オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

スタンリー・クラーク ~アット・ザ・ムービーズ~

2017-02-19 15:03:18 | オーディオ
 今回は、スタンリー・クラークの”アット・ザ・ムービーズ”のお話をします。

  ■1)アバウト、スタンリー・クラーク
 先ずは、スタンリー・クラークについて、経歴をウィッキペディアから紹介します。
 ”スタンリー・クラーク(Stanley Clarke、1951年6月30日 - )は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州フィラデルフィア出身ベーシスト、作曲家、音楽家である。
1972年に、チック・コリアらとリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成、1970年代フュージョン・バンドの代表的存在の一つとして活躍。1972年にChildren of Foreverでアルバムデビュー。1973年よりアレンビック社製のエレクトリックベースをメインの楽器として使うようになる[1]。1974年にネンペラー・レコード(英語版)よりセルフ・タイトル・アルバムをリリース。ドラムスにトニー・ウィリアムス、ギターにビル・コナーズ、そしてキーボードにヤン・ハマーという簡素ながら、強力なメンバーによって作成されている。1975年にはJourney to Love(旧邦題『慈愛への旅路』)をリリース。ギタリストのジェフ・ベックが"Hello Jeff""Journey to Love"に参加[2]。また、後年コンビを組むこととなるキーボーディストのジョージ・デュークも参加している[3]。
1979年、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが結成したサイド・プロジェクト、ニュー・バーバリアンズのメンバーとなり、ローリング・ストーンズがトロントで行ったチャリティ・コンサートでオープニング・アクトを務めた後、ニュー・バーバリアンズとしてのアメリカ・ツアーも行った[4]。
ジョージ・デュークとのユニット"Clarke/Duke Project"で、3枚のアルバム(1981、1983、1990)を発表している[3]。
1994年よりアル・ディ・メオラ、ジャン=リュック・ポンティと共に結成したアコースティック・トリオでライヴ活動を行い[5]、1995年にはこのトリオによるアルバムThe Rite of Stringsを発表した。
2006年に、ロサンゼルス公演のライブ・アルバムがリリースされている。
2007年にはヘッズ・アップに移り、The Toys of Menを発表、翌2008年にはマーカス・ミラー、ヴィクター・ウッテンと組み、3人のベーシストのユニット"S.M.V."による企画アルバム、「Thunder」を発表。
2009年には上原ひろみ、レニー・ホワイトと組んでスタンリー・クラーク・トリオとしてJazz in the Gardenを発表。2010年にはラスラン・シロタ、ロナルド・ブルーナーJr、上原ひろみ(ゲスト)と組んでスタンリー・クラーク・バンドとして活動し、アルバムThe Stanley Clarke Bandをリリースして、同作は第53回グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を受賞した[6]。”

 スタンリー・クラークといえば、大学生の時代に、ポップスベスト10を土曜のPM2時くらいからやっているのを、聴いていたときによく、”スタンリークラークの・・・”というナレーションを覚えていますが、曲は残念ながら覚えていません。ジャズもやっていたんですね。知りませんでした。

 ■2)スタンリー・クラーク ~アット・ザ・ムービーズ~ 1995/11/22発売
 最近ユーチューブを聴いていましたら、何か神々しい音楽が聞えてきます。ビデオの絵は、映画の映写機をジャケットにしたものが写っていました。これが、スタンリー・クラークの”アット・ザ・ムービーズ”の4曲目でした。これは、美しい曲だなと思い、早速入手しました。スタンリー・クラークって映画音楽もやっていたんですね。意外に、クリアーな音と低域から高域までワイドバンドで、音楽性もよく、お買い得でした。下が、CDです。

ついでに、裏も。15曲入っています。

 特に一曲目にタイトル曲が収録されている「パッセンジャー57」はマイナーなB級アクション映画ですが、スタンリー・クラークの音楽だけではなく、映画自体も面白いです。又、これの低音、バスドラの音(多分シンセか、エレクトリックベース)が、ズシン!と身体に響きます。周波数を測ってみたら、下記に示しますが、43Hzくらいです。よく低音が出ているなと思って測ってみても、50~60Hzだったということがあるのでこれは結構低いです。

 上の左上が、1曲目になっています。バスドラを打った瞬間を捉えてますが、緑線が瞬時で、赤線は、ピークホールドです。緑線が、43Hzでピークが出来ているのが判ります。この曲は、低音に重心がありますね。低音が聴き所です。左下の3曲目は、サルか天狗のような声が、時々ヒョイと合いの手のように入るのが、何で出しているのか興味深々です。シンセなのでしょうか?3曲目の低音も低く聞えますが、ピークが、70Hzですので、1曲目の倍近いです。
 上の右下の4曲目が私が最も好きな曲です。これは、620A系(+2231A+2405H)で聴くと、天空から音が神々の演奏のように舞い降りてくる感じで、音が空中を飛来します。ピアノとソプラノサックス(これらがこの曲のメイン)のシンセ音は、主に右の空から飛来し、トライアングル(連続と単音)とシンバルは、左の空から中央へ、ベースは、中央奥と右から、弦(バイオリンのシンセ)も左空から、それらが渾然一体また続いて、空から舞い降りる、最後のピアノは左からに変わっている、そんな曲です。この音のアンサンブル・構成は、見事です。こんな見事な構成はまず見ない。上の右下のスペクトルで見ると、1KHz前後にピークがあるが、これが、主にソプラノサックスとピアノの音で、他の曲と違うところです。
 5曲目は、短いがこれも素晴らしい。6曲目は、後半のベース&ギターワークが聴き所です。その後も、興味深い曲が続きます。
 それから、13曲目も私の好きな曲です。ゆったりとしたテンポの曲ですが、ベース&ギターのテーマが、ファンキーでグルービーです。スイングしてます。これは、スペクトルで言うと、2曲目に似ています。

 このアルバムは聴いていて楽しいのは勿論ですが、フュージョンを対象にするオーディオチェック用としても、十分に使えます。

 【キャッチコピー】
 ”アーティスト/楽曲のコンピレーション形式で制作されることが多いのが最近のサントラ傾向。本作はジャズ/フュージョン界で活躍するスタンリー・クラークのサントラ作品を幾多の映画をまたがって集めたもの。オリジナル・サントラ・アルバム未収作品も収録。”

