○ 久しぶり5の「私と音楽」 2nd VnのSさんから投稿いただきました。(Teddy Bear)
(ブログ管理者から、自分と音楽との関わりについて何か書くよう言われました。以下は、私が十数年前バイオリンを習い出した頃に、職場の文集に載せた文を抜粋したものです。-S)
コンサートに出たい
それは、突然浮かんだのであったー「コンサートに出たい。」
どのような形でもよい。例えば、うらびれたホールの、まばらな観客の前でも。オーケストラの一員として、コンサートに出たい。
楽器は、何でもよかった。むしろ、名前の知られていない楽器がよい、その方がチャンスが多いと思った。しかしそのような楽器は、手に入れることも、教えてくれる人を見つけることも、難しいのである。
私は、バイオリンを選んだ。弦楽器がよかったこと、同じ職場の方から、運よく楽器を譲ってもらうことができたことが理由であった。
ある冬の日、私は楽器を手に、勇躍、自宅近くの音楽教室の門を叩いた。
・・・「練習をしないでください」
ジャンルは異なるが、以前に楽器を弾いていた経験から、上達の要因はただ一つ練習量にあると思っていた私は、この日から、暇さえあれば練習に励む積りであった。ところが、初対面の先生は、意外なことを言うのである―「練習をしないでください。」
ぽかんとしている私に先生は、バイオリンの基本は弓の動かし方であって、この部分で悪い癖がつくとなかなか直らない、従って、これが一定するまでは教室での練習だけにしてほしい、その方が結局は上達が早いと言うのである。私はいささかはぐらかされた気持であったが、先生の言葉に従う他はない。2,3か月の間楽器は、日曜日のレッスンの他は、ケースに封印されることになる。
・・・「弓一本が車一台分」
わが音楽教室に、高校生で、コンクールに出場している「ルイちゃん」という希望の星がいる。
何でも、ルイちゃんのバイオリンは、弓一本が車の値段ほどもするとお母さんが言っていたということが、我々練習生の間で話題になった。弓が車一台分なら、バイオリンは間違いなく1,000万を超すだろうというのが、我々のかんぐりであった。如何に腕前が良いとはいえ、高校生の子供にそれほど高額な楽器を買い与えるというのは、なんたることであろうと、私は暗澹たる気持に襲われた。
ある時私は、「先生のバイオリンはいくらぐらいであるか」恐る恐る聞いてみた。先生は、「それほど高いものではない」と、教えてくれなかったが、「弓は、バイオリンの半分程度の値段のものが適当であるといわれている」と言う。私は、「それなら、ルイちゃんのバイオリンは1,000万はするまい」と思い、妙に安心した。しかし、ルイちゃんの家の車がカローラなら問題はないが、クラウンだったら、BMWだったらと想像をしていったら、頭の中がパニックになって、もうそれ以上考えるのをやめることにした。
一般に、クラシックの楽器の値段は高い。子供に楽器を習わせようとする世の親たちは心したほうがよい。腕前が上がれば、良い楽器が欲しくなるのは当たり前のことだが、このような現実をみると、そこそこの腕前であった方が、親のためにはよいということにもなりかねない。ルイちゃんだって、将来バイオリンで身をたてることができるかどうかは、まだ分からないのである。 (つづく)
○今後の展開が楽しみですね。