Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

古典派への転向?

2024年07月31日 06時30分00秒 | Weblog
モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番*
ブルックナー/交響曲第4番『ロマンティック』(ノヴァーク版第2稿)
〈ブルックナー生誕200年〉 
(ソリスト・アンコール)
マルチェッロ作曲/J.S.バッハ編曲
オーボエ協奏曲 二短調 BWV974 Ⅱ アダージョ

 選曲に「?」という感を抱く人は多いと思うが、ブルックナー生誕200年、ダン・エッティンガー氏の東フィルとの初コラボから20周年、モーツアルトのピアノコンチェルト20番は阪田さんの意向らしい。
 もっとも、「20」「200」というのは、主催者が仕組んだのか、はたまた偶然なのか、判然としない。
 それはともかく、私は阪田さんのコンサートには極力行くようにしているので(眠くならないクライスレリアーナ)、選曲がどうであれチケットは買っていたはずである。
 その20番だが、例によって阪田さんの端整な演奏で、必要以上の自己主張がなくて好印象である。
 1楽章のカデンツァも定番のベートーヴェン版で問題なし、2楽章もメリハリが聴いていて心地よい。
 ちょっと「おや?」と思ったのは、3楽章のカデンツァで、今まで聴いたことのないバージョンで、ロマン派色が強いように感じた。
 アンコール曲は、マルチェッロ/バッハのアダージョ。
 この時点で私などは、阪田さんの「古典派への転向」を勘ぐってしまう。
 というのも、阪田さんはもともとリスト・コンクールの覇者で、2枚のCDには古典派の曲が1曲も入っていないことが示すように、ロマン派専門のピアニストだと思っていたからである(これは私だけではないはず)。
 それが、今回はモーツァルトとバッハというのだから。
 だが、映像を観ると、モーツァルトのコンチェルトは、昔練習していたそうなので、たまたま演奏機会が少なかったということなのかもしれない。
 さて、メイン・ディッシュのブルックナー4番だが、この曲はメロディーが美しいので、ブルックナーが苦手な人も受け入れられると思う。

エッティンガ―「天才建築家の仕事を思わせる、建築的構造の美意識です。長い音楽の伝統と一体の素材と天啓を一切の夾雑物(混じりけ)なしに直接結びつけ、オルガンのように響かせるブルックナーの作曲手法はまさに、偉大な宮殿を思わせます。私の個人的な考えでは、とても正直な音楽です。何かを暗示したり投影したりはせず、極めて古風で純粋なままの音の素材から独自の響きを成し遂げてしまうブルックナーのサウンド・コンセプトに惹かれます

 なるほど、ブルックナー=オルガニストという観点から入ると分かりやすい。
 この響きは、オルガンの世界からやって来たものなのである。
 視覚的に言えば、「偉大な宮殿」なのだそうだ。
 
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カンペの場所

2024年07月30日 06時30分00秒 | Weblog
 「歌とお話
 テーマ:「ワーグナーに挑んだこの10年~準備や本番に当たっての苦労と想い出」
出演者:青山 貴(バリトン) 木下志寿子(ピアノ)

 先日の「トスカ」でスカルピア役を熱演していた青山さんと、長く新国立劇場のオペラ向けピアニストをやっていらっしゃる木下さんによる歌とお話。
 一番面白かったのは、台本が何と514ぺージもある「ニュールンベルクのマイスタージンガー」の主役:ハンス・ザックスのセリフ/歌の覚え方のくだり。 
 公演1年2カ月前から準備を開始した青山さんだったが、最初に着手した3幕5場だけで約1ヶ月を要したそうである。
 その時点で、「これでは間に合わない」と悟ったとのこと。 
 そこで導入されたのが、「カンペ作戦」である。
 例えば、2幕4場の靴を叩くシーンでは、靴の側面にセリフ(+音符?)をびっしりと書いてカンペにする(これは歌手の間では定番だそうである)、3幕4場ではテーブル上にセリフ(+音符?)を書いた紙を置き、それを凝視しながら歌ったそうである。
 やはり、この分量となると、暗譜は非常に困難なのである。
 それでも、このオペラは、結構たくさんカンペの書き場所/置き場所があるのだから助かるということなのだ。
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7月のポトラッチ・カウント(10)