 No. 曲名              (映画名)
1. パッセンジャー57・メイン・タイトル(パッセンジャー57)
2. リサ(パッセンジャー57)
3. ジャスティスのグルーヴ(ポエティック・ジャスティス)
4. ラッキー・アゲイン(ポエティック・ジャスティス)
 ポエティック・ジャスティス/愛するということ(1993)POETIC JUSTICE
ジョン・シングルトン監督の、これは失敗作の烙印を押されたジャネット・ジャクソン主演映画。映画初出演。ゴールデンラズベリー賞最低新人俳優賞受賞。その非難の多くは27才のジャネットの演技に向けられたが、むしろ、日本のアイドルの芝居などよりずっとレベルは高い。彼女とシングルトンは小学校の同級だったらしく、願いかなっての共同作業となった。LAの美容室に勤めるジャスティスは12歳の時にアル中の母が自殺、二年前に祖母を亡くし、不良どうしの抗争で恋人を失って以来、詩だけが心の拠り所だった。郵便局員のラッキーは彼女を見初め、なんとかその心を開かせようと果敢にアタック。彼の相棒と彼女の親友が恋仲になったことから、オークランドへの配送車で旅することになった四人だが……。ラッパーを目指す家庭的には恵まれたT・シャクール(ラッキー役)は実際に人気ラッパー。なかなか達者な芝居を見せ、以後主演作が目白押しとなった。脇の人物も面白く描け、LAの黒人社会の風俗を知るにも最適の作品。
<以上allcinemaより>
5. ファーザー・アンド・サン(ボーイズ・インザ・フッド)
6. ボーイズン・ザ・フッドのテーマ(ボーイズ・イン・ザ・フッド)
7. グランパのテーマ(リトル・ビッグ・リーグ)
8. ハイヤー・ラーニング・メイン・タイトル(ハイヤー・ラーニング)
9. ザ・ラーニング・カーヴ(ハイヤー・ラーニング)
10. アンナ・メイ(ホワッツ・ラブ・ゴット・ツー・ドゥー・ウィズ・イット)
11. キャピタル/ネイティのテーマ(パンサー)
12. ミーティング(パンサー)
13. デジャのテーマ(ハイヤー・ラーニング)
14. ブラック・オン・ブラック・クライム(ボーイズ・イン・ザ・フッド)
15. マックスのテーマ(タップ)

 次回は、オーディオ評価ソフト雑感 その2 として、お話します。
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JUJUさんの ~DELICIOUS~

2017-02-17 11:18:38 | ジャズ
 今回は、JUJUのJAZZアルバム「DELICIOUS」のお話です。私の音楽を聴くポイントは、楽しいか、楽しくないかです。楽しくない音楽は聴きません。そういう意味で言うと、「DELICIOUS」は楽しい音楽・曲ばかりです。JUJUさんというと、TVの歌番組をたまに見ている時に出てきていたのですが、ポップスか、歌謡曲と思っていました。しかし、ユーチューブで”Take Five”を歌っているのを聴いて、”意外にいけるやん”と思ってCDを入手しました。
 ■1)アバウトJUJUさん
 先ずは、経歴から。
JUJU(ジュジュ、1976年2月14日 - )は、日本の歌手。広島県庄原市出身。ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ所属。身長166cm。
12歳でジャズシンガーを目指し、京都府で過ごした学生時代に、DJなどの音楽活動を始める。広島県立庄原格致高等学校在学中の18歳の時に観光で訪れたニューヨークを好きになり、半年後に単身渡米。ニューヨークで出会った作家のE-3やDJ HIROnycらと作り始めた音楽作品が、日本で評判を呼び始め、デビュー前に映画『凶気の桜』の主題歌制作に協力した。しかし、その後は順風満帆とはいかず、2004年発売のメジャーデビューシングル、2ndシングルともにセールスが振るわなかったため、以降の2年間は全てパッケージ作品のリリースを凍結する[2]。後にこの2年間を「出し続けて消費されるのが嫌だったんですね。アマチュアの世界ではうまい人が偉いけど、プロの世界では売れている人が偉い。じゃあ売れる音楽ってなんだろうって、ずっと模索し続けた2年間だった」と振り返っている。
模索を続け最後のメジャーリリースかも知れない、と思い、2006年11月にリリースした「奇跡を望むなら...」が話題を集める。USEN総合チャートに22週連続チャートインを記録し、2007年USEN年間総合チャート1位を記録するヒットとなった。
2008年4月から、12ヶ月連続のカヴァーライブ「ジュジュ苑」を開催する。同年10月10日、ニューヨークで凱旋ライブ「JUJU苑 in NY」を行った、また日本記念日協会は10月10日を「JUJUの日」として2007年に正式認定している。
2009年、シングル「明日がくるなら」が映画『余命1ヶ月の花嫁』の主題歌に起用され、2009年、年間配信チャート1位を記録、配信累計300万ダウンロードを突破した。
【本名・年齢】非公開だが、ウィッキペディアから推測すると、園田淳らしい。年齢は、「永遠の100歳」。
【芸名】由来は、ウェイン・ショーターのアルバム『JuJu』から。ニューヨークの路上で『JuJu』を収録したカセットテープが売られていたのを見てあやかることにしたという。

 ■2)私の好きなJUJUさんのアルバム
 以下に、私の好きなJUJUさんのアルバム「DELICIOUS」を載せます。

 ついでに、裏も。私の大好きな、チャーリーとスヌーピーもいますね!ピーナツの仲間達はジャズメンも大好きで、ジャケットに登場することもあります。

 右が、JAZZの1stディッシュで、左が、2ndディッシュです。どちらも素晴らしいです。12歳でジャズシンガーを目指しただけに、ジャズ心を持っています。加えて、サウンドが良いんです。ビッグバンドに近い厚いサウンドが聴けます。オーディオチェックにも最適です。

■3)「DELICIOUS」2ndディッシュ
 ユーチューブで”Take Five”を歌っているのを聴いて先ず入手したのが、これです。”It Don't Mean A Thing”では、何と、日本人で初めてブルーノートと契約した日野照正さんがペットを吹く、それも”曲は嫌いだが、JUJUさんが好きなので参加した”という、ジャズファンなら見逃せないグルービーなシチュエーションになっています。リズムセクションの方々も良く知らないんですが、心地良いサウンド・アドリブを奏でています。ビッグバンド形式は、1・2・6曲目の3曲。
 【キャッチコピー】
 ”満を持してJUJUのJAZZアルバム第2弾がついにリリース!2011年リリースのJUJU初のJAZZアルバム「DELICIOUS」。JAZZアルバム史上初のオリコントップ5にランクインなどの大ヒットを記録した。
 待望のJAZZアルバム第2作となる本作は、JAZZの不朽のスタンダードナンバー曲に加えてオリジナル曲2曲を収録。松尾潔氏 総合プロデュースの元、島健氏・菊地成孔氏をサウンドプロデューサーに迎えた超豪華版!アートワークは、前作に引き続きJUJUも大好きなキャラクターSNOOPY (PEANUTS)とのコラボが実現。JUJUファン・JAZZファンのみならず、初めてJAZZに触れる人も虜にする、芳醇なJAZZアルバムが登場!!”

