのでなく、その伝統と人材を生かして新しい文化を生み出そうとする気迫が感じられる。何よりもその世界観が指し示す豊穣な精神の未来性と多文化の可能性、ローカルを突き詰めた先の普遍性について考えさせられる。アイルランドのRIVERDANCEを思い出した。伝統の墨守でなく、現代への迎合でもなく、伝統と現代の融合と再展開へ。
舞台はよかったが、観客席の中国人はカーテンコールも待たずにさっさと帰る。禁止される写真は撮りまくり、ショーの後に拍手する人は邪魔もの扱い。マナー以前に、自己中心的すぎる。ステージと観客席で、両方の中国を見た感じがした。
さて、帰る人の多さに対して流しのタクシーが少ないので、多くのタクシー難民が発生していた。一計を案じて逆方向のタクシーをUターンさせて停める。近くで困っていた西洋人夫婦に声をかけ、シェアする。偶然だがHUMP HOSTELから至近距離のホテルだった。夜の広場はライトアップされていた。
懸案の夕食だが、夜22時を過ぎるとかなり限定される。マクドナルドとKFCをあわせたようなdico's(徳克士/ディコス、中国国産ファストフード)へ行ってみる。意外にもご飯がなく、チキンをはさんだバーガーとポテトフライ、コーラのセットで値段はたぶん7元くらいだった。