2024年07月29日 06時30分00秒 | Weblog
 以上のとおり、7月のポトラッチ・カウントは、「熊坂」が5.0、「星合世十三團」が37.0、「裏表太閤記」が20.0で、合計では62.0となる。
 ・・・と本来ならこれで終わるはずなのだが、その前に、兵庫県知事のパワハラ問題で、ポトラッチとしての自殺が起きてしまった。

 「亡くなった元県民局長は自死と見られ、知事が兵庫県上郡町の特産ワインを要求したとされる音声データを保管していたことも明らかになった。 そして新たに死亡が判明したのは、昨年11月のプロ野球阪神・オリックス優勝パレードの業務に携わっていた職員男性だという。 
 「元県民局長の告発文書には優勝パレードの経費をめぐる不正疑惑が挙げられており、担当課長だった男性が業務によって疲弊し、療養中である旨が記されていました。今年4月に死亡したとのことで、自死だったと見られています。県はプライバシー保護などを理由に約3カ月にわたって情報を伏せていましたが、今月23日に県職員向けのサイトに訃報が掲載されたのです」(前出・社会部記者)

 自死した二人のうち、少なくとも、元県民局長の自殺がポトラッチ型であることは、残された資料などから明らかである。
 但し、7月大歌舞伎におけるポトラッチのほとんどが、「上位にある者を救うため自身又は妻子の命を捧げる」という自己犠牲型であったのに対し、兵庫県で起きたのは、「一生にわたって『(対価を支払うことが出来なくて)申し訳ない』という気持ちを相手に抱かせ、自分に従属させる」という純正ポトラッチである点が注目される。
 つまり、兵庫県で起きたのは、「人間の心の内奥に存する或るもの、心の中心を尊重しえない、ここを破壊する、行為一般を非難し、そしてまさに自分のその内面が完全に破壊された」 人が、究極の手段として行うポトラッチの一種であり、”メディア型”とでも言うべきタイプのものである(3月のポトラッチ・カウント(4))。
 いずれのタイプにせよ、ポトラッチが次々と起こるような組織あるいは社会は、間違いなく病んでいるはずである。
 なので、自分などは、歌舞伎に出て来るポトラッチを、遠い昔の出来事として眺めているだけではマズいと思うのである。
 亡くなった元課長に合掌。
 
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7月のポトラッチ・カウント(9)

2024年07月28日 06時30分00秒 | Weblog
② 山崎街道の場
 舞台転換の場つなぎのため、花道で光秀の家臣たちが三法師とお通の行方を詮議。
③ 姫路秀吉陣所の場
 秀吉の陣所に、主君の命により秀吉に仕えることになった孫市が控えている。
 孫市は、父の首と引き換えに命を長らえたばかりか、新しい就職先を得たのである。
 喜多頭は、何という子供思いの親であったことか!
 いずれにせよ、こういう社会が根本的におかしいということは間違いないだろう。
 そこへ三法師を背負ったお通が現れ、秀吉の庇護を請い、秀吉もこれを応諾する。
④ 姫路海上の場
 海路、堺へ向かった秀吉一行を、突然の嵐が襲う。
 お通は懐剣を抜き、我が身に突き立て、自らの命を海神に捧げると告げて、海に身を投げる。
 何と、神代の昔のヤマトタケルの妃:弟橘姫の故事に倣った人身供犠である。
 これは明らかポトラッチなので、5.0ポイント:★★★★★を計上。
 すると大綿津見の神が現れ、お通の人身供犠を嘉納して、海を鎮めさせた上、船を天駆ける天の鳥船へと変じさせる。
 なんと、大綿津見の神に対しては、人身供犠が奏功したのである。
⑤ 道中の場
 このタイミングで但馬守が出陣するが、早い展開の中でいったいこの人はいつ登場した人物だったのか、相当数の観客が忘れてしまっていたように思う。
 間が空くとこういうことが起こるのである。
⑥ 大滝の場
 大量の水を使った滝での対決で、迫力で言えば今年一番のレベルである。
 残念ながら私はみることができなかった「雨に唄えば」では12トンの水を使うというが、今回は何トンくらい使ったのだろうか?