 では、聴いた印象を
 1.It's a JAZZ Thing!! ビッグバンド形式
 スローなピアノのイントロの後、ビッグバンドのホーンがいきなり、の後、軽やかなヴォーカルが始まる。スインギーなバックに応えてヴォーカルも乗りの乗っている。間奏は、弦を上手く使いつつホーンを効果的に使う。圧倒的なビッグバンドのバックに支えられて、JUJUも自由に泳いでいく。これを大音量で聴くと、迫力満点。
 2.It Don't Mean A Thing ビッグバンド形式
 デュワッデュワッとスキャットがスイングする曲。日野さんのペットのソロは、ここでは、リー・モーガンの音色やフレージングに似ている。意識していない?歌声に絡むペットの絡み方が、素敵。ブギウギっぽくて大好きです。これから何かをやろうと言う時に聴きたい曲。
 3.Take Five
 イントロは、ピアノで最後までこのテーマリズムを刻むのが印象に残る。その後のJUJUのスキャットが、この曲にベストマッチング。ジャズのアトモスフィアーを身体で感じているような歌い方です。
 4.Give Him The Ooh-la-la
 ミディアムテンポのコミカルなテーマでスタート。最期が突然終わるこの曲の曲想もいい。
 5.In A Sentimental Mood
 エリントンが母の死を悼んで作った曲。後から歌詞も付けられ、ラブソングとして歌われるようになりました。しっとりとした、感傷的な歌声でスタート。その歌声が、セクシーでまたいいのである。
 6.We Are In Love ビッグバンド形式 ハリー・コニック・ジュニアの90年のオリジナル
 男性がプロポーズする歌。この恋に登場する2人の恋は成就したと信じたい。その答えは、ラストの曲にある。こいうアルバム構成も粋ですね。快活な歌声で、あっという間に終わってしまう。 
 7.When You Wish Upon a Star
 日本のボサノバのマエストロとして長いキャリアを誇る、中村 善郎さんの参加で、彼のギター&少し鼻にかかった中低音の声のヴォーカルが聴ける、ボサノバアレンジの贅沢な曲。夢見るような曲に、夢見るような歌声とサウンドである。聴いているだけで、人をハッピーにしてくれる曲。エンディングの中村さんのギターがイケます。
 8.Summertime
 けだるいバラードを、けだるく歌える人は少ない。JUJUは、けだるいが、スマートである。リズムセクションも、ギター&コンガ&バスドラを上手く使っている。ソロを採るフルートのアドリブが、軽快で飛ぶようにいい感じでアドリブする。エンディングのいろんな楽器(ピアノ&フルート&ギター&ホルン&バスドラ)の絡みは素晴らしい。アレンジの妙がある。これは、川口大輔さんでヴォーカルもやっているがアレンジに相当力をかけている。
 9.Sway(Quien Sera)
 今回のラテンミュージックは、マンボでこの曲である。ウー、オー、ウィーという掛け声が、如何にもメキシカン・マンボを想わせる。リズムセクションは、ドラム(コンガ含め)系が目立つし、効果的である。
 10. Misty
 ピアノの宝石の粒の数々を思わせるイントロの後、ムーディーなヴォーカルが始まる。ピアノの寄り添いが効果的。シルキータッチの声がその中を泳いでいく。間奏のアルトがいい印象派のようなアドリブを聴かせる。ピアノソロもアイデア豊か。エンディングは、キラ星のようなピアノによるアフターフォロー。
 11.My Foolish Heart
 ギター&ピアノの美しいイントロの後、荘厳なヴォーカルから始まる。この美しいバラードを深い情感をヴォーカルが表す。間奏は、ブリリアントなピアノ。哀感をもって流れていく。最後の寄り添いも込み上げる感情を上手くコントロールしている。エンディングは、綺麗なビブラートの後、ピアノの美しいフォローで終わる。
 12.More Than You Know
 いきなりのスローなヴォーカルでスタート。ほぼピアノしかないかのようなピアノの寄り添いがしっとりとしている。この静かな曲には、この方がぴったりくる。しっとりとした哀愁が残る。
 13.You & Me
 静かにピアノイントロが始まり、ヴォーカルがそれにしめやかに続く。この曲は、6曲目のアンサーソング。きっと、ハッピーエンドになると期待していた通り。私には、19才になる娘がいる。いつかは判らないが、彼女のキャンドルサービスのBGMはこの曲にすると、これを初めて聴いた時から決めている。そんな曲です。


 1stディッシュもこれに勝るとも劣らない素晴らしいアルバムです。特に”クライ・ミー・ア・リバー”はしびれます。この曲で一番好きなジュリー・ロンドンに並びかけます。あちらは、ドラム無しになりますが、バックはほぼ同じ、ベース・ギターのみでシンプルで、ヴォーカルも情感を深く沈潜させ、表面には出ないですが、奥深いです。JUJUさんは、少しテクニックに走りすぎかもしれませんね。ラスト曲の”みずいろの影”も好きです。ライナーノーツに書かれている、JUJUさんのコメントが意味深でいいですね。

 次回は、私の大好きな、スタンリー・クラークの”アット・ザ・ムービーズ”のお話をします。



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チャーリー・ミンガス

2017-02-16 11:46:02 | ジャズ
 今回は、チャーリー・ミンガス(本人は、チャールズと呼んでくれと言っていた)についてお話します。
 先ずは、チャーリー・ミンガスの経歴からお話しします。

 ■1)アバウト、チャーリー・ミンガス
 【人物】
 ”チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922年4月22日 - 1979年1月5日)は、アメリカ合衆国のジャズ演奏家(ベーシスト・コンポーザー・バンドリーダー・時にピアニスト)。人種隔離反対運動でも有名。
 【経歴】
 ”1943年にルイ・アームストロングのバンドで活動。1945年に初レコーディングを経験。
1950年代前半には、チャーリー・パーカーやバド・パウエルと共演し、ベーシストとして名を広めていく。また、自分のレーベル、デビュー・レコードを立ち上げた。このレーベルの音源としては、チャーリー・パーカー(契約上の問題でチャーリー・チャンと表記された)やディジー・ガレスピーと共演した『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』が有名だが、ベースの音量が小さかったため、ミンガスがベースをオーバー・ダビングしたというエピソードがある。
1956年、ジャズに物語的要素を持ち込んだ『直立猿人』を発表し、作曲家としてもバンド・リーダーとしても名声を高めた。
1959年発表の『ミンガス Ah Um』は、差別主義者の白人を徹底的に皮肉った「フォーバス知事の寓話」や、後にジョニ・ミッチェルやジェフ・ベックがカヴァーした「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」を収録した、ミンガスの代表作の一つ。
1962年発表の『オー・ヤー』では、ベースを弾かずにヴォーカルとピアノを担当し、新たな一面を見せた。その後、ミンガス自身によるピアノ・ソロ作品『ミンガス・プレイズ・ピアノ』も発表。
ミンガスのバンドには、ジョン・ハンディ、エリック・ドルフィー、ローランド・カーク等の強者プレイヤーが出入りしてきた。1962年には、穐吉敏子も一時的に在籍。
1960年代後半は活動が停滞するが、1970年代に入ると再び活動が活発化。晩年は、筋萎縮性側索硬化症で車椅子生活となり、ベースを弾けなくなったが、作曲・編曲活動は死の直前まで続けていた。

