新入団員「音楽と私」シリーズ復活の第3弾。
サックス奏者のHさんです。
・音楽との出会い:中学時代
私が初めて音楽と言えるものに出会ったのは、中学1年生のたぶん2学期の後半だったかと思う。新任で赴任してきた音楽の先生が放課後教室に入ってきて、手に持ってきた楽器を吹き始めたのだが、その音色が何とも言えないものだった。それが初めてまじかで見て、まじかで聴くクラリネットと称する楽器だった。これからブラスバンドを作るのでやらないかという誘いだった。北海道のオホーツク海に面した小さな町の中学校に在籍していた私にとって、興味深く面白そうに思えたので、仲の良い友達と一緒に参加することにした。私はクラリネット、友達はトランペットを選んだ。
その後、まともに音が出るようになるまでは結構大変だったが、毎日放課後は練習に明け暮れてその年の卒業式には数曲の演奏ができるようになった。雪が融けるとグラウンドに出て歩きながら吹く練習をしたが、簡単には音が出てくれなかった。それでも小さな町のこと、すぐに評判になって何かと町の行事に引っ張り出されて演奏をしたり、街中をパレードしたりと大もてだった。さらに近隣の紋別とか北見、旭川などのお祭りにも参加してパレードで演奏するなど、大いに中学時代の音楽生活を楽しんだ。
またブラスバンドが出来て間もないというのに、自由曲に椿姫を担いでコンクールに参加して地区大会で優勝してしまった。札幌の全道大会まで行けたのにはビックリだったが、さすがに全道大会までくる学校のレベルは高く非常に良い勉強になった。
・音楽と別離:高校時代
中学を卒業して隣町にある唯一の公立高校に進学した。その高校にもブラスバンドはあって勧誘された。しかし片道小一時間かかる列車通学を余儀なくされ、しかも1日に10便もないほどの不便さだった。それに大学受験の勉学に専念する必要もあったため、残念だったが音楽との別離を決めた。
・音楽との再会:大学時代
東京の大学に入学し、1年生の時は音楽とは縁のないクラブ活動で遊びに興じた。1年生の後半だったと思うが、2年生に進級する間際にコンサートバンドの部室を覗いてみて、再び音楽生活を始めることとなった。音楽関係の部活は他にもあったが、決め手となったのはコンサートバンドのなかにジャズをやる別働隊があったことが大きかった。それで選んだ楽器はアルトサックスだった。
コンサートバンドでは卒業までの約3年間、吹奏楽でやるいろんなジャンルの音楽を経験し、学生生活を大いにエンジョイした。また別働隊で短期間だったがジャズも経験することができた。コンサートバンドでのもっとも大きな収穫は、音楽生活もさることながら卒業後も続く素晴らしい友人関係を形成できたことである。
・また音楽との別離
大学卒業後はまた音楽とはまったく縁のない生活に戻った。大学では楽器は学校から貸与されていたが、卒業と同時に楽器を持たない私は必然的に音楽とは縁切りとなってしまった。暇つぶしに触れていた私の仲間はギターだけだった。
・43年ぶりの再会
定年退職後は何か趣味でもやらないといけないなと思っていたが、そんなに簡単には見つかるはずもない。ところが偶々4年ほど前に古い友人に会って雑談をしているときに音楽の話になって、その友人は少人数のコンボでコントラバスをやっていて以前使っていたアルトサックスが遊んでいるという。もったいないということで、早速借りることにした。これが約43年振りに音楽と縁をするきっかけとなった。しばらくは一人で音出しをしていたのだが、四街道のビッグバンドでテナーサックス奏者を求めているという話を聞き、見学に行った。テナーは大学の時にも若干吹いたことがあって特に問題はなかったので、このバンドに参加することにした。四街道を中心に千葉県内のあちらこちらで毎月2,3回ジャズ音楽のライブ演奏を行い、活発に活動をしているレベルの高いバンドで、ついていくのが大変だがスタンダードなジャズを中心にやっていて結構楽しくやっている。
・千葉シニアアンサンブルとの出会い
一昨年の10月末に現役の職場を定年退職したのを機に、その前から入りたかった大学の同期がいる千葉シニアアンサンブルに念願が叶って同年12月から参画することにした。入るとすぐにクリスマスシーズンで施設への訪問演奏が続いた。ジャズバンドとはまったく趣を異にし、構成する楽器は色々ありメンバーも同年輩のシニアで、大変居心地の良い環境である。毎週月曜日の練習は指導者の先生のもと和気あいあいと行われ、非常に楽しく充実した音楽生活を行っている。
これからも健康に留意し、2つの異なる性格を持ったバンドに参画して、素晴らしい仲間たちとともに豊かな音楽生活を過ごしていきたいと思っている。
以 上