(3)大詰め
 ほぼ舞踊なので、社会学的・法学的分析の対象から除外。

 以上をまとめると、「裏表太閤記」のポトラッチ・ポイントは、20.0:★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★。
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7月のポトラッチ・カウント(8)

2024年07月27日 06時30分00秒 | Weblog
(2)第2幕
 ① 備中高松塞の場
 備中国高松城は、秀吉による水攻めにより、城主清水宗治はじめ軍師:鈴木北頭重成らは三カ月に及ぶ籠城中。
 幕開きに、ちょっとしたコントが始まる。

 「そしてこの4人の年齢を足しますとなんと327歳。
 歌舞伎史上4人での幕開きの最高齢でしょうか?(笑)
 平均年齢81,75歳・・・
 私が平均を引き下げている・・・と云う事にしておきましょう。一応。(中略)
 この私以外の台詞は3人とも同じセリフがループになっていて
 私一人がその都度、違う事を喋っております。

 1930年生まれの寿猿さん(御年94歳!)ら3人のセリフがループするという、アメリカ大統領選顔負けの場面である。
 次に、場面は変わって喜多頭一家の家族会議。
 秀吉との和睦に失敗した息子:孫市は当主:喜多頭から勘当されており、家の外から様子を窺っている。
 すると、喜多頭は、起死回生の秘策として、主君宗治の首を打って秀吉に捧げるという、主君への裏切りを計画している。
 これを妻と義母は止めようとするが、かえって喜多頭に打ち据えられる。
 これを見かねた孫市は家に入り、喜多頭に斬り掛かる。
 主君への「忠」を父への「孝」に優先させるのが当時の武士の倫理観だったからだろう。
 すると、喜多頭は、
 「でかした倅!
と叫んで自ら刃を腹に突き立て、自分の首を秀吉に差し出すよう命じる。
 喜多頭は、敗色濃厚と見ていたところ、本能寺の件を知って、今なら秀吉は和睦に応じると考え、自らの首を差し出そうとしたのである。
 その際、孫市に手柄を立てさせれば一石二鳥だというので、さきほどは主君を裏切る内容の芝居を打っていたのだった。
 ここら辺は、どうも既視感を感じさせる展開である。
 そう、「我が子を錯誤に陥らせて自殺させる」パターンの「和田合戦女舞鶴」(5月のポトラッチ・カウント(5))を変形させた、「我が子を錯誤に陥らせて自分を殺させる」という、「間接正犯」の類型なのである。
 というわけで、イエ(=藩)を救うために喜多頭が自分の首を犠牲に捧げたことから、これによるポトラッチ・ポイントは5.0:★★★★★。
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7月のポトラッチ・カウント(7)

2024年07月26日 06時30分00秒 | Weblog
 「七月大歌舞伎の夜の部は『裏表太閤記』が初演から43年ぶりに上演されている。豊臣秀吉、鈴木喜多頭重成、そして天界の孫悟空の3役を演じる松本幸四郎さんは、早替りあり、宙乗りありの大活躍。歌舞伎の魅力がたっぷり詰まった本作の見どころを語っていただいた。撮り下ろしの舞台写真とともにお届けする(中略)
 序幕は明智光秀の父親で極悪人の松永弾正が織田信長軍に包囲され、息子に御家再興を託して、自らが放った火で最期を遂げるところから始まる。復讐心を抱いている光秀は、信長から耐えがたい屈辱を受け、本能寺で信長を討つ。一方で信長の嫡子である織田信忠との間に三法師という男子を設けた光秀の妹・お通の物語が描かれている。
 