 ■2)私の好きなミンガスのアルバム
 以下に、私が好きなミンガスの作品を載せます。

 左から、『直立猿人』 (1956)、『ミンガス Ah Um』 (1959)、『チュニジアムーズ』 (1957)のLPです。
 この中では、やはり代表作の、『ミンガス Ah Um』が一番好きなので、これを紹介します。左と真ん中のは、抽象画のようで洒落ています。

 ■3)『ミンガス Ah Um』 1959年5/5、5/12 NY録音 パーソネル:チャールズ・ミンガス(b)、ジョン・ハディ(as)、シャフィ・ハディ(ts)、ブッカー・アーヴィン(ts)、ジミー・ネッパー、ウィリー・デニス(tb)、ホレス・パーラン(p)、ダニー・リッチモンド(ds)。全ての曲がミンガスのオリジナル。
 タイトルは、ミンガスのラテン・ネームから付けたとのこと。これを初めて聴いたのは、油井先生の”アスペクト・イン・ジャズ”であったと記憶している。『直立猿人』の如何にも、猿人が、猛獣に脅えながら、キョロキョロと寂しく歩いているような、また叫び声をうめくのをホーン楽器で再現するなど物語性に新鮮な驚きを感じ、BlowUpを聴いた時のような斬新な感触を受けた。その次に、出てきたのが、『ミンガス Ah Um』で、一枚のアルバムに色んな音楽の要素を詰め込んでいる印象がある。
 印象的な曲をピックアップします。
 1. Better Git It In Your Soul (7:20)
 べースのイントロから始まる、ブルースを陽気にしたようなテーマだなあと思っていたら、油井さんによると、ゴスペル調になっているということでこれがゴスペルかと納得した。Tsのアドリブも中々いいのである。所々に入るシャウトや合いの手を聴くと教会音楽を思い起こさせる。ニュー・ジャズのフリー・トーンが、ミンガスのこのような演奏がヒントになったというのも頷ける。三拍子で演奏されるオリジナル。
2. Goodbye Pork-Pie Hat
 ポーク・パイ・ハットとは、この録音の2か月前に亡くなったレスター・ヤングのかぶっていた帽子のこと。サヨナラ、レスターという意味。レスター・ヤングは、以前に紹介したように、バードも手本にしてコピーしたとか、マイルスのクールの源流ななったとか考えると、ジャズのホーンのルーツと言っても言い過ぎではない。こっちは、前曲とはうって変わって、静かにレスターを偲ぶような哀愁を帯びた美しいバラードになっている。レスターに因み、ジョン・ハディのアルトが悲しみに満ち、ムーディに演奏されている。
3. Boogie Stop Shuffle
 ミンガスが、クラシック・ジャズのブギー・ウギーが持っていたエキサイトメントやホットなものを現代的にアレンジして演奏したもの。このスピード感とブギウギ感が良いですね。この感じ凄く好きです。特にイントロというかテーマがワクワクします。ホーンとピアノ他のアンサンブルというか全体の構成も良いですし、後半のドラムソロもいい味出してます。エンディングは混迷の内に終わります。
4. Self-Portrait In Three Colors
 このバラードは、ニューヨーク派の映画”アメリカの影”の為に書いたテーマミュージック。いかにもニューヨークを表していて、詩的な作品である。ジェリー・マリガンのナイト・ライツのムードである。
5. Open Letter To Duke
 ミンガスが、心酔していたエリントンに捧げたナンバー。初めは、アップテンポのスインギーな演奏でスタートする。後半からはエリントンサウンドになる。スリリングで陽気なサックスが上手くアレンジされている。ミンガスのべース・スタイルを決定付けたのは、エリントン楽団の天才ジミー・ブラントンである。
6. Bird Calls
 イントロからサックスの騒がしい電話の呼び鈴コールを表している。テーマからアップテンポンの軽快なサックスで飛ばす。気持ちのすくようなスインギーな曲である。ミンガスで一番好きな曲の一つでサックスやピアノのアドリブがいいです。ミンガスは、50年~51年のレッド・ノーヴォ・トリオで演奏した後、ロスからニューヨークに移住し、仕事も無く郵便局員になった。51年の暮れに、バードは近所まで来て作曲を誉め、頑張れと元気づけた。その説得により、ジャズ界に戻ったので、恩義を感じていた。そういう感謝をこめてこの曲を作ったのである。
7. Fables Of Faubus
 ミンガスの代表作でリトル・ロックの黒人と白人の共学問題で白人に味方して、大統領に反抗し州兵まで動員して人種差別をし、黒人から総スカンを喰らったアーカンソー州のフォーバス知事をやじった作品である。ここでは、コミカルなテーマに乗って上品に楽器でそれを訴えているが、別アルバム”ミンガス・プレゼンツ・ミンガス”では、『馬鹿な奴だよ、フォーバスは!』とののしるヴォーカルが入っている。それには、アルトでエリック・ドルフィが参加している。
8. Pussy Cat Dues
 ジミー・ネッパーのTbを大きくフィーチャーしたスローでカラフルな演奏。ミンガスらしいこれぞブルース的な演奏が印象的。ジョン・ハディのクラリネットもハイキーを上手く使って歌いあげる。ミンガスのべースソロもいい。
9. Jelly Roll
 ミンガスは、ジェリー・ロール・モートン(ジャズ黎明期ニューオーリンズの遊郭ストーリービルのピアニストから作曲家になった。38年3月にラジオがW・C・ハンディをジャズの創始者と紹介した所、モートンは、ボルチモアのアフロ・アメリカン新聞に抗議文を送り、”1902年にジャズを創造したのは、この私だ、大嘘つきの、W・C・ハンディは、著作権なきまま歌われていた俗謡を自分のものとして登録しただけだ”、と主張した。)を非常に尊敬していた。ここでは、コレクティブ・インプロヴィゼーションによる古風な演奏が、モートンを偲ばせる。これぞ、ブギウギという感じの演奏である。

 ■4)渡辺貞夫とミンガス
 マイディアライフを聴いていた時に、数年間毎週エアーチェック(FM放送を録音すること。今では死語か?)していた。ミンガス特集をしていたので、探したら、2週間連続でやっていた。1週目は、上の”ミンガス・アー・アム”から、1.7.6.と、デイ・ドリーム、3.の5曲を演奏した。2週目は、1.アッティカ刑務所のロックフェラーを忘れるな、2.デューク・エリントンズ・サウンド・オブ・ラブ、3.オー・ロード・ドント・レット・ミー・ダウンABオン・ミー、4、Goodbye Pork-Pie Hat 、5.ムーズ・ザ・ムーチェ、6.エンブレイサブル・ユーをやっていた。しかし、カセットデッキに昨夜入れてみたが、動かない。1か月前は、調子悪いというものの、何とか動いた。いかん、直さないといけない。直ったら、感想を追記します。この放送がいつだったのか、もし判る方は、教えて下さい。

