Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

販売終了

2020年01月31日 08時10分10秒 | Weblog
創文社 販売終了のお知らせ
 「弊社の全書籍、2020年3月末日をもちまして販売終了とさせていただきます。
 長年のご愛顧ご支援を感謝いたしますとともに、ここに謹んでご報告させていただきます。


 創文社発行の樋口陽一先生の「憲法」は、法学部出身者の多くが持っている(持っていた)、あるいは読んだことがあるはずだし、私などは、今でも折に触れて読み返すことがある。
 「ハイデッガー全集」なども、哲学科出身者などには持っている人が結構いるだろう。
 これらが、今年の3月末をもって販売終了となってしまう。
 良書が売れない時代になってしまったのだろうか?
 
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落とし前

2020年01月30日 08時00分14秒 | Weblog
ゴーン被告と逃亡手助けの米国人、弘中弁護士事務所で面会か 特捜部が面会簿押収
 「弘中弁護士は捜索を受けたことについて「不愉快だ。どう落とし前をつけようか考え中」と話した。

 検察も執念深く、2回目の捜索差押を実施した。
 これに対し、弘中弁護士は、「落とし前」をつけてもらうつもりとのことである。
 普通に考えれば国賠請求くらいだろうが、それ以外の手段を考えているのかもしれない。
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ハラスメント容認文化

2020年01月29日 07時56分26秒 | Weblog
ドミンゴ氏のセクハラ疑惑、故郷スペインのオペラ界からは擁護の声
 「スペインのソプラノ歌手、故モンセラート・カバリエ(Montserrat Caballe)氏と親しかったエージェントのアルド・マリオッティ(Aldo Mariotti)氏はAFPに対し、ニュースを聞いた時は「あぜんとした」と語った。
 「ドミンゴ氏が女たらしなことは誰もが知っていることだが、そのようなこと(セクハラ)をするとは思えない。通りを歩けば、女性たちが彼の前にひざまずくのだから、その必要はない」


 この件の真偽はまだ何とも言えないが、海外では、疑惑が出た段階でほぼ「クロ」とされる傾向のあることが分かる。
 これと比べれば、日本はまだ対応が甘いようである。
 そういえば、先日、会社の元同期と話していて、20年ほど前、女性職員に日常的にボディタッチをしたり頬ずりをしたりする支店長がいたが、何のおとがめもなかった件が話題になり、「あれは強制わいせつだし、今なら一発アウトだな」という結論になったのを思い出した。
 かつては、「セクハラ」という概念もなかったし、この概念が紹介された後においても、しばらくは「寛大な」状態が続いていたと思う。
 同じことは、パワハラについてもいえるだろう。
 
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メタ・インタビュー

2020年01月28日 08時05分41秒 | Weblog
視聴者も「新鮮なインタビュー」と大絶賛 優勝・徳勝龍とNHKアナによる絶妙な会話の“パス回し”
 「「(優勝争いの)先頭に立っても意識しないと言われていましたが、うそだったんですか」と、質問の中にもインタビューではめったに出てこない「うそ」という言葉を重ねたのだ。そして、この切り返しパスで出てきたコメントがこれだ。
 ばりばりインタビューの練習をしてました(笑)」


 「うそだったんですか」という質問は、いわゆるクローズド・クエスチョンで、答えは「はい」か「いいえ」のはずである。
 ところが、徳勝龍は、インタビューという「場」の外に出ることによって、このやや意地悪な質問を粉砕した。
 これぞまさしく、「メタ・インタビュー」である。
 
 
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伝統復活

2020年01月27日 08時26分14秒 | Weblog
司法研修所で「要件事実教育」が復活していました(72期から)。

 よいことだと思う。
 推測だが、「若い裁判官が判決が書けなくて困る」という現場の声があったのかもしれない。
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モデルは誰?