 夜の部は、43年ぶりの上演となる「裏表太閤記」。
 役者の顔ぶれから分かるとおり、「松本・市川三世代」を中心に構成されているが、松永弾正役の市川中車(香川照之)も、足利家の白旗を奪って光秀に託すなどの重要な役割を演じる。
 序幕で驚くのは、「松永弾正は明智光秀の父だった」という設定になっているところである。
 
(1)序幕
 ① 信貴山弾正館の場
 「弾正は明智十兵衛光秀が我が子であると明かし、松永家は元々、源氏の嫡流であるため、平家の末流である信長の天下を覆し、三日なりとも威名を轟かせるように伝えてほしいと語る。そして但馬守に白旗を託すと、城に仕掛けた爆薬に火を放って覚悟の死を遂げる。」(筋書p32)

 これで、「源氏vs.平氏」というイエ同士の争いが一つのテーマになっていることが分かる。
 ちなみに、「白旗」は、足利氏というイエのシンボルである。
 ここで、弾正が信長の死者を道連れに自爆死したことから、ポトラッチ・ポイント5.0:★★★★★を計上。
 ② 本能寺の場
 奈河彰輔氏の脚本では、光秀は、勅使饗応役で粗相をしたことや秀吉に従軍するのを渋ったことが原因で、信長から恥辱(パワハラ)を加えられたことになっている。
 これに対し、前述の弾正の遺言に従って光秀は信長を斬り、観念した信長は切腹するという筋書きである。
 ③ 愛宕山登り口の場
 舞台転換の間、花道で短いやり取りが演じられるが、時間の使い方としては上手いやり方である。
 ちなみに、私は花道すぐ右側の席にいたが、チャンバラも間近で見られるし、こっちの方が「とちり席」より良い。
 ④ 愛宕山山中の場
 信長の嫡子:信忠が、妻:小野のお通とイチャついている。
 お通は光秀の妹だが、政略結婚で織田家に嫁ぎ、跡継ぎの三法師をもうけている。
 そこに光秀の家臣:軍平が現れ、烏天狗軍団で信忠らを急襲する。
 光秀側としては、
 「織田家のゲノムを絶やす
ことが至上命題なので、信忠はもちろん、赤ん坊の三法師も殺害のターゲットとなっている。
 そこに森蘭丸が駆けつけ、本能寺の件を伝えると、罪悪感からお通は自害しようとする。
 信忠はこれを押しとどめ、跡目である三法師を伴って秀吉のもとへ赴くよう諭すと、自分は軍平を道連れにして討死する。
 ここでは、信忠が織田家のゲノム=三法師を守るために犠牲となったことから、ポトラッチ・ポイント5.0:★★★★★を計上。
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7月のポトラッチ・カウント(6)

2024年07月25日 06時30分00秒 | Weblog
(4)大詰
 ① 川連法眼館の場
 ② 川連法眼館奥庭の場
 大詰は「川連館」で、メインは佐藤忠信(こと源九郎)となる。

 「この場面で中心となるのは、佐藤忠信という義経の家来です。兄・頼朝との不和によって流浪の身となった義経がかくまわれている吉野へ、忠信が2人現れるという不思議をきっかけに物語は始まります。当然ながら、2人のうち1人は偽者の忠信ということになりますが、ここで大きなポイントとなるのは、「初音」と名がつけられた鼓つづみという楽器です。以前から、この鼓を打つと、どこからともなく忠信が現れ、鼓の音色に聞き惚れているのでした。この忠信の行動を奇妙に思っていた義経の恋人・静御前が、その正体を確かめようと再び鼓を打ち始めると……
 この鼓は、千年を超える年を経た狐の夫婦の皮を使って作られたもので、鼓を打つと現れる忠信は、実はその夫婦狐の子である源九郎狐が変身(変化)した姿だったのです。鼓となってしまった親狐を慕い、そのそばにいたい一心で、鼓を持つ静御前を守っていたと語りだす源九郎狐。親を思う心に打たれた義経は、その鼓を源九郎狐に与えます。喜ぶ源九郎狐は、義経を追う敵方の僧兵たちを妖術で退治し、物語は大団円を迎えます。