 以下は、油井先生の”ジャズの歴史物語”を参照しています。
 ■5)ミンガスのべーススタイルを決めた人
 上の5曲目で紹介したが、ミンガスのべース・スタイルを決定付けたのは、エリントン楽団の天才ジミー・ブラントンである。ブラントンの影響を受けたベーシストは、オスカー・ぺティフォード、レイ・ブラウンと数多くいるが、ミンガスが誰より大きな影響を受けた。ベースが、従来のタイム・キーパーとしての役割から、大型ギター的なソロ楽器と変化したのは、ブラントンが源流といえる。

 ■6)ミンガスが、黒人問題に目覚めた時期
 これは、『直立猿人』 (1956)、からと言われています。それまでは、どちらかというと近代音楽に傾倒していた。テオ・マセロやテディ・チャールズとやっていた時代の彼は、黒人意識は稀薄だった。56年は、ロリンズの、”サキソフォン・コロッサス”や、マイルスクインテットの活躍で、ウエストの白人に奪われていたジャズの主導権をイーストの黒人が奪回するチャンスとなった重要な年となった。二度と白人に奪われてたまるかというこを実現するために、白人にできないような黒人らしさを強調したジャズを意識的に演奏するようになった。ミンガスが、黒人としての怒りに転じた時期と符合する。

 ■7)ミンガスの音楽のルーツ
 1つは、ホリネス・チャーチのゴスペル・ソングに若き血をたぎらせた事でもわかるように、ゴスペルである。2つ目は、生で聴いたエリントン・オーケストラの音楽である。5)で紹介したジミー・ブラントンも在籍した。

 ■8)『直立猿人』について
 『直立猿人』 は、5人で録音されたのに、ビッグバンドのサウンドを持っていたのも驚く。「直立猿人」は、ミンガス自身の説明によれば、「(進化)」「(優越感)」「(衰退)」「(滅亡)」の4部構成の組曲。人類の文明社会を風刺しているとも取れる曲で、ジャズに文学的要素を持ち込んだ曲として、高く評価された。巧みに計算されたテーマ部分と、破壊的な即興演奏が、激しいコントラストを織り成す。この中の、A Foggy Dayは、サンフランシスコの霧を表現したものであるが、繁栄とともにスモッグが発生することが、進化から滅亡へ至る過程であると、既に汚染問題を考えていたようである。70年に油井さんが話をした時に、”東京の空は、汚染されているか”と聞いたとのこと。油井さんは、”東京は空気どころか、あらゆるものが汚染されています。”と答えた。ちょっと言い過ぎと思う。当時ミンガスは公害問題に関心が高かったようだ。

 次回は、私の大好きな、JUJUさんのDELICIOUSについて、お話します。お楽しみに。
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チャーリー・パーカー ~ナウズ・ザ・タイム~

2017-02-15 09:47:57 | ジャズ
 今回は、私の好きな、チャーリー・パーカー~ナウズ・ザ・タイム~のお話をします。

 ■1)アバウト・チャーリー・パーカー
 先ずは、彼の経歴から紹介します。
【人物】
 ”1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビ・バップ・スタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。
これにより「モダン・ジャズ(ビ・バップ)の父」とも言われる。初期の頃よりヤードバード(Yardbird)(起源は諸説あり)と呼ばれており、後に単にヤード、或いは、バードとも呼ばれ、特に後者が親しまれた。パーカー自身も"Yardbird Suite"や"Bird Feathers"といったタイトルを発表している。イギリスのロックバンド、ヤードバーズは、それに由来。
ニューヨークにあるバードランドはこの名称に由来し、ジョージ・シアリングの"Lullaby of Birdland"(バードランドの子守唄)やウェザー・リポートの"Birdland"といった曲もある。
 【経歴】
 ”アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティに生まれ、ミズーリ州カンザスシティで育つ。子供の頃より、並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのはインプロヴィゼーションの基本を教えた、若きトロンボーン奏者だった。父親はT.O.B.A.(アフリカ系アメリカ人によるヴォードヴィル)のピアニストやダンサー、歌手といった音楽への影響があるかもしれないと語っている。彼はプルマン社(鉄道会社)のウェイターやコックになった。彼の母親は地方のウエスタンユニオンに夜勤めていた。
 1945年から1948年に掛けてが活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説化している。

 1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。1947年にはマイルスの初リーダー・セッションもサポートする。

 若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになった。衰弱により心不全で早世した。

 作曲でも『オーニソロジー』『コンファメーション』『ナウズ・ザ・タイム』など、現在まで演奏されるユニークな作品を多く残した。ジャコ・パストリアスはデビュー作で、チャーリー作の『ドナ・リー』(実際はマイルス・デイヴィスの作品)を、ベースとパーカッションのデュオでカヴァーした。

 死の数ヶ月前にニューヨークのチャールズ・コーリン社と生涯唯一の教則本 『YARDBIRD ORIGINALS』 の契約を行う(1955年出版)。出版の理由は、麻薬治療のための入院費用を捻出するためだった。この本について色々な憶測が流れていたが、契約書と同時に死後2ヶ月前にパーカーにより書かれた出版社へのクリスマスカードで、本人が行った契約だと再確認されている。2005年、『YARDBIRD ORIGINALS』 は、改訂され再出版される。校正、改訂を行ったのは、ニューヨーク滞在の日本人である山口雅也(音楽家、教育家)の編集によるものとされている。

 彼の生涯は1988年製作の映画『バード』(クリント・イーストウッド監督)で描かれている。”以上、ウィキペディアから。

 ビバップひいては、ジャズピアノの源流が、バド・パウエルだとしたら、サックスの源流は、チャーリー・パーカーだと言っても言い過ぎにはならないと思う。多分、ジャズメンならどこかにパーカーの影響を受けていると思う。麻薬と精神病で破滅的な夭折の生涯というのも天才の2人に共通している。パーカーは、それに白人女性好き(これは、白人への憎悪が原因と言われている)も加わるのですが。

 ■2)パーカーを知ったのは?
 私が、パーカーの名前を聞いたのは、大学生になった74年頃から、FM大阪のマイディアライフという番組で渡辺貞夫さんの演奏(録音が主でしたが、生もあった)を聴いているときに、彼がパーカーに心酔していると思われ、パーカーの曲をよくやっていた。ナウズ・ザ・タイム、ヤードバードスーツ、コンファメーション、オーニソロジー等は、何回、いや、数十回以上聴いたのもあるかもしれない。そこで、”オン・ダイアルVol.1”という初期の46年録音のLPを聴いてみた。しかし、名演ではあるが、如何せん録音が古いので、一回聴いたら次は、中々手が出ない。もっと、いい録音はないかと、CDを探して、3枚目に入手したのが、『ナウズ・ザ・タイム』で、53年録音なので、録音は彼の作品では最高で、演奏もベストに近いと思う。

