朝起きて、ブッダ・ガヤーの街をうろつきました。
いたる所にお坊様がおられます。
あちらにはブータンのお坊様、そちらにはチベットのお坊様、こちらには中国、向こうにはインド、そして白人のお坊様で袈裟をしてらっしゃる方々が歩いていらっしゃいます。
お坊様萌えの友人がいるのですが、その人に伝えてあげたら鼻血卒倒ものです。
お坊様パラダイス
坊パラです
えんじの袈裟のチベット僧から黄色い袈裟のブータンの僧まで
そういうホストクラブが浅草か京都あたりにあれば非常に流行るのではないでしょうか
お坊様なので癒し効果、カウンセリング効果、自己啓発云々が浮き世の世界で少し疲れた方々の心のよりどころとなること間違いないです。
私はひとまずブータンのお坊様と話し込み写真を撮らせていただきました。
ブッダが前生覚山での苦行を終え、街へ降り、
静かに悟りを開いた場所といわれる所にあるのがマハーボディー寺です。
その敷地内では、若いチベット僧が五体投地を繰り返し、祈りを捧げていました。
その光景はもはや男子校の域に達しており、ほとばしる汗とさらけだした肉体は
坊主萌えの方でなくとも、あの清々しさと、空回りに終わるのではないかと予想され、やはり空回りに終わる青春を自らの内に思い出されるでしょう。
そんな卑猥なことばかりを考えていたものですから、思わず裸足で歩いていた寺院内で思いきり転んでしまいました。
なんとも罪の深い私ですが、なんまんだぶと唱えればその罪は許されるでしょうか。
でも坊主萌えの友人に、その人にとっては楽園とも言える坊パラの報告ができ、少しは罪も軽くなったでしょうか。
そう考えている時点でまた転んでしまいそうですし、友人がこの坊パラに来たら不埒で罪深いその考えから鼻血卒倒、下手すれば意識不明かもしれません。
いや、それも本望でしょうか。
たとえ命を落としても、周りはお坊様だらけですし。
お坊様にとってもこのマハーボディー寺院は聖地のようで、まるで観光地のようにデジカメに納めようとするそのお姿がとてもほほえましいです。
チベットのお坊様と仲良くなりました。
彼らも一生のうち何度も来れるような場所ではないようで、非常に興奮し、はしゃいでおられました。
下手をすると観光客よりもはしゃいでおられるお坊様の方が多かったのでは。
それからお寺を出て、お腹がすいたのでこのテントのレストランで食事をいたしました。
不浄なことばかりを想像していたので、天罰が下り、お腹をくだすと予想されていましたが、
罪深い私に呆れたのか、それとも許してくださったのか無事でした。
そうしてブッダ・ガヤーからナイランジャラー川をはさんで隣にあるセーナー村(スジャータ村)へと向かいました。
乾季で川には水がありません。
牛は沢山いました。
しばらく行くと、トトロの木と呼ばれる大きなガジュマルがありました。
周囲の木と比べても一段と太く大きいこの木は、ジブリのとなりのトトロに出てくる木のような存在感があるので、日本人の旅人の間でいつからかトトロの木と呼ばれるようになったそうです。
でも街から数キロ離れているので結構行くのはめんどくさいです。
この木は単なる観光スポットというわけでなく、現地の方々の信仰の対象でもありました。
大きなこのガジュマルの木は現地ではトトロの木ではなく、バーナー(?正確な呼び名を忘れてしまいました)と呼ばれ、
前生覚山で修行を終えたブッダがセーナー村(スジャータ村)で乳粥を飲み、ブッダ・ガヤーへ向かった道の通り道にあったとされ、今でも現地の人々の信仰の対象、パワースポットとなっており、年に数回この巨大なガジュマルの木を囲んで盛大なお祭りが行われるそうです。
ガジュマルの木の下にはトトロではなく、赤子を抱いた母親が休んでおられました。
それから再びセーナー村(スジャータ村)へ戻りました。
どこまでも田園の続くのどかな風景です。
そしてここで私は野良犬に吠え立てられ、半泣きで逃げ惑いました。
先ほどのお寺で坊パラなどという、不徳な思想が祟ったのでしょうか。
犬に噛まれて狂犬病で死ぬと本気で思いました。
狂犬病の予防接種はしていなかったので命からがらです。
これからはお坊様に萌え要素などを見いださないよう気を付けていきたいです。
それにしてもなぜ野良犬はあんなに吠えるのでしょうか。
満たされていないのでしょうか、世知辛い世の中に。そこのところどうぞお坊様すさんだ犬を癒してあげてください。
ブッダ・ガヤーへ戻り、日本寺(ブッダ・ガヤーには各国のお寺があります)で行われる座禅に参加して参りました。
若い白人の女性(すこぶるアジアンファッションを極めていた)や男性(座禅の組み方が日本人よりも遥かにうまい)などが集っていました。
日本人の大学生とおぼしき人なども含め15人くらいでしょうか、日本寺の本堂の中で40分間静かに座禅を組み、ゆったりとした時間と空気の流れ、淫と妖、いや陰と陽の気配を感じつつ、お腹がすきました。
日本寺にはお坊様方が宗派を越えて滞在されていました。
臨済宗、浄土宗、日蓮宗、曹洞宗、浄土真宗etc
中でも副住職の浄土宗のお坊様(当時。現在は日本に帰国されたようです)の全く目を合わせない人見知りぶりはとても共感でき友達になれそうでした。
また、この日座禅の前にお経を読まれたお坊様(宗派を忘れました)はまだ若く、私と同じくらいでしょうか、多分20代後半くらいと思われましたが、はるばるインドの地までやってきて、いろいろ大変なこともありますでしょうがカメラを向けさせていただくと、とてもお優しい表情でこちらを向いてくださいました。ありがとうございます。
これによりまた坊主萌えが増しました。
すかさず不浄の私は寺を出た所で犬に追いかけられました。
もはやなんまんだぶと唱えた所で救いようがないほどの不浄を持っているのかもしれません。
どうもすみません。
もう少し青春とか、情熱とか救いとか平和とか愛とかをおもむろに言葉にしていけるような人間になりたいものですが難しいところです。
生まれ変わってミジンコくらいからやり直さなければいけないようです。
街を出て、ガヤー駅に着きました。
これから深夜特急に乗り込んでコルカタへ向かうところです。
駅前には列車を待つ人、物乞い、特に何もなさげな人々が沢山寝ていました。
列車は2時間遅れでやってきました。
列車はいい座席を予約しておいたので、睡眠薬強盗などの心配もなさそうな雰囲気で快適でした。
バラナシで買った、沢木耕太郎の深夜特急を読みながらごとごと列車に揺られました。
多分ネパール・インド編だったと思いますが古本でしかもインドで買ったので無茶苦茶に汚く、いろんなシミや汚れがついていました。
そうやってコルカタ行きの電車の中で深夜特急を読むなど、自己陶酔極まりない行為をした上に、性懲りもなく坊パラのことを思い出したりしていたので、すかさず下痢になり、便所に駆け込みました。