 イエ(清和源氏)とイエ(桓武平氏)の間で憎み合いと殺し合いに明け暮れる人間たちをしり目に、ひたすら父と母を慕うキツネが登場する。
 これが佐藤忠信に化けていた「源九郎狐」で、彼は、両親の皮を使って作られた「初音の鼓」の音を慕ってやって来たのである。
 ここで当時の観客は、強烈な既視感を覚えたはず。
 というのも、親子の情愛深いことで知られる狐を文楽の世界に導入したのは、おそらく元祖竹田出雲ではないかと思われるところ(「周辺」からの逆襲(6))、その子であり「義経千本桜」の作者の一人である二代目竹田出雲は、「芦屋道満大内鑑」の着想を取り入れた(パクった?)からである。
 だが、いかにも木に竹を接いだような印象は否めないし、
  「桓武天皇の御代、朝廷で雨乞いの儀式が行われた際、大和の国に棲んでいた千年の劫を経た夫婦の狐が狩り出され、その生皮を用いて作られたのが初音の鼓であり、・・・」(筋書p18)
という設定は、「葛の葉」のような爽やかさとはおよそ対極にあり、グロテスクというほかない。
 というわけで、大詰では、桓武天皇(平氏のご先祖)のために、人間たちではなく2匹のキツネが犠牲になったことから、ポトラッチ・ポイントは、10.0:★★★★★★★★★★。
 以上を総合すると、「星合世十三團」のポトラッチ・ポイントは、合計で37.0:★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★。
 
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7月のポトラッチ・カウント(5)

2024年07月24日 06時30分00秒 | Weblog
(2)第二幕
 ① 下市村椎の木の場
 ② 小金吾討死の場
 カットされることの多いこの2つの場だが、後の「すし屋」の場を盛り上げるためには、ここもしっかりと見ておく必要があるらしい。

 「椎の木の場はカットされることも多いのですが、仁左衛門が上演するときはこの場を必ずつけるそうです。なぜならここがあるので、ならず者の権太も自分の妻子には非常に愛情を持っていたことがわかり、後のすし屋の場面の悲劇がグッと引き立つからという理由だそうです。

 素行不良のため父親から勘当された「いがみの権太」による恐喝と、主君を守るため敵:大之信と相討ちで死ぬ小金吾という、どうしてこうなるのか分からない場の並び方である。
 とりあえず、小金吾が主君のために犠牲になったので、ここでのポトラッチ・ポイントは5.0:★★★★★。
③ 下市村釣経瓶鮨屋の場
 二月歌舞伎では、中村芝翫が感情表現たっぷりに権太を演じた(2月のポトラッチ・カウント(6))。
 対する團十郎は、純粋な「江戸型」のさっぱりとした権太を演じてみせたが、これはこれで引き締まってよいと思う。
 ということで、2月に見たとおり、「すし屋」のポトラッチ・ポイントは、権太が5.0で妻子が2.0の合計7.0:★★★★★★★。
 ストーリー自体は最悪に近い内容で、当時、
主君のため夫が妻と子を犠牲に供するのは当然(犯罪にはならない)
主君を裏切った息子を父が殺すのは当然(犯罪にはならない)
という倫理観ないし法律が通用していたことが分かる。
 まさに「絶望の社会」である。
 
  
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7月のポトラッチ・カウント(4)