 ■3)パーカーと渡辺貞夫さん
 パーカーの演奏は、例えば、『コンファメーション』を聴いてみたら判るが、いつ聴いても新鮮で、クリッシュ(マイルスの時に紹介した)を感じない。マイディアライフでも、同曲を聴いたが、何回も聴いていると、”あっ、これ、前に聴いたフレーズ”というのが、結構出てくる。多分、精密コンピューターで、引き出しの中の数あるフレーズの中からその時のフィーリングに合わせて出してくるので、同じフレーズが出てくるのもあるだろう。渡辺さんに限らず、通常のジャズメンには多く感じる。それを私に感じさせないのは、神の啓示を受けて、それをただ演奏しているようなバードやパウエルや54年頃のロリンズやブラウニー、19才頃の自分の天才に酔っていたリー・モーガン、’85年頃のスタンダーズのキース(ケルンの頃も)、マラソンセッションの頃のマイルス位と思う。ブラウニーとキースが入っているので、神からの啓示が麻薬のせいではないと思いたい。渡辺さんは、頭のいい人なので、自分のオリジナリティを求めて、ボサノバや、フージョンや、アフリカ音楽を取り入れて成功されたんだと思う。

 ■4)私の持っているアルバム
 以下に、私の持っているパーカーの作品を載せます。ビ・バップの特徴であるアドリブの「音階・音数の多さ」と言う武器を使って、誰も聴いたことのないようなユニークなフレーズを湯水のように繰り出すバードの世界が堪能できます。対して私の好きなハードバップは、「音階・音数の少なさ」を意図的に展開して、ビ・バップの持つスポーツ性や自由度も捨てた代わりに、「俗っぽさ」と「大衆性」を獲得して商業的な成功を収めたが、旋律として成立しない音が選択できない関係で、同じコード上で「ある音」の次に選択できる音の種類がビ・バップと比べて極端に少なくなり、やり尽くしていくと誰がやっても結局同じようなアドリブとなってしまう欠点があり一時的に廃れた。

 右は、LPの”オン・ダイアルVol.1”で、左上からCDは、”オリジナル・アーティスト・アンド・6ページ・ブックレット・チャーリー・パーカー”、”チャーリー・パーカー・バード・オブ・パラダイス、Vol1”、”ナウズ・ザ・タイム”です。中でも、”ナウズ・ザ・タイム”は、53年なので、録音も良くなっており晩年にも拘らず、いい時の演奏を残してくれています。
 ■5)『ナウズ・ザ・タイム』
 パーカーの作品で少ないと思う私の大好きなワンホーンです。パーカーのソロが十分楽しめます。この中で、印象に残った曲を。
 ①I remember you
 この曲は、ミディアムテンポでメロディも、アドリブもメローな雰囲気をかもし出しており、このアルバム、いやパーカーの中でも一番好きな曲の一つです。コードチェインジに失敗しかけたり、コーラスの途中でソロをアル・ヘイグのピアノに渡すのはあったりするのも、その場の閃きでやってしまう辺り、グルービーではありませんか。アル・ヘイグのピアノも地味ではありますが、美しく雰囲気がいいので好きです。
 ②Confirmation
 これも、渡辺貞夫さんのマイディアライフで彼の演奏を何回も聴きました。これをパーカーで聴いたときの衝撃は、まさに、コペルニクス的転回です。”えー、この曲ってこんなに凄かったの!”というのが第一声です。渡辺さんのは、上にも書いたように、何回か違うテイクを聴いていても、同じように聴こえるし、リピートで聴いていると新鮮さが無くなりますが、パーカーはなぜか新鮮です。このテーマは、プロでもミスをよくする壮絶テクニックが必要だそうです。パーカーは、楽々で吹きこなしおまけに装飾まで所々に付けているとのこと。その他にも凄いテクニックを隠しているそうですが、それはともかく、パーカーのアドリブは、アイデア豊かでバリエーションも多彩で、柔らかくメローな音色に酔ってしまいます。
 ③The song is you
 いきなり、アップテンポのパーカーのフルパワーのテーマが炸裂します。このハイテンションで、グルービー感は堪りません。アドリブは勿論天衣無縫、エネルギッシュでダイナミックなうねるような音色、どうしてこんな音色が出せるのか、不思議です。ハンクジョーンズのピアノもスイングしていい感じです。直ぐに、パーカーのテーマに戻って、突然終わる。粋です。
 ④Now's the time
 これは、パーカーのオリジナルで、45年のリーダーアルバムでも残しているブルースです。その時より、アップテンポでリズムも変化させています。アルトの音色は、しっとりとして柔らかくソフトでメローです。アドリブは、自由自在、まさに鳥のように自由に空を飛んでいるようなアドリブです。ヘイグも、パーカーの流れを引き継いで、面白いリズムのフレーズをパーカーに合わせる様に、飛び跳ねて、短いベースとドラムソロを経て、パーカーに戻ってエンディング。
 ⑤Chi chi
 4テイクありますが、1つとして、同じアドリブアイデアがありません。これは、通常の人間ではありえないと思います。私は技術的なことはよく判りませんが、詳しい人によると、あまりに頻繁に色々とリズムを変化させる壮絶テクを持ち、『3連符や6連符』『裏拍に連続してアクセントを付ける』『裏拍からフレーズを始める』といった難しい事をしながら、即座に元の8分音符や表拍のアクセントに戻せ、その演奏技巧は、神技そのものとのことです。そういうテクは判らなくても、パーカーのアドリブが凄いのは聴いていれば判ります。

 以下は、油井先生の”ジャズの歴史物語”を参照しています。
 ■6)パーカー(バード)の伝説
 55年3月12日にパーカーは亡くなったが、その時、ジャズ界のパトロンのニカ・ロスチャイルド夫人は、天も裂けんばかりの雷鳴を聞いたという。同年4月2日の追悼コンサートで、”Now's the time”を演奏中に、白い鳥の羽が1枚舞い降りた。69年3月15日の渡辺貞夫の”パーカーに捧ぐ”というコンサートで、ドラムの渡辺文男のトップシンバルが、突然ステージに落下した(稀な事とか)。パーカーの墓石の命日が3月23日と間違っている。CBSソニーでパーカーのアルバムの編集中に内藤さんという写真家が撮った写真が最初は鳥が写ったいたが、色が悪いと再校したら、鳥だけが消えていた。色々な偶発と思われる事故のようだが、これらを神通力に帰してしまうほどの魔力があった。