2020年01月26日 07時51分22秒 | Weblog
ボーダーレス室内オペラ/川端康成生誕120周年記念作品「サイレンス」

 「無言」では、脳卒中で手の自由をほぼ失い、作品が書けなくなった老作家・大宮明房が登場する。
 これが、不眠症などで長らく作品が書けなかった川端の自己戯画化であることはほぼ明らかだろう。
 その大宮に対し、「カタカナでもいいから文字を書け!」と迫る弟子の作家・三田がこの小説のいわば主人公である。
 この三田について、ソルレイ氏は、アフタートークにおいて、三島由紀夫がモデルだろうと指摘していた。
 作品の設定や両者の関係からして、おそらくこれは正しいと思う。
 ちなみに、三島が書いた「豊饒の海」の本多繁邦は、おそらく、「不気味な永生の人」、すなわち川端がモデルだろう。
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スケジュール調整

2020年01月25日 08時00分49秒 | Weblog
《トリスタンとイゾルデ》(演奏会形式/字幕・映像付)(4月5日(日)15時開演)
NHKバレエの饗宴2020(4月5日(日)14時開演)

 「トリスタンとイゾルデ」はNHK交響楽団がオケを担当するのだが、そんなことなどお構いなしに、ほぼ同じ時間帯に、NHKホールで「NHKバレエの饗宴2020」が開催される。 
 後者のオケは東京フィルなので、スケジュール調整はしなかったのだろう。
 とはいえ、NHK関係のイベントがバッティングしている感が強い。
 こういう場合、N響関係者の方はどう思うのだろうか?
 
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秋の桜

2020年01月24日 08時18分32秒 | Weblog
秋なのに「桜を見に」・京都へ「タクシーで」…成田でニセ観光客のウソ見抜く
 「成田空港の入国審査では、偽装を見抜くため、審査官が入国希望者に様々な質問を投げかける。・・・秋なのに「桜を見に来た」などと答えた外国人に対し、観光目的ではないと判断したこともあるという。

 「秋に桜」で笑ってはいけない。
 私などは、はるか昔の話だが、モンスーンでパトンビーチは遊泳禁止なのを知らずに、10月にプーケットに旅行に行ったことがある。
 
 
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傾向企業

2020年01月23日 08時27分25秒 | Weblog
石川界人、『神酒ノ尊』越乃寒梅役を降板 ラジオで「配慮に欠けた発言」事務所謝罪
 「声優の石川界人(26)が、日本酒キャラクタープロジェクト『神酒ノ尊-ミキノミコト-』の越乃寒梅役を降板することがプロジェクトの公式サイトで21日、発表された。石川の所属事務所サイトにも「本人のラジオ内で一部配慮に欠けた発言」があったとして謝罪コメントが掲載された。

 発言内容が消されているので確認が難しいが、ネットでは、「太るから日本酒飲まない、飲まない方がいい」という趣旨の発言があったと指摘されている。
 この件で私は、憲法では比較的マイナーな論点である「傾向企業の法理」を思い出した。
 「傾向企業」というのは、特定の思想・信条を雇用の条件とした、あるいはそれ自体を理由とする解雇が正当化される理念的傾向を持った特殊な企業のことを指しており、例えば、政党の機関紙の発行企業などが挙げられる。
 A党の機関紙を発行している会社の社員が実はB党の党員だった(あるいは入社後にB党に入党した)場合、解雇が正当化されるというものであり、これをやむを得ないと考える人は多いのではないだろうか。
 これからの類推で行くと、今回の件の石川氏はかなり分が悪いように思うし、オーディションの際、「日本酒が好きであること」などが条件に挙がっていたというのであれば、なおさらそうである。
 やはり、事務所側がきちんとチェックすべきだったように思う。
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権力者の表現

2020年01月22日 09時00分38秒 | Weblog
 憲法学者の蟻川恒正先生は、フェイスブックなどによる有力政治家の表現について、「権力者の表現」という新しい問題を生じさせたことを指摘していた(「尊厳と身分」p278~)。
 首相などの権力者による表現行為については、「政府の言論」にも「純粋に私的な言論」にも当たらないものが存在するが、「表現の自由」の名のもとにそれを無制約に認めてよいかという問題である。
 トランプ大統領のツイッターなどを見ていると、蟻川先生には先見の明があったと思う。
 状況は異なるけれども、この観点は、岡口基一判事のツイッター事件についても参考になるように思われる。
 例えば、岡口判事ではなく、最高裁長官が、自身のツイッターで、個別の事件の関係者を批判するような行為は、果たして表現の自由として許容されるのだろうかといった問題が考えられる。
 これだと、批判された個人にとっての萎縮効果は相当なものがあるだろうし、下級裁判所の裁判官に対しても悪影響があるだろう。
 
 
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