2024年07月23日 06時30分00秒 | Weblog
② 伏見稲荷鳥居前の場
 いわゆる「鳥居前」で、静御前が主役である。
 義経は、正妻:卿の君の存在がありながら、愛人=静御前を囲っていたのである。
 「私もついて行く!」と義経との同行を願い出る静御前を、義経の家来:駿河と片岡は鼓の調べ緒で梅の木に括りつけ、放置して鳥居に戻って行く。
 後先考えない放置プレーである。
 そこに敵方が現れ、静御前を拉致しようとするが、これは当然予測出来た展開。
 これまた予測通り、そこに突然佐藤忠信(團十郎)が現れ、静御前を救うと、タイミングよく登場した義経は、忠信に「源九郎義経」という「姓名」と着用の着長(きせなが)を褒美として与える。
 このあたりに来ると、既に出て来た「初音の鼓」と、この段で出て来る「源九郎」という2つの贈与対象物が、この物語の鍵を握っていることがうすうす分かる。
 注目すべきは、「イエ」制度の中核的構成要素である「名」が、何と贈与の対象とされていることである。 
 どうやら、共通のゲノムを承継していない者であっても、「イエ」の構成員になることが出来るということのようだ。
 もしそうだとすれば、それまでの「ゲノム中心主義」からの変容が生じていることが推測出来そうである。
③ 渡海屋の場
 今度は平家のメンバーが登場。
 船問屋「渡海屋」に主人:渡海屋銀平は知盛が町民に身をやつしたものだが、ここに義経主従が逗留している。
 義経らを匿ったのは、何と銀平こと知盛である。
 ここで観客は、
 「何でさっさと義経たちを殺しちゃわないんだ?千載一遇のチャンスだろ?
と思うはずだが、知盛らの真のターゲットは頼朝であり、義経は、頼朝の所在を掴むため、「泳がされていた」ようだ。
 「渡海屋」を後にした義経らを、知盛らは怨霊に見せかけるため白装束姿で追っていく。
 このあたりも、現在の観客には分かりにくいだろう。
④ 渡海屋奥座敷の場
 銀平の子:お安は実は安徳帝、銀平の妻を装っていたのは安徳帝の乳母の典侍の局だった。
 そこを入江丹蔵(團十郎)が訪れ、知盛の計略は義経に察知されており、味方は敗北したと告げ、追手の武士を道連れにして海へと身を投げる。
 おそらく、この演目の登場人物中、登場してから死ぬまでの時間が一番短いのは彼だろう。
 主君を守るため丹蔵が犠牲になったため、ここでポトラッチ・ポイント5.0:★★★★★を計上。
 典侍の局も安徳帝を抱いて入水しようとするが、弁慶らに捕らえられる。
⑤ 大物浦の場
 満身創痍の知盛の前に、安徳帝らを伴った義経が登場。
 知盛は義経に討ちかかろうとするが、安徳帝は、
 「長々の介抱はそちが情け、今また我を助けしは、義経が情け。仇に思うな、これ知盛
と諭し、何と義経側についてしまう。
 これを聞いた知盛は、
 「恨み晴らさず。昨日の敵は、今日の味方
と述べて義経らに安徳帝の守護を頼み(!)、身体に碇綱を巻き付けて、壮絶な最期を遂げるところで序幕が終わる。
 安徳帝のため必死で戦ってきた知盛の努力は、安徳帝が義経に籠絡されたことにより、水泡に帰したかのようだ。
 まるで、社長交代で経営方針が180度変わってしまい、それまでの努力が無駄になってしまったカイシャの営業マンを見ているようだ。
 ここで、安徳帝を守るため知盛が命を捧げたことにより、ポトラッチ・ポイント5.0:★★★★★を計上。
 
 
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7月のポトラッチ・カウント(3)

2024年07月22日 06時30分00秒 | Weblog
 「発端と序幕の間には、柿色に三升の紋の裃姿で登場(これも早替り!)。舞台に大きく映し出された人物相関図を背に、『義経千本桜』のあらすじを解説する。
 再興を目指す平家の残党、源頼朝の追っ手から逃げる義経一行、それを取り巻く人々……。立役、女方、若衆から老け役まで團十郎が勤める13役は次の通り。
 左大臣藤原朝方、卿の君、川越太郎、武蔵坊弁慶、渡海屋銀平実は新中納言知盛、入江丹蔵、主馬小金吾、いがみの権太、鮨屋弥左衛門、弥助実は三位中将維盛、佐藤忠信、佐藤忠信実は源九郎狐、横川覚範実は能登守教経。