 ■7)パーカーは、アルトをいつも借りていた。
 ビル・グレアムは語る。”バードはいつもアルトを持ってこないでいつも借りていた。誰のアルトでも構わなかった。彼が吹くと、彼のサウンドになった。リードの厚さも問題ではない。ある夜、アルトのキーの一つが外れてしまった。彼は、あり合せのスプーンを折って、チューインガムとテープで補修しその夜はラストまで立派なソロを平然と演じた。また、別の夜には、クラブに7人編成で出た時、アルトは、質屋に入っていた。しかし楽屋には、番人が居て、楽器なしでは入れない。もう一人のアルト奏者が先ず先に入り、便所の窓から外に居るバードに渡してバードは、それを受け取って入れた。アルトパスが行われたのである。こんな訳だから、彼の死後彼のアルトを欲しがる人で争奪戦が行われた。八百屋に10ドル借りたカタに置いてあったりもした。

 ■8)パーカーがお手本にした、或いは習った人達
 13才のバードは、カンサスのベニー・モートン楽団に居たアルト奏者のバスター・スミスを先生と言って尊敬していた。初期のバードに最も大きな影響を与えたのは、バスター・スミスである。また、1938年ジョージEリーのコンボに入り、オザークと言う避暑地で~3ヶ月して戻って大変上手になった。友人のベース奏者ジーン・ラミーによると、”バードは、レスター・ヤングのソロが入っているベイシー楽団のレコードを持っている分全部持って、オザークに行き、レスターのスタイルを一音一音勉強したと言っていた”とのこと。レスターは、マイルスがクールを習得した対象であり、レスターも注目に値する。又、バスターとレスターが白人のフランキー・トランバウアーというCメロディ・サックス奏者にしびれていたが、そのきっかけがレスターがバスターと一緒に聞いたトランバウアーのレコードであることを知ったバードは、トランバウアーを熱愛したということであるので、バードは、バスターからトランバウアーを教えられたと考えられる。トランバウアーの他に、バードが最も好んだアルトが、白人のジミー・ドーシーである。ドーシーのアルトは、黒人の名手、チャーリー・ホームズや、ドン・レッドマンのスタイルを音楽的に完成させたものであるが、トランバウアーのスタイルは、白人のビッグス・バイターベッグとの相互影響により全く新しく作り出された当時のニュースタイルであった。従って、バードに大きく影響した白人達もいたのである。バードが憎んだ白人からというのは、皮肉なことである。

 ■9)バードの最高の演奏は?
 油井先生の”ジャズの歴史物語”では、彼の生涯の最高の演奏は、死の直前に、タウン・ホール・コンサートに出演した時のものとなっている。レコードはないのであろう。もしあるなら、是非とも聴いてみたいものである。

 ■10)バードとガレスビーは、仲が良かったのか?
 これは、油井先生の仮説ですが、バップの双生児のように2人は言われていますが、実は仲が良くは無かったと思われる。バードは、内向的なクリエーターで、ガレスビーは、外交的な宣伝マンで、音楽的には、同じ目標考えを持っていたが、お互いは気が合わないと感じていた。そう感じていた原因の一つは、ガレスビーの妻である。彼女は、麻薬中毒のバードをなるべく遠ざけようとしていた。バードに付き合いだしたガレスビーに彼女(ロレイン)は、こう言った。”もし貴方が麻薬に近づいたら、即別れますよ。私と麻薬とどちらに魅力があるかよく天秤にかけてね” また、深夜にバードが、ガレスビーの家の戸をドンドン叩いてわめいた時に、ロレインは肩越しに話をして、絶対にバードを入れようとしなかったとも言われている。

 ■11)”ラヴァー・マン・セッション”
 1946年7月29日ハリウッドにて、”マックス・メイキング・ワックス”、”ラヴァー・マン”、”ザ・ジプシー”、”ビーバップ”の4曲が録音された。これが、俗にいう”ラヴァー・マン・セッション”である。写真のLPに入っている。ライナーノーツには、バードが身体が不調でこの後、病院に運ばれた、と記載されている。しかし、実際は、麻薬のやりすぎと思われ、演奏後意識不明になり、その夜に発狂し入院したのである。精神病を治すため、カマリロ州立病院で6ヶ月の療養を要した。病院を出てロスでダイヤルで2つのセッションを録音した後、ニューヨークに帰った。その後、数年は、クインテットでニューヨークを中心に東部を演奏で回った。50年以降の5年は、病魔と療養で不定期にしか演奏できていない。胃潰瘍、肝臓病他のいくつかの病気の併発がバードを苦しめた。”ラバー・マン”を聴いた感想だが、意識朦朧で吹いているにも拘らず、それなりに形は保っていて、いつもは40秒以下なのに、1分52秒もソロをとっており、ほぼメロディ通りに近いのに、アドリブを本能でやっていて、悲しくなるような妖気立った演奏である。しかし不思議に私の心を打つ。その演奏からは、”俺はもうだめだ!助けてくれ!”と言う声が聞こえてくる。ミンガスは、”フィーリングを表現している才能の点でラヴァーマンが最高だ”と言ったが、本人は、生涯その演奏を嫌っていて発売したロス・ラッセルを生涯恨み続けた。”ビーバップ”では、速いアドリブフレーズが、速く吹こうとして呂律が回りきらない、フレーズの後半が流れているように聴こえる。ついにバードは、”ラヴァー・マン”については名演を残さずに死んだと油井先生は書いたが、ミンガスが言うように、この演奏が名演だと思う。

 ■12)バードと通り名がついた理由
 本人の言うところでは、学校時代に、CharlieがYarlieに、続いて Yard ⇒Yardbard ⇒Birdと変化したとのこと。2つ目の説は、少年時代に、リノ・クラブのBackyardに忍び込み、洩れてくる音楽に合わせて吹いていた姿をたとえられたという説で、3つ目の説は、楽旅で、街道で轢き殺した鶏を拾って夕食に上手く料理した彼の料理好きに呆れたメンバーが命名した。いずれにしても、37年頃から所属したマクシャン楽団時代にはついていたと思われる。

 次回は、11)でラヴァー・マンを最高だと言った、チャーリー・ミンガス(本人は、チャールズと呼んでくれと言っていた)についてお話します。


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八代 一夫 ”SIDE by SIDE 2.”

