オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

隈研吾先生との集い ~ジェフリー・バワを敬愛される先生を囲んで~

2017-11-16 23:05:14 | 日記
 今日、知り合いの方にお誘い頂いて、隈研吾先生を囲む会に行ってきましたので、その話です。

 ■1)隈研吾先生について
 隈研吾先生と言えば、建築界では今や時の人で、少し前に話題になった、東京オリンピックの為の新国立競技場の設計者と言えば誰もがお判りになると思います。写真の真ん中でこちらを向いている女性の右に座っておられるのが先生です。

 先生は、’64年の東京オリンピックの代々木競技場を見て、建築家を志したとのことですので、東京オリンピックと縁があるんですね。実は、お年は当方とほぼ同年齢ですが、体格はご立派で185cm位はありました。東大工学部を出て、建築家になられたのですが、国内外の建築の賞を数多く受賞されており、慶応や東大の教授をされて、ご自分の設計事務所もされているスーパーマンのような方です。その忙しさの一端は、下記のようなエピソードでも判ります。
 最近と思いますが、次に設計する予定のスリランカのホテルの候補地を見に行った時のこと。先ずは、ブラジルから日本に帰国され、翌日スリランカへ飛んで候補地を見学して、翌日日本へ帰国して、直ぐにパリへ飛んだとのこと。いやはや、当方ならもたないと思います。

 ■2)会場と道中
 上の写真は、銀座プレイス 9Fのラウンジセイロンタイムという所です。新幹線でグリーンで行きました。

PCでWiFiを楽しもうと思っていました。グリーンならWiFi位はあるだろう思ったのですが、アクセスポイントが沢山あるのですが、フリーで入れるのがありません。JRの係員に聞いたら、予め無線LAN事業者への契約が必要とのこと。

あーそーなんだ。とがっくり。グリーン車ならフリーのWiFi位はサービスしても良いのでは?少し調べたら、もし契約して使っても、1人で2Mbpsではなく共有で2Mbpsですから複数人で使ったらなおさら遅くなる。新幹線のWifiは決して速くないのでパケット容量に余裕があるならWifiは諦めましょう~。 何て書いていました。余り期待できないですね。しょうがないので携帯の小さな画面でネットを見ていました。やはり競争が無いところに良いサービスはないのかも?

 ■3)神楽坂 『石かわ』 さんの料理
 今日のお楽しみは、もう一つありました。ミシュラン三つ星の名店 神楽坂 『石かわ』 さんからお弁当がケータリングされました。石川秀樹さん自身もお見えになっており最初挨拶されました。お品書きは、以下。

 中は、

 当方は、グルメではありませんが、黒毛和牛が出汁の沁みこんだ良いお味で美味しかったです。その他も勿論美味でした。かに寿司も薄味ですが柔らかな美味しさがあります。うなぎやウニも優しい味です。基本的には京風の薄味と感じました。シャンパンは、銘柄は忘れましたが、イタリアの良いやつだそうです。狭い空間への盛り付けにも、世界観というか、わびさび~おもてなしの心を、感じます。
 尚、■1)で紹介した次に設計する予定のスリランカのホテルにも、『石かわ』 さんが入るとのこと。

 ■4)隈先生のお話~ジェフリー・バワを基点として~
 先ずは、建築の歴史から。
 20世紀初めに起こったのは、工業社会の近代建築。これはコルビュジェとかミースに代表される、箱っぽい、単純で早く建てられる物。例えば、オフィスビル・工場・公団住宅・マンションのような物には好適。しかし、20世紀後半になると、それでは寂しい。もっと自然と一体となったような建築が良いと云う方向に変わってきた。これが、’70年万博の頃。曲面とか柔らかさを重視するようになった。
 その代表が、ジェフリー・バワ。彼はスリランカに生まれたことが、良かった。スリランカは、英国と関係が深く、また仏教国で気候も温暖。裕福な家に育ち、英国へ留学する。最初、建築を学ばなかったことが幸いした。建築教育の悪い面ー厳しくプレッシャーをかけるーという経験をせずに、大切なのは人間の生活であると言うことを知ってから、独学で建築を学んだことが、後に周囲を生かした、主張しない建築を生み出した元になった。隈先生は、これを”負ける建築”と呼んでおられる。最初は、理解されなかったが、切っ掛けはアマンホテル。バワからインスピレーションを受けた、エイドリアン・ゼッカは、アマンというリゾートホテルチェーンを創造した。アマンは、世界のホテルのあり方を変え、アマン革命と呼ばれる革命を成し遂げた。これは、’90年代よりリゾートホテルを変える動きとなった。バワ~アマンという流れは、ホテルのみならず住宅の作り方自体にも、また住宅の定義にも影響した。従来は、リゾートホテルとは、ヨーロッパの豪華な屋敷のイメージだったが、パワ~ゼッカは、バリ島の民家のスタイルを採った。これが価値観の転換となった。つまりパワは、英国とスリランカの良いとこ取りをしたのである。

 まあ、普段は聞くこともない建築の話も聞け、『石かわ』 さんのお弁当にも舌鼓を打って、至福のひとときを過ごせました。
 最後に、先生のサインも頂きました。右に写っているのが、ジェフリー・バワ。彼も大柄です。
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