 七月大歌舞伎・昼の部は、「義経千本桜」のダイジェスト版で、團十郎が十三役早替り+宙づりの大活躍を見せる「星合世十三團」。
 2019年初演から5年ぶりの再演だが、歌舞伎初心者や外国人の方にも楽しめるよう、上に引用したような分かりやすい解説が付いている。

(1)発端 福原湊の場
 「発端は、満月の福原湊。定式幕が開くと壇ノ浦で散ったと思われていた平家方の猛将・能登守教経(團十郎)が圧倒的な迫力で登場。拍手や大向こうの余韻も冷めぬうちに、花道から高貴な身なりの平維盛(團十郎)が逃げのびてくる。美麗な貴公子のピンチを、あわやというところで救うのは着物の裾に波の模様の頼もしい男、渡海屋銀平、実は平家の名将・新中納言知盛(團十郎)だ。
 
 おそらく、観客にとってはここが一番分かりづらい。
 今回の公演では、この後スクリーンに人物相関図が現れて説明がなされるのだが、こうした図を筋書きにも入れて欲しいものである(国立劇場の文楽のプログラムだと、複雑な演目ではだいたい人物相関図が入っている)。 
 教経、維盛、銀平こと知盛の3人(全員團十郎)が次々と登場するが、現代の観客の殆どはこの3人の関係を知らない。
 なので、平家略家系図のような図は必須だろう。 
 教経は清盛の甥であると同時に、出家した(ていの)維盛の叔父、町民に身をやつした知盛は維盛の伯父、という関係にある(たぶん)。
 既に死んだと思われていたこの3人が実は生きていた、というのが「義経千本桜」における斬新な発想とされているわけである。
 この時点でうすうす分かるとおり、「平家再興」つまり「お家存続」がこの物語の中心的なテーマとなっている、というか、そのために作者はわざわざ史実をつくり変えたというのが真相だろう。

(2)序幕
 ① 堀川御所の場
 ここは、原作である文楽の「堀川御所の段」をだいぶん改変、というか簡略化してある。
 突然、左大臣藤原朝方(團十郎)と義経(梅玉は体調不良のため松也が代役)が登場。
 朝方は平家討伐の恩賞として「初音の鼓」を与え、これが後白河院の院宣だと告げる。
 これは、頼朝を「打て」(=「討て」)というメッセージだという(現代の観客にすんなり伝わるか疑問ではあるが・・・。)。
 筋書の解説では、これを聞いた義経は、「後白河院への「忠義」と、兄頼朝への「孝心」との間で板挟みとなる。」とあるが、この説は、小学6年の社会科の教科書でも取り上げられているようだ(源頼朝は、なぜ義経をたおしたの)。
 これに歌舞伎(文楽)では、義経の正室:卿の君の問題が加わる。
 卿の君は、平時忠の娘であり、義経が平氏の血を引く女性を妻にしたことが、頼朝の疑いを招いたという設定である。
 鎌倉方の上使である川越太郎(團十郎)は、義経に対し、卿の君を討ち、その首を差し出して疑いを晴らすよう告げる。
 とんでもないポトラッチの提案である。
 この様子を聞いていた静御前は「御台様(卿の君)の身代わりに!」と自ら申し出、歌舞伎ではお馴染みのポトラッチ合戦が始まる。 
 案の定、卿の君は自身に刃を突き立てた状態で現われ、義経に介錯を頼むが、そこに川越が割って入る。
 川越は、実は卿の君が、平家の姫との間に設けた自分の娘であると明かす。
 「他人にあらぬ。父の介錯、迷わず成仏してくれよ。親子の名乗りが、親子の名残り
と述べて、卿の君の首を斬り落とす。
 結局のところ、歌舞伎(と文楽)では頻出の、「ポトラッチとしての子殺し」であった。
 ところがそこへ、鎌倉方の討手の土佐坊昌俊を相手に、武蔵坊弁慶が討って出たことが知らされ、卿の君の命は無駄に失われたことが判明する。
 ここまでのポトラッチ・ポイントは、義経を守るため卿の君が犠牲となったことから、5.0:★★★★★。
 
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