2017-02-14 08:36:06 | ジャズ
 今回は、八代 一夫さんの”SIDE by SIDE 2.”のお話をします。
 八代 一夫さんは、ジャズピアニストで、その”SIDE by SIDE 2.”は、軽妙なタッチと素晴らしい良い音の録音で私のお気に入りです。

 ■1)アバウト、八代 一夫さん
昭和5年2月、東京生まれ、本名:屋代和雄、通称「やっちん」。
戦中の疎開先で独学でピアノを学び、サラリーマン生活の後、昭和23年プロデビュー、ジャズ・ピアニストとして活動。 オスカー・ピーターソンに憧れ、エロル・ガーナーのナンバーを得意とした。
1950年代に入ってから頭角を現わし、海老原啓一郎とミッドナイト・サンズ、高見健三とミッドナイト・サンズ、小野満とフォー・ブラザースなど日本のモダンジャズ創世記の有名バンドを経る。
特に白木秀雄クインテットでは作曲やアレンジでも活躍し、昭和33年1(1958)には白木秀雄クインテットのピアノの座を世良譲に譲り、八城一夫トリオを結成。後に昭和35年(1960)には渡辺貞夫(as)を加えカルテットとなり、渡辺貞夫がアメリカ留学に出発するまで続いた。
渡辺貞夫留学後は再びトリオに戻し、又、八城一夫クインテットや1986年には7重奏団のスーパー・ジョッキー・クラブを結成し、80年代に入っても意欲は衰えなかった。
全盛期にはジャズクラブは無論、TV・ラジオなどで幅広く人気を集めた。
また、“菅野録音”と呼ばれるレコーディング・エンジニア(現・オーディオ評論家)菅野沖彦の録音による数々の名作を発表した。
主な受賞名〔年〕ジャズ・ディスク大賞(最優秀録音賞 第10回・11回)〔昭和51年・52年〕
没年月日平成3年 7月13日 (1991年) 合掌

 ■2)”SIDE by SIDE 2.”
 【キャッチコピー】
 ”菅野沖彦氏(菅野邦彦さん(p)の兄)が録音したオーディオ・ラボ・レコード。
1970年代に当時最高の技術を駆使した高品位録音で一世を風靡したオーディオ・ラボの歴史的音源を、ハイエンド・ディスクの頂点とも言える「ダイレクト・カットSACD」として発売。  A面をベーゼンドルファー、B面をスタインウェイで収録しているという、贅沢な趣向、楽器とホールにあわせたアレンジの妙、、そして菅野沖彦氏の録音が出会った稀な名盤がこちらの「SIDE by SIDE」シリーズです。八城一夫は、硬質なタッチから繰り出す最高にスウィンギーなプレイで、戦後ジャズ・ブームに大活躍したピアニストで、自身のカルテットには若かりし頃の渡辺貞夫(as)も参加していました。これぞニッポンのジャズ。

 パーソネル:原田政長< b>, 五十嵐武要<ds>, 潮先郁男<g、Eg >, 八城一夫<P>

 キャッチコピーでも判る様に、本物のピアノトリオのオーディオチェックは、SIDE BY SIDE2でがいいですね。1975年10月11日録音(SACDハイブリッド)ですが、オーディオラボによる超高音質録音です。全使用マイク(ピアノは、ノイマンU-87×2個(これ欲しいですね)、ベースは、Schoeps CMT-56、ドラムは、AKG-D-24とAltec M-50×2個)から、各楽器のポジションまでライナーノーツに記載されています。また、A面は、ウイーンの名器ベーゼンドルファーで、B面は、ハンブルグの生んだスタンウェイが聞き比べできます。
 私は、特許で他社を差別化しオールマイティで高ダイナミックレンジのスタンウェイより、繊細でガラス細工のような音色のベーゼンドルファーの音が好きです。
 写真を載せます。

 裏もついでに。


 ■3)ベーゼンドルファーの音が楽しめる、1~6曲目
 ベーゼンドルファーは、何回か経営難に陥り、2008年にヤマハの子会社となった。ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。
 ベーゼンは楽器に心があるかのように、「こう弾きたい」っていう志があると「こうしてみるといいよ」と、楽器が教えてくれたり、何も考えないで弾くと、とても酷い音がするというように、奏者を成長させてくれる楽器とのこと。私は、弾けないので分かりませんが。
 ここでは、3曲目の”So Tired”が好きなので、印象を。ピアノ、ベース、ギタートリオ
 ゴージャスなイントロの後、テーマから入るが、ベースとアコースティックギターのリズムセクションがいいサポートをして、トリオの妙味がある。途中、エレキギターのソロがあるが、軽い感じで洒落たメロディ弾き流し、オールドファッションドだが、癒される。また、ピアノに戻り、テーマをしばし。ピーターソンとガーナーを混ぜて、和風の調味料を加えたような、美しいアドリブフレーズである。ピアノの洒落た節回しでエンディング。

 ライナーノーツに、各楽器の位置も記載されている。左にベース、中央奥にピアノ、右にギターである。これを、620A系で聴くと、きっちり、その場所に聴こえてくる。

 ■4)スタンウェイの音が楽しめる、7~10曲目
 スタンウェイは、上手い人はもちろんのこと、そうでない人が弾いてもそこそこゴージャスな音がするので、自分のアイディアを試すにはいいとか。
 ここでは、私がこのアルバムで一番大好きな、9曲目の”Joy Spring”の印象を。ピアノ、ベースのデュオ。これ、ベーゼンでも聴きたかったなあ。
 ミディアムテンポの陽気なテーマで始まる。ベースのリズムが心地よい。ここからは、掛け合いでアドリブが進行する。ピアノのアドリブに寄り添うベースのリズムが実に聴いていて楽しい。まるで、楽しそうに2人が会話を楽器で楽しんでいるよう。ベストといえる、間でお互いが、お互いを埋めあっている。デュオの醍醐味。途中のベースソロでは、ピアノが、リズムセクションとなり上手く掛け合っている。最後は、ピアノに戻り、エンディングは、テーマをピアノが流しつつベースが合いの手を打ちつつ寄せる波のように何回も寄せて終わる。粋だなあ。

 ライナーノーツの各楽器の位置は、左奥にベースで、中央前にピアノで、きっちり定位はその通り聴こえる。

 ■5)世界三大ピアノ
 上記2つのピアノにベルリンのべヒシュタインを入れて、よく知られる三大ピアノになる。べヒシュタインは、ピアノのストラディバリウスとも呼ばれ、リストやドビッシーやジャズでは、チック・コリアが絶賛した。しかし、2002年韓国の楽器メーカー・サミックと提携することになった。提携とはいうものの、本によっては、子会社化したと書いているものもある。これは、第二次大戦によって工場は跡形もなく焼け落ち、戦後再建はされたものの50年も前からアメリカのボールドウィンの傘下に入るなどして命脈を繋いだ。その後はドイツ人の手に経営が取り戻されたものの、往年の栄華を取り戻すまでには至らぬまま、韓国メーカーとの提携に踏み切った。サミックの資力と販売網(そして恐らくは大量生産の技術も)を活用しようという目論見かもしれない。今では、韓国で作られたアカデミーシリーズなるものもあるようです。また、近年の独製のべヒシュタインのグランドも昔の良いものとは音が違うと言う意見もある。この様な事情は、ベーゼンがヤマハの子会社となったのと似たようなもので、スタンウェイも普及品の製造販売を決断し、ボストンピアノが生まれたが、これは、カワイ楽器の製造であり、近年ではさらにその下を担う中国製のエセックスが登場した。尚、この世界三大ピアノを、日本では唯一、杉並公会堂が所有している。

 次回は、私の好きなチャーリー・パーカーさんの”ナウズ・ザ・タイム”のお話をします。
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