プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

iPad

2011-05-18 21:31:53 | Weblog
iPad2が出たりして、まだまだ話題のiPad。話題になっているにもかかわらず、あまり使っている人を見かけない。
電車の中ではだいぶスマートフォンを使っている人が増え、スマートフォンの種類もiPhoneに限らず、色々な種類の機種が出回っている。しかし、iPadを使っている人は、そういえば見かけない。

なぜか。次のようなことが考えられる。
1.iPadの屋外での回線、つまり3Gは思ったよりも速度が遅く、快適なインターネット環境とはいえない。
2.携帯電話に比べれば当然重く、下手な持ち方をすると疲れる。
3.画面が大きい分、周りから覗かれてしまうこともありうる。
そういったこともあってか、iPadを使っている人の多くは、家で使用しているものと思われる。
まあしかし、iPad2が出たので、ネガティブな部分はだいぶ改善されてはいる。
iPadは何でもこなせる。ただ、何でもできるということは、何に対しても中途半端ということにもなりかねない。その点、iPadは製品としての完成度はかなり高いレベルにあるので、ビュワーとして、あるいはクラウドコンピューティングのインターフェースとして割り切ってしまえば、かなり満足はできると思う。

そもそも、コンピューター史を語るうえで、Appleという会社は独立した存在にあると思われる。つまり、コンピューター史と、Apple史があるわけである。ジドウシャ界でいえば、いわばシトロエンのような存在だ。
アップルのコンピューターで、印象的なのが、1つしかボタンの無いマウスである。
ウインドウズに慣れてしまった我々は、もはや右クリック無しの生活は考えられない。
マックとウインドウズの立ち位置の違いが、その辺に垣間見えるような気がする。
そしてiPadに触れていると、またそんなことを思う。

iPhone/iPadの素晴らしい所は、スクリーンをタッチして直観的に操れるという点である。
これは、便利とか不便だとかを議論する以前に、問答無用に楽しい。
かつて、ワープロを前にして、キーボードによるタイピングに面白さを感じたのを思い出す。

iPhone/iPadの素晴らしい点は、ユーザーインターフェースの快適性と、携帯性にある。
それはすなわち、情報に対するアクセシビリティが高い次元で備わっていることを意味する。

結論:iPadは魔法の窓である。